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’01剣詩舞の研究(11) 群舞の部
石川健次郎
剣舞(群舞)
「楠河州の墳に謁して作あり」の研究
頼山陽作
 
(前奏18秒)
摂山はg0396_04.jpgg0396_05.jpgとして海水は碧なり
吾来って馬を下る兵庫の駅
想い見る児に訣れ弟を呼び来って
此に戦う
刀は折れ矢は尽きて臣が事おわる
北に向って再拝すれば天日陰る
七たび人間に生まれて此の賊を滅ぼさん
碧血痕は化す五百歳 茫茫たる春蕉大麦を長ず
(後奏11秒)
 
◎詩文解釈
 この詩の作者、頼山陽(一七八○〜一八三二)は江戸後期の儒学者、大阪で生まれ広島で育った。十八歳で江戸に出て学び二十八歳で「日本外史」の稿が成る。菅茶山、梁川星巌、大塩平八郎と親交があり、詩作をよくして人心を鼓舞するものがあり、明治維新の志士たちに多大の影響を与えた。
 ところでこの詩が作られたのは彼が晩年に京都に在住した頃であろうか、詩文に見られる楠公が湊川合戦で倒れた一三三六年より五百年程後のことである。
 さて詩文の内容は作者頼山陽が楠公の遺跡をたずねながら筆をとったものであろう。「北には摂津の山々が連らなり、南側の海が青く美しく眺められる兵庫の駅(宿場)で馬を降りた自分は、湊川の楠公の墓を詣でて、その昔をしのんだ。
 楠正成は青葉のしげる桜井の駅にわが子正行をよび、形身の短刀を与えて忠君愛国の道を諭して別れ、ただちに弟の正季と共に足利尊氏の大軍と戦った。しかし多勢に無勢で勝目はなく、刀は折れ、矢はつきて戦闘能力がなくなってしまった。
 最早これまでと正成は北(後醍醐天皇が居られる京都)の方角に向って拝礼し、七たび生まれかわって賊を滅ぼすことを誓い、弟正季と刺し違えて死んだ。
 あの湊川合戦から五百年の歳月が流れた今は、当時の戦いの様子は色あせて、遺跡はぼうぼうと春の雑草が大麦よりも背が高く茂っている」と云うもの。(なおこの山陽の詩はもともと三十五行の古体詩であるが、今回は律詩の形にしたので節録とした)
 
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湊川合戦の図
 
◎構成振付のポイント
 全体八行の詩文は、前後の二行ずつが「現在」、中の四行が「過去」を追想した形で構成されている。それぞれの内容は詩文解釈で述べた通りであるが、さて剣舞による舞踊構成を考えて見ると、前段の現在形に於ける作者の扱い方に演出的な配慮が必要なことと、後段の風景描写の発想に工夫が求められるであろう。
 さて、例によって、そのポイントを述べると、前奏から一行目にかけては兵庫の山と海の風景描写を抽象的な動きによって表現する。
 二行目は作者を写実に登場させるために三人が早変りして、馬、馬子、作者の役のポーズを作り、二人が捌けると作者が一人墓の前に進み出て拝礼する。三行目は別な二人が形見の短刀(扇の見立で)を渡して桜井の子別れを写実に演じる。さて四・五行目は激しい合戦を全員が鉢巻、たすきがけで演じる。六行目は血糊のついた鉢巻をとり、威儀を正して北の方角(舞台では上手奥)に一礼して、二人は刺し違え、一人は自決の型で倒れる。
 さて七・八行目の風景描写は、作者の一人称的な発想を拡大して、群舞で荒涼とした様子を見せることにして、例えば三人が立上り巴廻りしながらその外側は刀でなぎる様にして時の流れを表現し、更に乱れた振りの連続で荒廃した印象を与える。後奏で今迄の流れを引きついで退場する。
 
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楠正成(右)正季兄弟図
 
◎衣装・持ち道具
 衣装は合戦部分が多いから、男女とも黒紋付で統一し、鉢巻、たすきに工夫をこらす。扇は振付上必要ならば、銀無地のような地味なものがよいだろう。
 
詩舞(群舞)
「天草洋に泊す」の研究  (天智天皇和歌入り)
頼山陽作
 
(前奏18秒)
雲か山か呉か越か
水天髣髴青一髪
万里舟を泊す天草の洋
煙はg0396_06.jpg窓に横たわって日漸く没す
わたつみの豊旗雲に入日さし
今夜の月夜あきらけくこそ
瞥見す大魚の波間に躍るを
太白船に当って明月に似たり
(後奏15秒)
 
◎詩文解釈
 この作品の作者も頼山陽であるが、山陽は三十九歳の八月に、京都を発ち西下して九州を旅した。天草洋に舟泊りしたのはその折のことで、長崎より茂木を経て、熊本行きの船に乗った。ところがその船が千々岩灘沖で暴風に遭い、近くの小島に待避して波の静まるのを待った。翌日の夕方には天候も回復し、山陽は天草の洋上で空き見上げ壮大な景観を味わってこの詩を詠んだのであろう。
 今回は万葉集の和歌から、同じ様な情景を詠んだ天智天皇の一首をはさんで、詩舞にふさわしい色どりを添えた作品に仕立てた。
 全体の意味を述べると「はるか遠くに見えるのは雲かそれとも異国の山であろうか。海と空とが交わる水平線は青く、髪の毛を一直線に張ったようである。
 自分は京都から万里も離れた天草に来て、今宵は舟に泊まろうとしていると、海上の靄が船窓に添って流れて行き、やがて太陽も西の海に沈みかかる。すると、(和歌)海をおおう旗のような大きな雲が夕陽に映えて一段と明るく美しく見えるので、今夜の月もきっと明るいことであろう
 さて、すべてが夕陽に染まったひと時が過ぎると、波間には大きな魚がとび上る様子などが見られる。また船の前方に金星(宵の明星)が月の様に明るく輝き出した」と云うもの
 
◎構成振付のポイント
 この詩を詠んで、まず作者の発想の豊かさが感じられる。独舞ならいざ知らず、群舞構成するに当っては作者の想いを凡て三人称描写で振付けてしまいたいスケールの大きさを感じる。從って扇を主体にした振付で、必要とあれば作者の一人称振りを加えればよい。また和歌の部分も全体の流れと一貫しているので違和感はない。ただし、この作品の中でアクセントを付けるのであれば、例えば照明で色分けをする様な考え方で前段四行はやや明るいブルー、和歌の部分はあかね色、後の二行は濃いブルー、と云った世界を想像すればよい。
 振付も詩文の一行一行にこだわらず、例えば前段は雲や霞、海の様相、舟の動きなどに振付のポイントを置き、和歌部分は扇の色の変化、太陽光線の流れを抽象的に表現して、最後の二行は魚が群れ泳ぎ飛び跳ねる様子と、星の出、月の出を扇の持ち替えで見せるとよい。
 
◎衣装・持ち道具
 全員の衣装の色は海の明るいブルーと袴は少し濃いブルーと云った組合せを参考にして、扇は前述した振付によって、銀、金、白、赤、黒、紫などを参考に、また冒頭は霞模様を使ってもよい。
 
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天草諸島
 








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