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’02 剣詩舞の研究(一)   幼少年の部
石川健次郎
剣舞
「将に東遊せんとして壁に題す」の研究
釈月性作
 
(前奏)
男児志を立てて郷関を出ず
学若し成る無くんば復還らず
骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地
人間至る処青山有り
(後奏)
 
◎詩文解釈
 この詩の作者、釈月性(一八一七〜一八五八)は幕末期の志士で周防(山口県)遠崎の妙円寺の住職。十五歳(一説には二十七歳)のとき学問を志して故郷の山口から東の方角に当る大阪に出て儒学を学んだ。
 そのときの月性が自分の心情を述べたのがこの詩である。彼はその後、九州、京阪、北陸、関東をめぐり、詩文や仏教を学び、多くの名士とも交わり、特に長州では吉田松陰とも親交を結んで、急進的な尊王攘夷の考えをもった、安政三年、四十一歳の折に本願寺に招かれて上洛し東山別院に住み、時々の急務を言上した。その頃、梅田雲浜や梁川星巌とも交わり、また紀州藩には海防の必要性を説いた。ところで詩の内容は「男子がひとたび決意して勉学のために故郷を出たからには、その目的が達成する迄はおめおめと帰るべきでない。死して骨を埋めるところなどは、故郷でなくとも、どこにでもあるのだから」という意味。
 
◎構成振付のポイント
 剣舞として構成するために、登場人物(作者)をお坊さんのイメージにしないで、武術を学ぶ青年のイメージに置き換え、振り付けの前半は、前項で述べた如く、男子がひとたび勉学の志をもって故郷を旅立ったのであれば、途中でくじけたりしておめおめと帰ってくるなどは、とんでもないことだ.と云った感じを表現すればよいが、後半は一段と内容の意味を強化するために、詩文から離れた構成で剣技の積み重ねを見せたい。なおこの作品は決意を示すものだから、未来形であるべきものだが、幼少年には表現が難しいので現在形として考えたい。
 一例として、まず前奏で中央に登場。上手の神仏に拝礼、起句からは正面の両親に向って礼儀正しく自分の気持を述べ旅立ちの挨拶をする。
 承句は刀法の基本的な動作で学習の雰囲気を作る中で、誤ってころんだりするが再度挑戦をくり返す。転句からは一段とはげしく、またやや技巧的な剣技の型を見せ苦行の気分を見せる。結句は見ごとな剣技の連続と、おおらかな刀さばきで、晴やかな表現をみせる。後奏で礼儀正しく退場する。
 
◎衣装・持ち道具
 黒紋付、色紋付どちらでもよいが、作品内容が一種の決意表明なので、あまり派手にならない方がよい。鉢巻やたすきは実戦ではないから、振付によっては用いなくてもよい。扇はあまり使わないが、学習だから白扇がよいであろう。
詩舞
「芳野懐古」の研究
梁川星巌作
 
(前奏)
今来古往事茫茫
石馬声無く杯土荒る
春は桜花に入って満山白し
南朝の天子御魂香し
(後奏)
 
◎詩文解釈
 作者の梁川星巌(一七八九〜一八五八)は美濃(岐阜県)出身で江戸時代後期の漢詩人。若くして江戸に赴き、儒学者山本北山に学び江湖社の詩人と交る。その後約二十年、日本各地を旅して詩想を練り、四十代半ばで江戸に戻り玉池吟社を開き門弟を育成した。また、佐久間象山、藤田東湖らとも親交を重ね国事を論じ時勢をきびしく批判した。江戸滞在約十年、五十七歳で京都の鴨川畔に居を移し、梅田雲浜、横井小楠、吉田松陰など多くの詩人や志士と交わり尊王攘夷論者の中心になったが、安政五年九月、幕府の“安政の大獄“の逮捕を目前にしてコレラに感染し七十歳で急死した。
 さて、以上は作者、梁川星巌の略歴であるが、こうした彼の尊王の心は、当時から約五百年前に亡くなられた南北朝時代の後醍醐天皇陵(吉野山の塔尾)をおとずれた折に詠んだこの漢詩にもよくあらわれている。
 詩文の内容は「昔のことは今になっては忘れられてしまうから、御陵の辺りはひっそりと靜まり返り、また荒れ果てたままになっているのが痛ましい。しかし桜が咲く季節になった今は、吉野山全体が真白に染まり大変に美しい望めになった。この花の香につつまれた南朝の後醍醐天皇の御魂も、さぞかし美しい景色に御心をなごませておいでのことと思う」と述べている。
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「後醍醐天皇」像
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後醍醐天皇陵
 
◎構成振付のポイント
 風雲急を告げる幕末期に、作者は自分の尊王の精神をあからさまにしないで、さりげなく詩文に表わしている点を注目したい。特に承句の「石馬声無く」は、中国の諸事に通じている作者の表現法として、御陵と云った言葉は使わずに、中国の貴人の墓に置かれている石造りの馬(写真参照・この石造りの馬は南京郊外の孫權の墓の近くにあったもの)を御陵に置きかえて表現している。從って振付けにはこの石の馬を具体的に扱うことは無意味であり、扱ってはいけない。
 次に重要なポイントとしては演技者の役柄に対する考え方である。今回は幼少年の部であるから、まず優先するのは幼少年に相応しい役作りである。一般的には作者梁川星巌を吉野山に登場させるのが普通だが、それでは大変に異和感があるから、前奏から起句にかけては演技者自身の自然体で吉野山の後醍醐天皇陵を探し訪ねる様子を扇の笠、扇の杖などの見立てで登場させる。承句では荒れはてた御陵を拝してなげくが、転句からはがらりと変って吉野山の桜の描写を二枚扇で十分に見せる。結句ではその桜の霞の奥に、笏を持った後醍醐帝の幻想を見て驚き、あわてて天皇陵を拝し、再び辺りを見渡し桜吹雪の中を、登場と同じ笠と杖の身支度で退場する。
 役替りのタイミングや位置と向きの関係をしっかり計算することが大切である。
 
◎衣装・持ち道具
 幼少年にふさわしい役柄で、而も旅にふさわしい衣装の色を選ぶ。季節は春だが、物見遊山ではないからあまり派手にならない方がよい。扇は花や霞を表わす振りと、一骨開きで天皇の笏に見立てる場合や、外にも笠や杖として使うことを計算して欲しい。
 
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石馬(中国南京)








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