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吟詠家・詩舞道家のための漢詩史 1
文学博士 榊原静山
 
 「詩舞のための人物日本史」は前月号の百回をもって終了し、四月からは同じ筆者による「漢詩の歴史」にまつわる連載が始まります。
 
 〔筆者紹介〕榊原静山(本名・帰逸)
 明治43年、愛知県に生まれ、幼少の頃僧堂に人り漢文学・漢詩・仏教学を修める、早稲田大学文学部印度哲学科卒業後、日本大学宗教科講師を経て朝鮮、満州、中国を巡る。昭和6年、榊原舞踊学園を創立、現在にいたる。戦後まもなく日本コロムビア専属舞踊家となる。昭和28年、インド・タゴール大学に遊学。またビルマ、タイ、中国、沖縄等の舞踊を研究して帰り、日本に東洋舞踊の基礎を築き、アジア舞踊の綜合的研究を完成する。また日本の伝統舞踊、宮中舞楽、日本舞踊、民族舞踊の基礎の上に日本詩舞道の理念と学的体系を立て吟界のため大きな貢献をしている。現在筆者は、学校法人東京舞踊学校々長、榊原舞踊学園々長のほか、日本新舞踊協会、日本民族舞踊家協会、全日本詩舞道連盟、日本民謡舞踊協会、ビクター新舞踊連盟の会長やアジア舞踊家協会の日本局長を務めるなど斯道興隆のため国際的にも重要な存在として活躍をつづけている。著書には「アジアの舞踊」「吟詠舞踊の踊り方」「吟道の知恵」「日本詩舞道大鑑」「日本民謡大鑑」など多数がある。昭和49年、国民文化の進展に寄与したことから文部大臣表彰を、また、昭和60年には文部大臣功労賞を受けるとともに昭和56年に、国際文化交流の功績により勲五等双光旭日章を授与されている。
 また、財団事業では、昭和43年の財団設立に参画、設立後は理事、常任理事として活躍し、昭和52年、理事を辞任した。以後は側面から助言と協力をいただいている。
 
はじめに
 戦前、日本人は中国を見そこない、戦争に強いのをよしとして、中国が言葉をはじめ東洋文化の偉大な国であるということを知らずに、ご迷惑ばかりかけていたのでは申し訳ないので、せめて財団関係の方だけでも、本当の中国を知って頂きたいと思い、一生懸命に書かして頂くつもりです。
 九十二年間の私の知っているすべてのことと、中国に関する写真をはじめ参考になるものすべてを提供して原稿を書かして頂きます。またそれに加えて日本詩舞道のレベル向上のためになることすべてを極楽浄土へおあずけいたし、極楽浄土におられる方々のおっしゃることをうかがいつつ書かしていただくことに致しましょう。
 先ず誰よりも先は笹川良一前会長、次に伊藤長四郎、佐々木孝吾、篠田桜峰、多田正義の各氏にも色々と相談して、良きにはからっていくつもりです。
 では、本論は中国の歴史の初め、天地開闢の神話から。
天地開闢の説話
盤古
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天をささえる盤古
 
 昔も昔の太古に、天地が未だ開けていない頃、この世界は暗黒の混沌としたかたまりで、ちょうど大きな卵のようなものであり、その中心に盤古という生物ができて、その中で盤古は一万八千年眠りつづけていたが突然目をさまし、大きな、一本の斧をつかみとり、暗闇に向かって一撃を加えた。すると卵が猛然と動き出し大きな音を出して二つに割れ、卵の中の澄んだ部分が上昇していって天になり、濁った部分は徐々に下へさがって大地となり、初めて天と地が創造され、そこで盤古はこの天地が再び元に戻らないように自分の力で天を差し上げ、毎日一丈ずつ上昇させ、自分もそれに応じて伸びていった。そうしてまた一万八千年経過して、盤古は物凄い巨大な体になり、完全に天地が分れてもう元に戻らないほどになった。やがて盤古は年をとり、死に臨んだとき、彼の口から吐き出す息が風と雲になり、左の眼は太陽に、右の眼は月に、手足や体が山や丘になり、血は流れて河川に、筋は道に、肉は田畑に、髪は天の星になり、皮膚と毛は樹木や草花に、歯や骨が石や鉄になり、盤古の身体全部がこの世界を創造したと伝えられている。
 
