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2.偏見とは
1)日々の暮らしと偏見
 偏見とは、辞書的にいえば、偏った見方ということになりますが、これだけでは何を意味しているのか不明瞭です。というのも、反対に、では偏っていない見方とはどのようなものかと考え始めると、なかなかそれに答えることは容易ではないからです。たとえば、偏った見方に対して、中立的な見方、公平な見方といったものを持ち出したとしても、ではどういうときに中立や公平と言えるのかと問い詰めていくと、その根拠を明示することは必ずしも簡単でないことがわかります。もちろん、科学など何らかの基準に基づいて実証されている捉え方も少なくはないのですが、日々の生活はそうした厳密な手続きとは別のところで営まれている場合が多いものです。
 そのため、人の現実に対する見方は、すべて偏っているとさえいうこともできますし、問題なのは偏っているか偏っていないかではなく、どちらの方に偏っているのか、その偏り方に何らかの正当な根拠があるのかどうかだということもできるほどです。
 
2)偏見と差別
 どちらの方に偏っているのかが問題になるのは、たとえば、同一人物に対して、ある人は「あの人はとてもいい人だ」といい、別の人は「あの人はとんでもなくひどい人だ」というような場合です。いずれも偏った見方だという点では同じですが、偏見には、このように肯定的なイメージが付随する場合と否定的なイメージをもたれる場合とがあります。
 そして、偏見によって否定的なイメージを持たれた場合、そのイメージに基づいて、心理的なマイナス感情(たとえば嫌悪感)が生じたり、実際的な態度(たとえば忌避)がとられたり、あるいは具体的な行動(たとえば排除)が発生する場合などは、差別とも呼ばれます。すなわち、偏見は差別を引き起こす基盤のことなのです。
 
3)反差別活動
 したがって、偏見を除去・軽減することを目的とする啓発活動は、反差別活動であるともいえます。差別をなくすには、ただ差別をなくそうと声高に叫ぶのではなく、その元となっている偏見を取り除いていく方が効果的だと考えられているからです。
 ただし、啓発活動の目的は、否定的なイメージを肯定的なイメージに反転させてしまうことだというわけではありません。なぜなら、もちろん、一つには、否定的なイメージを肯定的なイメージへと一気に転換させることが実際上きわめて困難だからといった理由もあります。しかし、より根本的な理由としては、たとえ、それが否定的であれ肯定的であれ、偏った見方であれば、それは偏見に過ぎないからです。
 
4)偏見除去活動の目的
 問題なのは、ただ単に肯定的か否定的かということではなく、偏っていることにあります。先にひいた例を持ち出すと、「とてもいい人だ」も「とんでもなくひどい人だ」も、ある人に対する捉え方としては、偏っている、すなわち、あまりにも一面的で狭すぎるということ、および、固執されて硬直化しているということこそが問題なのです。
 つまり、偏った見方とは、狭量で硬直化した見方や捉え方のことなのです。そのため、偏った見方に対置されていた、偏らない見方とは、幅広く多面的に見ることであり、また、現実や他の人々の意見に応じて捉え方を柔軟に変化させていくことだともいえます。偏見を除去・軽減させようとする啓発活動の目的は、言い換えると、狭く硬直化した捉え方を広く柔軟な捉え方に変えていくことなのです。








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