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吟詠家・詩舞道家のための漢詩史 9
文学博士 榊原 静山
新しい律動の近体詩が確立
李・杜に並ぶ盛唐の詩人群
 
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王維
 
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「竹里館」
王維
 (六九九−七五九)字は摩詰。大原(山西省)の人で九歳から詩文を作り、二十一歳で進士試験に及第し、朝廷で重んじられていたが、安禄山の乱で賊軍に補えられてしまう。王維は薬を飲んで言語障害者の真似をしてものをいわなかったが、安禄山は王維の才学を知っているので、無理に役を与えて洛陽に住まわせた。
 乱が治まったとき、安禄山に仕えたと誤解されて投獄されたが、弟の縉の願い出によって許され、再び朝廷に仕え、尚書右丞という役に任ぜられた。王維は詩に秀でたばかりでなく、音楽、書画にも精通し、南宋画の開祖ともいわれている。思想的には仏教の信仰が厚く、名前も印度の維摩居士の字をとって維摩詰と名乗るほどだった。彼の詩が多分に仏教哲学的な内容と、俗世を脱して深槃寂静の境地をもっているのもそのためであり、わが国の吟界でしばしば愛唱している「渭城の朝雨軽塵をす」の名句も彼の作である。後世、李白を詩仙、杜甫を詩聖、王維を詩仏とあがめているほどの幽玄な詩が多い。
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(語釈) 竹里館…竹林の中にある離れ座敷。 幽篁…奥深い竹林。長嘯…口を丸くつぼめて、長く息を出して歌う。
(通釈) ただ一人奥深い竹林の離れ座敷にすわって琴をひき、声を長くひいて詩を吟じてひとり楽しんでいる。深い林のことであるから誰も知らないけれど、明月だけが我が意を知ってか、私を照らしてくれる――。
 王維には王石函集六巻がある。
 この時期には、高適、岑参などいずれも杜甫よりも先に出て、それぞれ詩壇で活躍している。
 
高適
 (七〇二−七六五)字は達夫といった。河北の人。役人として高い地位を得て、晩年には渤海侯にもなっており、高常侍集八巻がある。
 
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高適
 
岑参
 (七一五−七七〇)南陽(河南)の人。苦しみや僻地の風景を描写して辺塞詩人として名を残している。岑参には岑嘉州詩四巻がある。また陶潜の流れをくんで、五言古詩に巧みであった孟浩然は“春暁”の詩で有名である。
 
孟浩然
 (六八九−七四〇)名は浩然襄陽(湖北)の富豪の家に生まれた。若いとき進士の試験を受けたが、落第して郊外の塵門山というところに隠れて生むほどのはにかみやだった。
 四十歳のとき長安へ出て、王維や張九齢らの詩人と交わり、一躍詩人として有名になったが、玄宗皇帝の機嫌を損ねるような詩を作って、長安を追われている。詩風は陶淵明の流れをくみ、五言詩が巧みで、自然の美しさを詠った詩が多い。自然詩人と呼ばれ、孟浩然集五巻がある。また七言絶句の名手として知られる王昌齢もいる。
 
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孟浩然








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