「もく星号の真実(18)」 市川 武男
前回述べた木星号に対する誤ったクリアランスが管制員によって直ぐに訂正されたという事実について、前回は松本清張がこの事実を無視していると書いたが、これは清張が事実を否定しているという意味ではなく、その事実を単なるフィクション的に表現する事によって実質的に誤って認識を多くの人々に与えたという事を意味している。
彼はその中で誤ったクリアランスを発出したのは羽田の管制員ではなくセンターの管制員であるとして、この管制員が後で誤りに気付いて羽田に通報した時には既に木星号との交信は不能であったとして、日航モニターが記録する羽田が直ぐに訂正したという事実とは異なり、この点でフィクション的と指摘したまでである。
併し先号でも述べた通り、木星号に離陸後の上昇制限指示を出したのは東京レーダーであって、ジョンソンのARTCセンターではない。しかも東京レーダーは関東空域でのターミナル管制機関として飛行中の航空機との直接交信が可能であって、この点で清張のフィクションは大きな誤認をしていたと言わざるを得ない。更に今少しつき詰めて見れば、この誤った上昇飛行制限に見られる様な規定MEA以下の高度を、資格ある管制員が飛行高度として指示する事は絶対にあり得ない事であって、それはやはりクリアランスの中継途中での読み違いによって発生したと考えるのが妥当なのではなかろうか。
又、清張はその著作の中で「羽田の管制員はこの指示をうのみにして木星号に伝え、機長もこの指令をおうむ返しに復唱し、又管制員もうわの空で復唱を聞いていたであろう」という様な事を書いている。更に木星号の正副二人のパイロットも共に疑う事なく「全然習慣的にセンターからの命令を絶対的なものとして信じて疑わなかったであろう」としている点に何とも航空管制の何たるかも理解しない者の軽薄な虚構を感じないわけには行かない。
少く共、戦後数年にわたってアメリカ本土で航空管制の厳しい訓練教育を受け、充分にその知識と技能を習得していた筈の木星号のパイロット達にとっては、管制からの指示が絶対的な命令などと信じて疑わないというナンセンスな信念よりもATCのIFRクリアランスでは、絶対にMEA以下の飛行高度が指示される事は無いと信じていた筈である。だからこそ万一にもチャートに示されるMEAよりも低い高度が指示された時には当然の如くに管制に対してその確認を求めた筈であるが、今回の事故ではパイロットからその様な確認の要請が求められた記録も事実も全く無かったのは意外である。
と言う事は、明らかに木星号パイロット達は両名共に東京レーダーから指示された最終的な飛行高度に何等の疑問を持つ事もなく受け入れたという事であって、一体彼等がこの様に疑念を持つ事も無く受入れられた指示とはどんなものであったのか、ここに木星号事故の最大の謎がある。
そしてこの謎を解く鍵は意外にも「三原山」という障害物の存在自体であったのではなかろうかと気付いた。即ち管制員もパイロットも共に三原山という障害物の存在を意識する事なく、只単に管制技法上の問題のみに心を奪われていたのではなかろうかという事なのだが、極論すればその時彼等の頭には三原山の知識等存在しなかったのであり、だからもし三原山が無ければ事故は起り得なかったのである。
勿論管制員にとって空域内の障害物の位置高さ等は必須の知識であり義務化されているのだが、或は来日したばかりの彼等はその知識さえも無かったという事になる。
事実パイロット達は来日したばかりであったし或は管制員達も後述する様に或は朝鮮戦争の補充兵として来日したばかりであったのではなかろうか。それを裏付ける事実として当時の在日アメリカ兵の状況について、次の様なさまざまな事実が語られている。(続)