三皇の神話
 このようにして作った世界に伏義と女という神様が天から天降って来て夫婦になり、やがて女は肉の球を生みおとした。
と伏義
 この夫婦の神は不思議に思ってその肉を小さく切りきざみ、布に包んで天へ登って行こうとしたとき、急に突風が吹いて来てその包が破れ、細かい肉切れが四散し、地上に落ち、それが人間になったといわれ、また別の話には、ある時女は泥を水でこねて小さな泥人形を作った。するとその人形がオギァオギァと声を出しながら二本足で跳び廻った。これが最初の人間で、この人形は鳥や獣と異なって非常に利口そうな顔をしていた。
 女は満足して地上をこの可愛いい人形で一杯にしようと毎日々々泥人形を作り続けた。しかし、一人ずつ作っていたのではなかなか彼女の願いが満たされなかった。そこで彼女は天上から藤づるをとってきて泥の中につけてぐるぐると振り廻した。そのつるから飛び散った泥の滴が地面に落ちるとみんな人間になった。
 このようにして地上は人間で一杯になったので、彼女はその人間を男と女に分け、この男女の配合によって自然に人間が生まれるようにしたといわれ、このため女は人間のための婚姻制度を設けた最初の媒酌人、つまり婚姻の神として後世に永く祀られている。
 伏義は人頭蛇身の半神半人の神様で、縄を編んで網を作り魚を捕えること、あるいは鳥網で鳥を捕えること、火で動物の肉や魚の肉を煮たり、焼いたりして食べることなどを教えて、人間の生活に大きな貢献をしており、特に八卦の占いも伏義が教えたものとして中国の占界の祖ともいわれている。
 このように伏義と女のもとで、人間の社会はながい間平穏無事であったが、ある時水の神の共工と火の神祝融が突然戦をはじめた。そのため天地のバランスがこわれて天上に大穴があき、空の半分が落ちかかり、地の底からは水が吹き出して、大洪水になり、中空からは猛然と火をふき、烈しい炎が燃えて、人間の世界がさながら生き地獄になってしまった。
 女は何とかしてこの人間の苦しみを救おうと思い、彼女は河の中へ入り、五色の石を拾い集めて焼いて粉にし、その粉を練って天上の大穴を少しずつ補てんして元通りに修理し、再び天が落ちないように一匹の大きな亀を捕えて来て、その四ツ足を切って四本柱にして天を支えさせ、また枯草を焼いて灰にし、その灰で大洪水をおさめ、人間に禍をなす悪竜や猛獣を退治して世界に平和をもたらしたと伝えられている。
 しかし天を元に返す時、西の方角が少し傾いたまま柱を立ててしまったので、太陽も月もいつの間にか西の方へ沈むのだと考えられ、また東南の大地に少し裂け目ができてしまったので、河の水がみんな東南へ流れていくのだと考えられるようになった。いずれにしても女の努力によって地上が繁栄し、平和な時代があったといわれている。
 このように人間のために尽した女も寿命が来て、自分の体を十人の神人に変えて地上の守護神にし、自分は雷車に乗って飛竜を御し、黄雲に守られて天上に昇り天帝に地上の様子を報告し、天界の一室で静かな隠遁の生活をしながら、今も地上の人類を慈愛に満ちたまなざしで見守ってくれている、永遠の愛の女神として永く中国で親しまれている。ちょうど日本神話の天照大神が女神であるのと一脈相通ずるところがある。この女が昇天して、次に地上を治めたのが神農である。
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伏義
神農
 神農は別の名を炎帝ともいわれ、インドの太陽の神“スーリヤ”に匹敵する神様で、太陽が光と熱を出して万物を育て、五穀を成長さす力の面を神格化して、農業の神という意味で神農と炎帝の二つの名を持っているのである。
 神農が生まれると、地上に九つの井戸が自然にできて、農業用の水が湧き出し、神農が天に向かって大声を出すと、全身真赤な鳥が穂の九つある苗をくわえて飛んで来て穀物の粒を地上にばらまいた。人間たちはそれを拾って田畑にまき、穀物を成長させたとか、また神農は不思議な鞭をもっていて、それで草を打って薬草を発見し、さまざまな病気にあてはめる知識を人間に教え、また物と物とを交換する市の方法、太陽の位置によって時刻を見分ける方法など、人間の生活を豊かにするための多くの業績を残した神としてあがめられている。
 以上の伏義と女それにこの神農の三人の神を三皇とあがめ、この時代を中国の神話史上三皇の時代といってなつかしんでいる。勿論こうした話には、はっきりした考古学的な根拠があるわけでないが、原始民族学の研究家の論として、大古に住んでいたサルゴン族の主領が神農でサルゴン族を滅ぼしたエラムの王が黄帝であろうと主張している。いずれにしてもここでは神話として素直に説明する。
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神農








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