吟詠のさらなる発展のための提言 舩川利夫先生に聞く
吟詠上達のアドバイス 第54回
吟詠発声法の方法論づくり作業は、方法論の各細目について、財団常任理事会で承認された少壮吟士の皆さんが、夫々の案を作成中です。今月号は「自分を上手に表現する」。その前段階として、舞台や人前でアガる原因とその対策を考えてみました。
船川利夫
舩川利夫先生のプロフィール
昭和6年生まれ。鳥取県出身。米子工業専門学校卒。箏曲古川太郎並びに山田耕作門下の作曲家乗松明広両氏に師事、尺八演奏家を経て作曲活動に従事。現代邦楽作曲家連盟会員。
若くして全日本音楽コンクール作曲部門一位、NHK作曲部門賞、文部大臣作曲部門賞などを受賞されるとともに平成4年度(第8回)吟剣詩舞大賞の部門賞(吟剣詩舞文化賞)を受賞されている。
数多い日本の作曲家の中でも邦楽、洋楽双方に造脂の深い異色の作曲家として知られる。
おもな作品に「出雲路」「複協奏曲」その他がある。
また、当財団主催の各種大会の企画番組や吟詠テレビ番組の編曲を担当されるとともに、夏季吟道大学や少壮吟士研修会などの講師としてご協力いただいている。
自分を表現する技術(1)
アガる自分を克服するには
本誌
七月の第一日曜日に行なわれた東日本の吟詠コンクールで、偶然に見た競吟者の面白い行動をご紹介しますと、出番がいよいよ次に迫ったある吟者が、金屏風の陰で自分の掌に、人差し指で何かを書いては口に放り込む動作を三回も繰り返しているんですね。
舩川
それは「人」を掌に書いて呑みこんだのでしょう。要するに「人を呑む」、呑んでかかればアガらない、という一種のお呪いですよ。それで効き目はありましたか。
本誌
結果の成績は別として、大変落ちついて吟じていたので、それなりの効果はあったようですよ。
舩川
なるほど。…今回は「自分を上手に表現する」をテーマにお話しようと思うのですが…。
本誌
よろしくお願いいたします。そこで本題に入る前に、舞台でアガらない方法について考えてみる必要があるのではないかと。つまり、いくら詩情豊かな吟が身についたとしても、本番でアガってしまい、折角の成果が発揮できずに終わっては身も蓋もないということで。
舩川
その問題は私の専門外ですが、以前の尺八の演奏家としての経験や、皆さんの舞台を何回となく拝見して、ある程度の助言はできそうです。
本誌
先生ご自身は“アガリ症”には見えませんが。
舩川
私だって多感で繊細な青年時代には、自分が舞台で何をやっているのか判らないくらい、むちゃくちゃアガったことが何回かありますよ。でも、そうした経験を積むうちに、アガリの原因が何か、段々と判って来ました。問題を整理すれば、そう難しくないと思います。一番厄介なのは病気の範疇に入る、いわゆる「アガリ症」です。人前へ出ると心臓ドキドキ、呼吸は速くなり、冷汗タラタラ、顔面が赤くなる。こういう人は多かれ少なかれ交感神経が異常に反応する病気ですから、医師に相談しないといけません。
不安な要素を取り除く
本誌
本格的に病気という人は、それほど多くないと思いますが、アガリ易い性質の人は大勢いそうですね。
舩川
程度の差はあれ、全然アガらない人はまずいないでしょう。ではアガリの最大の原因は何かといえば、それは「不安」だと思います。ですから逆に言えば、不安の元は何かをよく見極めて、それを一つひとつ潰していけば結果としてアガる要素がなくなる訳です。詩文は完全に覚えたか、に始まって、アクセントから時間配分まで基本的なことを自分なりにしっかりとマスターすれば、基本的な不安は無くなるでしょう。
本誌
それでもなお不安という人も多いと思いますが。
舩川
それは“もし間違えたらどうしよう”とかいう、いわゆる杞憂の持ちすぎじゃないかな。これは度胸の問題とも言えますね。この度胸という言葉も、意味は二通りあると思います。一つは“これだけやったのだから、あとは運を天に任す”つまりドタン場に来たらジタバタしないという落ちつき。もう一つは環境に早く慣れるとでも言いますか。コンクール会場で審査員や聴衆を必要以上に気にしない、これが普通の状態なのだと納得する。と口で言うのは簡単だけれど、こればかりは場数を多く踏むしか解決法はないのかな。
本誌
そうしますと、まず十分な勉強と練習で、不安材料は全部潰し、舞台に立ったら開き直ることも大切ということですか。
舩川
それに、最初に出てきた「お呪い」ね。あれは度胸をつけるための一種の自己暗示ですね。舞台に出る前に、例えば深呼吸を五回やって、コップ一杯の水を一から十まで数えながら飲むとアガらないとか、自分で手順を決めて、それを実行することで自分は絶対にアガらないと暗示にかける、これも案外いい方法かも知れませんね。
本誌
今回は自分表現の前段階で終わってしまいました。本題は次回で…。