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’02剣詩舞の研究(七)   一般の部
石川健次郎
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赤壁古戦場跡
剣舞
「赤壁」の研究
杜牧作
(前奏)
折戟砂に沈んで鉄未だ銷せず
自ら磨洗を将て前朝を認む
東風周郎の与に便ならずんば
銅雀春深うして二喬を鎖さん
(後奏)
 
◎詩文解釈
 作者の杜牧(八〇三〜八五二)は晩唐の詩人、「江南の春」など多くの詩を残して、よく知られている。彼はまたエリート官僚として湖北黄州の長官をつとめたこともあり、多分赤壁の地に遊んだときの作であろう。
 さて三国志のなかで古戦場として有名な赤壁の戦いは、水陸八○万の曹操軍を、わずか三万の劉備・孫権の連合軍が揚子江をはさんだ赤壁の地で打ち破った合戦で、西暦二〇八年冬十一月のことであった。
 杜牧がこの詩をよんだのは、赤壁の戦いから六百年近く後のことだから、古戦場の砂の中から当時の武器が出てきたと云う詩の前段は作者の発想であろう。
 また後段(転結句)の予備知識として、この合戦で連合軍が勝利したのは、指揮官であった呉の孫権の部下の周瑜(詩文では周郎)が、軍師・諸葛孔明の策に従って、普通冬に東風はふかないのに、敵を火攻めの作戦で攻めたことにある。
 さて敗れた曹操は本拠地に戻り、銅雀台と云う大宮殿を造った。文献によるとこの宮殿は高さが百五十メートルもあり、最上層には百二十の部屋があったと云う。
 ところで、荊州の橋玄という人に絶世の美女の娘があり、姉は孫権の兄の孫策の妻、妹は勝利の指揮官、周瑜が妻としたが、世人はこの二人を二橋(喬)と呼んで美女の代名詞のように呼んでいた。
 そこで作者は、もし曹操が勝っていれば、両美人は曹操が奪って我がものとし、銅雀台にかこったであろうと想像したのである。以上を前置きとして詩の内容を述べると「昔の戦いで折れた戟(両刃の剣に柄をつけた武器)が、今は砂に埋まって錆びついてしまった。これを洗い磨きをかけて、赤壁の激戦の様子が知りたいものである。
 ところでこの合戦の時、もし東風が都合よく周瑜の願い通りに吹かなかったならば、多分呉は戦いに破れて、呉王孫策と周瑜の妻の二美人は、曹操に奪われ銅雀台に囲われたであろう」というもの。
 
◎構成振付のポイント
 三国志の赤壁の戦いと云えば剣舞作品には好材料のはずなのだが、詩文解釈で述べたように、後半の部分の”もしも”が美女二人を戦利品扱いとしたことに抵抗がある。当時は勝者が敗者の美女を奪うと云った事例はよくあったことだが、ここでは現実のことでないだけに更になじまない。
 そこで剣舞として作品全体に合戦のドラマや剣技がおり込めるような構成を考えてみよう。
 揚子江の南に曹操軍は八〇万の水軍が各軍船を鎖でつなぎ安定感のある威風堂々の陣営を張った。一方北の連合軍三万は攻めるにしても手の打ちようがなかったが、唯一火攻を考えた。然し冬は西・北風しか吹かないとされるこの地方に、孔明は十一月二十日に東南の風を吹かせると宣言し、南屏山に七星壇を作り祈りを始めた。果してその通りとなり、周瑜は油をかけた枯草を積んだ火攻船を放つために、つながれた曹操の船団は脱出できずに総くずれになった。
 さて前奏で登場して来た作者は砂漠で刀を拾い、起句からは目利きの振り、対岸を見ると軍船が連なる情景。承句は北側の兵士に役変りして舟を漕いで敵船に斬り込むが、すぐ手負いとなって逃げ帰る。転句は再び諸葛孔明に役変りして、祈祷場を定め扇を笏などに見立てて星に祈る。結句は突然の烈風で笏がとび、同時に役変りした北の兵士は一斉に火のついた矢を射る。最後は勝どきのポーズで終り退場する。
 
◎衣装・持ち道具
 いろいろ役変りするので黒紋付がよい。刀以外には地味な図柄の扇(黒地に七曜星などがあれば最適)
 
詩舞
「漢江」の研究
杜牧作
 (前奏)
 溶々漾々として白鴎飛ぶ
 緑浄く春深うして好し衣を染むるに
 南去北来人自ら老ゆ
 タ陽長えに送る釣船の帰るを
 (後奏)
 
◎詩文解釈
 今回は杜牧の詩が続く。この「漢江」は彼の代表作「江南の春」と同じように、景色を眺めながらわき起こる感懐を詠った傑作の一つである。漢江の名は、地図では多く漢水と書かれているが、水源は陜西省の西端に発し、湖北者の北に流れ、襄陽を過ぎ、武漢で長江(揚子江)に注ぐ。(ここから長江を少し逆上れば赤壁である。)
 さて詩文の意味は「漢水(漢江)のほとりに立ち川を眺めていると、川水は大量だがゆっくりと流れていて、その水面を白いかもめが飛んでいる。春が深まると川辺の草木の緑が鮮やかになり、自分の着物が緑に染まってしまいそうだ。
 ところで、こうした常に変らぬ自然とは異なり、自分(作者)は南へ北へと行き来しているうちに、年を取って行くのだと心に思った。ふと気がつくと、目の前には家に帰る釣り船が、ゆったりと何時までも夕日に映えて通りすぎて行った」と云うもの。
◎構成振付のポイント
 詩文を考察すると、川の水量も多く、ゆったりした流れだとすれば、全長千五百粁の漢江の中流から下流の辺りの風景であろう。通常漢江の水は清く澄んだイメージで捉えられ、その水面に飛ぶ白鴎、草木の緑、結句の夕日に映えた赤など色彩の変化も多様に描かれている。
 また登場する釣船も、中国では「釣り」は自由な生活の象徴として、孤高の精神性を表しているから、転句の作者自身の述懐と合わせて、前後二段で構成するとよい。詩舞としては十分な振付の要因が含まれているから、振付を構成する流れを大切にしたい。一例として、前奏から鴎で登場、白扇を使って(二枚でも可)飛交う様子に変化を見せる。途中からゆったりした川の流れの振に変ってもよい。承句は緑色の扇による抽象表現で変化をつける。さて転句からは一人称振りで急がしく櫓をこぐ老人(作者)、方向を変えて棹を操るが草臥れた思い入れ。結句は釣人に変り釣竿(扇の見立)を操る。煙管の一服などを挟んで入相の鐘を開き、夕日を拝した後に櫓をこぎ退場する。
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中国古代の釣船
◎衣装・持ち道具
 演者は作者をイメージしているので薄茶やグレーなどの着付と、調和した袴にしたい。扇は前項の例だと白(もみ銀)と緑の扇を持ち変えて使う。表裏にしてもよく、二枚扇でもよい。








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