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「もく星号の真実(17)」  市川 武男
 
 その時、羽田タワーのAマンは、ストリップに書かれているクリアランスを事前に一読して確認する事をしなかった。
 ストリップがはさみ込まれているホールダーごと手にして、直ぐに木星号に送り始めたが、先程の「TA」の所まで来て一寸ちゅうちょする様な素振でBマンの方を見たが、すぐに続けて、
 「TATEYAMA」と読んだ。
 併し館山NDBならばPQであり、南関東エリアにTAという符号のF ixもビーコンもない。だからTAはPQを思い出せなかったBマンがそう書いたの(だろう)と考えた。併しATCにだろうという事は許されない。分らなければ必ず確認する、これが航空管制の鉄則であり、確認しなかったのはAマンの「大チョンボ」であった。
 それと今一つ、この様なM20/10’<PQという上昇制限は、絶対にあり得ない指示であるという事に気付かなかった事である。もしもAマンが事前に一読してこの事に気付いておれば直ぐにBマンに確認していた筈であり、クリアランスの読違い事件は未然に防げた筈であった。
 クリアランスを受けた木星号の機長もそれに気付かないままに復唱すると、それをそばで聞いていたBマンが突然、
 「TATEYAMAではなく、TAKF・OFFです!!」と言ったが、Aマンのけわしい目付きに黙ってしまった。
 Aマンも無言のまま直ぐに木星号にクリアランスの訂正を伝えて、機長が正確に正しいクリアランスを復唱するのを確認すると滑走路の方を眼で追いながら、
 「離陸支障なし」を伝える。やがて木星号がゆっくりと向きを変えて滑走路の中へ入って行くのを見届けると、其処でAマンの雷が落ちた。
 「ダッシュ・ワンぐらいしっかり覚えとけ」とBマンを叱ったのだが或はAマン自身にも、自ら事前に確認する事を怠った自悔の念が去来していたのかも知れない。
 「ダッシュ・ワン」、それは当時のアメリカ極東空軍が、軍の航空管制業務の処理規則として定めていたマニュアルの事であり、正式には「AAC Sマニュアル・一〇〇/一号」と呼ばれていたものである。
 これには文字通り軍の航空管制業務上の細かい諸手続などが記載されており、例えば前述のストリップと称する航空管制業務用の運航票の記入要領、或はIFRクリアランスを迅速正確に書き取るための記号、略号なども定められているものであって、これを熟知する事は管制員の義務でもあったのである。
 勿論この時Bマンが誤って使った記号がTAであったか否かは定かではないが、その時の状況から考えて、このクリアランス読み違い事件の原因は何か規定外の記号を使った事にあることだけは間違いあるまい。
 しかし何れにしても、この読違いトラブルは直ちに訂正されて、木星号の機長も訂正を復唱確認していることだけは、当時の日航モニター、即ち日航の無線傍受記録でも明らかであり、又政府の事故調査報告でも指摘されている事実である。
 所が実際には、その後多くの人が全く此等の事実を無視して、管制員のクリアランス読み違いそのものがこの木星号事故の原因であると認識して仕舞っているのは一体どういう訳なのか!!
 考えうる事は唯一つ。当時の調査委員会がその報告書の中で「この様な航空管制上の不手際が操縦者の錯誤を誘発する原因となり得たかも知れない」とした事、更には著名な作家松本清張がその著作の中であたかもこの管制員の不手際が木星号事故の真の原因であるかの如くに書いた事にあるのは間違いあるまい。
 真実を伝えるためと語る清張が、一体なぜ前述の様な明白な事実を無視したのかは不明だが、結果的にはそのために多くの人々に、この木星号事故について誤った認識を与えて仕舞った罪は余りにも大きい。
(つづく)








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