吟剣詩舞だより
財団法人 日本吟剣詩舞振興会関連行事予定表(7月)
日 |
時間 |
大会名 |
開催場所 |
責任者 |
1日(日) |
9時00分〜17時00分 |
関心流日本興道吟詩会平成13年全国選抜資格別競吟大会 |
泉佐野市立文化会館 |
藤井 芳洲 |
1日(日) |
9時00分〜17時30分 |
平成13年度 全国吟詠コンクール東日本地区大会 |
笹川記念館 船の科学館 |
東日本地区連協 |
7日(土) |
9時00分〜18時00分 |
吟道国敞流創流10周年記念大会 |
横浜 青葉公会堂 |
前田 国敞 |
8日(日) |
9時00分〜18時40分 |
平成13年度 全国剣詩舞コンクール東日本地区大会 |
船の科学館 |
東日本地区連協 |
27日(金)〜29日(日) |
平成13年度 夏季吟道大学 |
本栖研修所 |
財団本部 |
中国の古都・北京と西安を訪ねて、北京・西安の旅吟行会
今年、日本の冬は、殊のほか厳しい寒さと大雪に見舞われましたが、私達吟行会メンバー六十人が、二月二十七日から四日間訪れた中国の西安市、北京市は誠に穏やかな暖かい陽射しに恵まれ、心から素晴らしい旅を満喫いたしました。
二十八日、先ずシルクロードの起点、西安市郊外の温泉、華清池を訪れました。唐の玄宗皇帝に見出されて寵愛をうけ、立派な浴室を賜り、湯浴みする美女、楊貴妃の姿がありありと瞼に浮かんでくるような気がいたします。
(白居易作・長恨歌より抜粋)春寒くして浴を賜う 華清の池温泉水滑らかにして 凝脂を洗う
西安市・興慶宮公園にある阿部仲麻呂記念碑の前で合吟する吟行会の皆さん |
奇麗に澄んだ池の中に立つ、白石像の楊貴妃に向い、全員語りかけるように吟じます。
侍児 扶け起せども 矯として 力無し 始めて是れ 新たに恩澤を 承くる時
しかし、思わぬ安禄山の謀反により、悲しくも楊貴妃は、三十八歳の生涯を閉じました。
次に私達は西安市内のほぼ中央に有り、日本と昔から深い繋がりのある、興慶宮公園を訪れました。李白とは無二の親友であった阿倍仲麻呂を悼む、白い奇麗な石碑が建っています。幼い頃から聡明な阿倍仲麻呂は、霊亀二年(七一六)遣唐使多治比県守と共に、留学生として入唐。大学に進学して科挙の試験に合格、玄宗皇帝の信任篤く唐の朝廷に仕え、朝臣仲満、亦晁衡とも呼ばれておりました。しかし、帰国の夢捨て難く三十五年振りに寧波(一説には蘇州)の港から、故国日本に向かって船出し、美しく燿く月を眺めて一詩を記し詠み上げるのでした。
天の原 ふりさけみれば春日なる
三笠の山に 出でし月かも
(中国語訳)
翹首望東天 神馳奈良辺
三笠山頂上 想又皎月圓
私達は、遠い故郷に思いを馳せた、阿倍仲麻呂の心となって、石井胤憧先生がわざわざ日本から持参した尺八の名伴奏で、坂本誓晶先生の起句により、名碑に向かい合吟しました。
ところが、仲麻呂が乗った船は海上で暴風雨に遭遇。阿倍仲麻呂と親交の厚かった李白は、遭難死したと伝えられる仲麻呂を、心から悼んで一詩を献じ。
晁卿衡を哭す 李白
日本の 晁卿 帝都を 辞し
征帆 一片 蓮壷を 翹る
名月 帰らず 碧海に 沈み
白雲 愁色 蒼梧に 満つ
悲しみ込めて吟じ上げる全員の顔に、仲麻呂への哀愁が籠もっています。死んだと思われていた仲麻呂は、安南(ベトナム)に漂着し西安に戻り着き、日本には帰れませんでした。
私達は三月一日、小春日和の青い空の下、夢にまで見た万里の長城を訪れました。喘ぎながらも嬉々として歩き続ける人びとの、満足げな顔、顔、顔。
一同は休息の後、何処までも延々と連なる万里の長城に向かい、汪遵作の長城を、亡き秦の始皇帝にもとどけよと、声高らかに奉吟し、翌三月二日十五時、北京空港を後にして帰国の途につきました。
(千葉県 深沢吉翠)
阿部仲麻呂記念碑
六月NHKラジオFM吟詠放送
「邦楽のひととき」
●放送日時 六月二十一日(木)
午前十一時○○分〜同三〇分
●再放送 六月二十二日(金)
午前 五時二五分〜同五五分
●吟題と出演者
一 和歌・我が庵は (太田道灌) 太平洋上作有り(安達漢城) 〈吟〉平形鴻成
二 和歌・春過ぎて(持統天皇) 初夏即事 (王 安石) 〈吟〉吉見芳蘭
三 廬山の瀑布を望む(李白) 鸛鵲楼に登る(王 之渙) 〈吟〉 方春城
四 金陵の図 (葦 荘) 舟八島を過ぐ(正岡子規) 〈吟〉山岡翠山
五 海南行 (細川頼之) 海に泛ぶ (王 守仁) 〈吟〉宮野鶴誠
六 磯原客舎 (吉田松陰) 〈吟〉木村武岳