中野七頭舞
岩手県下閉伊郡岩泉町
出演/中野七頭舞保存会
町指定民俗文化財
奥州街道筋小本街道
中野七頭舞は神楽舞の一部で、「シットギジシ」を基本とした舞いであり、発端は天保時代にさかのぼるといわれています。当時、神楽太夫と呼ばれた工藤喜太郎は、36名の弟子がいて種々の神楽を舞うことができました。神楽太夫は毎年巡業をし、北は久慈から南は山田、大槌と舞い歩き、好評を得たと言われています。この喜太郎が神楽舞の一部を取り入れてこれを基本とし、中野に七頭舞を創始したといわれています。当初は神楽で踊られていたのですが、時代とともにうつりかわり、集落の祭典に奉納されるようになりました。五穀豊穣、家内安全、大漁を祈願して踊る元祖的存在の七頭舞は、勇壮活発な舞いです。