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「もく星号の真実(19)」  市川 武男
 
 昭和25年6月に朝鮮事変がぼっ発すると同時にアメリカは取るものも取りあえず急拠在日部隊を朝鮮半島に出動させ、そのために空洞化した被占領国ニホンの防衛を穴埋めするために日本人による警察予備隊を急拠編成し、更にはアメリカ本土からも多くの若い兵員が補充されたと言われる。
 併し一方では、様々な専門技術分野での要員補充は容易ではなかった様で、例えば空輸部隊のパイロットや輸送船の船員等にも多くの日本人が雇用されたのもこの頃であり、私筆者自身も韓国軍新兵の訓練要員としてかり出された次第である。
 中でも航空管制という専門分野にあっては、軍に業務上の技術のみでなく、地域の地理特性や気象特性等の専門知識、更には勤務現地での一定期間の慣熟研修などが必要とあって簡単に充分なベテラン要員の補充が困難であったようで、日本人要員の訓練が実際に始められたのは2年後の昭和27年2月であった。
 併し戦時下という非常事態の中にあってはそういう悠長な訳にも行かずアメリカ本土から速成の若い兵士管制員を全国各地の管制機関に補充員として配置して行ったとも言われている。
 又当時の全国各地のアメリカ軍基地にはWAC即ち女性兵士部隊も配備されて行ったようで、各地の軍兵舎内での風紀が問題とされたのもこの頃である。一説では、この頃の羽田飛行場基地でも多くの女性兵士の姿が見られたといわれ、又羽田タワーでもシフトチーフは女性兵士であったとかタワー・チーフ自体が女性将校であったと語られている。余談になるが、この頃のアメリカ軍基地で働いて居た日本人従業員が、何も知らずに女性兵士の兵舎に立ち入って即刻クビになったりトイレを間違えてMPに拉致され、ひどい目に会わされたという噂が広がったのもこの頃である。
 併し朝鮮半島でも休戦の気運が強まり、戦乱も硬着状態になるにつれてWACの姿も次第に少なくなり、羽田タワーの女性管制員の姿も次第にタワーから姿を消して行ったと言う。
 この様な中で昭和26年から27年にかけてのニホン国内のアメリカ軍基地では、アメリカ本土から送り込まれた多くの若い補充兵或はWAC兵士が駐屯していたのだが、その中から速成教育で訓練され、資格を与えられた一部の者が各航空管制機関の補充管制員として配置されて行った事を考えれば、とても当時のニホン国内における全国的な管制技能レベルがかつて程に充実していたとも考えられず、逆に通常よりも低下していたと考える方が至当なのではなかろうか。勿論彼等はそれなりの研修を受け、訓練を経て資格を与えられたものではあろうが、確かな航空管制業務に必須とされる我国国土の地理地形や気象特性などを充分に体得したとは考えられない訳で、不充分な知識による技倆不足、或は速成教育による訓練不足などがあったとしても決して不思議ではない状況にあったと考えられる。
 そしてこの様な状況下では、先に羽田でも起きた様な管制上の不手際が他の基地でも発生していたのかも知れないが、それ等は占領軍の壁の中で伺う事すら出来なかったが、今回は偶に民間機を巻き込む事件という事で一気に表面化してしまったのかも知れない。
 昨日異国から来たばかりで、国内の地理特性や気象特性も知らない管制員が、これ又異国から来たばかりで国内地域特性等何一つ知らないパイロットの操縦する旅客便を管制する、そこに何か大きな危険性が予見されても、軍隊という国家権力がまかり通って常識が無視される。そういう意味でこの木星号事故を見る時、これは単なる管制ミスによる事故というよりも、朝鮮戦争という国家非常事態の中で発生した国家的落し穴に突き落された陰惨な事故だったのではなかろうか。
 そしてこの木星号自体も若い未熟な管制員の決定的不手際によって異国の地に砂塵となって消えたのである。
(続)








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