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王昌齢
 (六九八−七六五)字は少伯。長安の人で官について出世したが、晩年勤務を怠って左遷され、不遇であった。安禄山の乱に遭って郷里へ帰ったが県令のために殺されてしまった。
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(語釈)竜城…匈奴の地名。陰山の南にあるといわれる。飛将…漢の名将李広のことで匈奴が彼を恐れて飛将軍と呼んだのである。胡馬…胡狄の馬に乗った野蛮人。陰山…万里の長城とゴビの砂漠との間にある山脈の名。
(通釈) 秦の時代から変わらず照らしつづけて来た明月、漢の時からずっと戦いを見守って来た関所であるこの明月関というところ。ここから遥か遠い辺境の地に従軍した兵士たちで、いまだ故郷に帰れた者はない。もし匈奴の竜城を破った飛将軍のような名将がいたならば、胡馬に乗った匈奴などにむざむざ陰山を越えて侵入させなかったであろうに一。
 その他、常建、王之渙、李萃、李、賈至、崔?、張謂、儲光義、釈皎然などと多くの詩人が出て、古詩に対して新しい音韻の基礎の上に新律動をもった近体詩が成立したのである。
 
常建
 (七四九頃在世)長安の人で一度は進士になったが、昇進のおそいのを不満に思い隠者になろうとして各地の名山を歩き廻っている。山の中で仙女に会って仙術を授かったといわれ、自然詩人の一人で晩年は武昌(湖北省)で隠棲して終っている。
 常建詩三巻があり、五十八首伝わっている中で悲惨な戦争の様相をうたった“塞下の曲”がある。
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(語釈)北海…今のバイカル湖。明君祠…王昭君をまつった祠。竜堆…匈奴の地名。長城…万里の長城。
(通釈)北海から吹いてくる陰うつな風が大地を動かすよに、北方の陰さんな民族匈奴の兵士たちが大地を動かして攻めて来た。王昭君の祠上から竜堆の戦場を望めば、砂漠の上に髑髏がいっぱいにころがっている。これらはみな万里の長城に征めて来た兵卒どもである。日暮れになると風が起き、砂塵になって吹き飛ばされている。この惨澹たる光景は目も当てられないほど陰惨である−。
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「塞下曲」
 
王之渙
 (六八八−七四〇)字は季陵といい大原(山西省)の人。若いころは遊興を好んでいたので官吏生活を辞し、野に下っていたが、晩年再び官につき文西県の尉になっている。詩人としての名は高く、高適や王昌齢とも交わり、七言絶句の“涼州詞”はすぐれた作品である。
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(語釈)涼州…今の甘粛省にある地名。萬仭…一仭は八尺である。羌笛…夷の笛。楊柳…古楽府にある折楊柳−楽曲名。玉門関…漢の国から西域へ行く出口の関所。
(通釈)黄河をはるか遠く、白雲のたちこめる彼方の彼方へとさかのぼっていく。ぽつんと一つの城塞が幾万尺の高い山の上に立っている。羌族の笛が折楊柳という悲しい曲を吹く必要はない。春の光が玉門関を越えて西へくることはないのだから。








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