「心に残る事故調査(初回事故)」(2) Ken OB/AAIC
今から約24年前に航空事故調査委員会に航空事故調査官として着任した時は、クアラルンプール事故が発生して間もなくの頃でした。着任してすぐに習得すべきことは、事故調査の方針、仕組み、技術等を理解するため航空事故調査委員会設置法、航空法、ICAO第13付属書、同調査技術マニュアル等を熟読し、暫くは自学自習?の日々と思っていましたが、クアラルンプール事故で試験研究のために持ち帰った航空計器類の工場での分解調査立会い、事故現場付近のゴム園の3次元復元模型の制作のお手伝い等で勉強どころではありませんでした。そのような忙しい状況の中でしたので、国内の事故調査のことは、頭にありませんでした。でも日本国内での事故は待ってくれませんでした。月半ばのことでしたが、事故発生の通報があり、誰が調査に行くのかなと他人事と思っていたのが大間違いで主席調査官から調査に参加するよう指示されました。もちろんベテランの調査官2名と一緒なので心配は無かったのですが、事故調査の準備段階で、現場調査必携の七つ道具、地図、入手した情報の資料等を持ち、事故現場へのアクセス、現場調査で必要な段取りを教えてもらいながら私にとっては初回調査として出発した。事故の概要は、「昭和52年10月中旬、小型飛行機に機長のみが搭乗して飛行場での離着陸訓練を終えたのち、14時半ごろ、ゴルフ場の河川水路上空に張られていた電話架線に同機の前脚柱を引っかけ架線電柱を折損して前のめりとなり水上に墜落して1〜2分浮上の後、水没した。墜落現場約50メートル上流でゴルフ客を乗せた渡船が直ちに救助に向かったが、水没したため機長を救助することはできなかった。」というものであった。何故機長は低空飛行をしなければならなかったか、機材の不具合は無かったか等の要因を調査すべく現場での目撃者の口述、気象、機体調査等を詳細調査した。私は機体調査を主に担当した。大きなクレーン車で機体を川から引き揚げてゴルフプレーの邪魔にならないようコースのグリーン脇に置き、損傷状況について克明に調査記録した。ときたまゴルフプレーヤー数名が、私たちの調査を覗きに来ていた。私にとってはこの調査が初回であること及びゴルファーにも見られていることもあって一生懸命に調査を行い、また無我夢中で写真撮影と機体の状況を記録したことが記憶にある。ゴルファーのプレー観戦が気になって満足な記録ができなかったのでは?と思う人には、当時の私は今ほどゴルフフリークではなかったのでそのようなことはあり得ないと言える。同機は、調査結果から機体、エンジン等に欠陥は発見されず、正常であったものと推定されたことにより、不時着以外の意図をもって低高度を飛行し、さらに水面上約12メートルの高さに張られた架線は、黒褐色で水面が背景となった場合視認が極めて困難となる状況下で巡航速度に近い速度で飛行したため視認が遅れ回避が間に合わなかったものと推定されて。低空飛行を行うときの教訓は、その後の薬剤散布飛行による事故防止対策の「飛行予定経路を事前に地上及び飛行による調査が必須。」である。さて、私の「初回事故調査の形態がその後の所掌する事故調査にも概ね同様なものとなる。」というジンクスがあったことは、その後教えられ、まさに認識したことであった。
つづく