吟詠家・詩舞道家のための漢詩史 6
文学博士 榊原静山
「漢・魏・晋・梁時代の詩人たち」
漢の武帝
(紀元前一五六−前八六)名は徹といい漢の七代目の天子。文化をおこし、国力を充実して漢代としての全盛時代を作り上げ、特に楽府を宮中に設け、楽府体の詩をおこした第一の功労者である。またこの時代に五言の古詩十九首と名づけられた十九の名作があり、作者としては枚乗、韋孟、東方朔、蘇武、李陵、卓文君、李延年、班

?などが世に出ている。
後漢の末期から魏、晋にかけては、ひきもきらずに戦乱が続いて落着かない世の中であったが、所謂三曹…魏の曹操(魏の武帝)その子の曹丕(文帝)その弟、曹植が出ている。
班

?
東方朔
魏代
曹植
(一九二−二三二)この三人のうちでは“七歩の詩”という曹植の有名な詩がある。これは曹植が兄の曹丕(文帝)から憎まれて七歩あるく間に詩を作れ、さもなければ処罰すると難題をもちかけられ、曹植は自分と文帝は兄弟なのに、何故こんなにいじめるのかという嘆きを、豆と豆がらに托して即座に作ったものである。
(語釈)羹…あつもの。鼓…大豆のこと。

…豆がら。
(通釈)豆を煮て羹を作り、鼓を漉して汁を作る。豆がらは燃料として釜の下で燃やされ、豆は釜の中で煮られて苦しみに泣いている。もともと同じ根から生まれた豆と豆がらの身であるのに、どうしてこんなに煮て私を苦しめるのだろう。つまり自分と兄の曹丕とは兄弟であるのに、自分だけがなぜこんなにいじめられるのか、という恨みごとを豆と豆がらに托して嘆いた詩である。
その他、陳琳、劉?、徐幹などがあり、特に智謀の将といわれる諸葛亮孔明が出ている。
諸葛亮
諸葛亮
(一八一−三三四)名を孔明といい瑯

(山東省)というところの生まれである。蜀の劉備が三顧の礼をもって出馬を請うたので任につき、蜀王をたすけて軍師となり丞相に進み国家の柱石となる。天下を三分して蜀軍を輔け、健興五年(二二七)に北征して魏軍と戦い、陣中で没するが“死せる孔明、生ける仲達(魏の将)を走らす”という有名な言葉があるように、死んでもなお忠誠をつくしたといわれるほどすぐれた兵法家であり、名将として名を残している。詩も沢山作っているが、いまに残っているのは“梁文吟”という一首だけである。
晋代
晋代には老荘思想が盛んになり、清談が流行している。その請談で有名なのが竹林の七賢である。すなわち阮籍、

康、山濤、向秀、劉伶、阮咸、王戎で、この七人は浪漫的な楽しみのための詩を作った。これらの詩は形式を重視し、言葉の巧みさと美しさを求める詩風を強調しているところに特色がある。晋末の西紀三六五年には有名な陶淵明が出て、俗世の名利を捨て、自然に帰ることを念じた素朴な詩を沢山残している。その中でも、
(語釈)根帶…根底、つけね。陌上塵…道路上の塵。比鄰…ならびとなり。近所の人々。
(通釈)人生は別に根底があるわけではなく、ふわふわしたもので路上の塵のようなものである。分かれ散り、風のまにまに動き転がり、この身は不偏なものではない。地上に生まれて、たまたま兄弟になったとて、それほど重視することはない。歓びごとがあったら、ともに大いに楽しむがよい。もし酒が一斗もあったら、近所隣りの人々を集めて飲むがよかろう。
さらに、このあとには前に述べた勧学として、別に切り離して吟じられている四句がついている。
林竹の七賢
陶淵明
(三六五−四二七)この人の伝記はいくつかあるが、梁の昭明太子の書いた陶淵明伝がもっとも正確であろうといわれている。
字は元亮、または潜、現今の江西省の九江県潯陽の出身。晋の名将といわれた軍勢大臣の陶侃は淵明の曽祖父にあたるといわれ、幼少の頃から文学や詩を学び、二十九歳で江州の祭酒(数学の長官)になったが、ほんのわずかの期間で辞して酒を飲み、貧しい生活に明け暮れた。
四十一歳の時、彭沢県の県令になったが八十日ほどで辞してしまった。“帰去来”はこの時に作った詩である。
以来役につかず、菊を愛し酒を好んで、顔延元などと親しみながら、もっぱら詩を作って隠棲者として暮らし、六十三歳で柴桑というところに没している。その他、王義之、左思、陸機、張華、張協、潘岳などの詩人がこの時代に出ている。
この六朝時代といわれる時代には、ほかに宋の詩人として謝霊運(三八四−四三三)謝瞻、謝恵連、顔延元、鮑照などが出ている。
陶渕明
梁代
梁の時代になって昭明太子(蕭統)が出て春秋時代の末から梁までの学者百三十人、および無名詩人の作を集めて文選三十巻を作り、後世の文学発展に寄与した。
陳の徐陵は漢代から梁までの古詩を集めて、玉台新詠十巻を著し、文選と並んで古詩の研究に欠かせない重要な文献を残して、古体詩の基礎を作り、唐詩発達への大きな役割となっている。
その他、梁の武帝、及び折楊柳という名詩を作った梁の簡文帝、江淹、范雲などがこの時期に出ている。陳の徐陵、北周の

信、隋の煬帝などもすぐれた詩を残している。
昭明太子
梁武帝