世界人としての僕らへ
田村 寿英(山形大学医学部医学科5年)
世界は今、大きな岐路に立たされている。研修を終えて、この時代という混沌としたうねりの中で、我々は何をし、どこへ向かうべきなのかを真剣に考えさせられた。長いものに巻かれ、大きな流れに身を任せがちな現代の日本の風潮に、どっぷりと染まりきっていた自分を反省し、自ら考え、目的を持って行動することの大切さをひしひしと痛感している。
明治維新の前後、日本では数多くの偉人が生まれてきたが、なぜあの時期に集中して多くの優秀な人材が存在していたのかは、今でも多くの議論がなされている。私は、様々な立場の人が一つの目標に向かって、多くの意見を議論しあったことがその成因の一つであったのだろうと思う。日本という国を憂いた若者達が日本国中を歩き回り、日夜熱い議論をたたかわせた。これはまさしく、この研修の仲間達にも言えることではないだろうか。
日本を含め、世界の人々の苦しみや悲しみを憂い、自分達は何をすべきなのか、そして、日本として世界の国々に何を示すべきなのかについて、各々の思いや考えをぶつけあい議論しあう。今まで漠然とした概念でしかなかったものが、言葉にし、声にして発することによって、ぼんやりとではあるが次第に形を帯び始め、人に批判・共感されることを繰り返すにつれ、明確な境界を持った観念へと成長する。この喜びは何にも変え難い。将来、この仲間の中から世界に貢献できるような人材が生まれることを願いつつ、同時に私もその中の一員になりたいと思う。
今回の研修を通じて私は、様々な人と交流することや喜怒哀楽を共有することが、自分の枠を、そして、他人の枠を広げる意味でも大変に重要であることを強く再認識させられた。これからの国際社会における様々な問題について考える時、やはり一番大事になってくるのは知識ではなく、今まで出会った人々や友人達である。なぜならば、知識というのは単なる原石に過ぎず、それが実用に耐えうるものに磨かれていくのは、友人らとの取り留めのない議論や語り合いを通じてであるからである。確かに自ら考えることはとても大切なことである。しかし、時としてそれは独り善がりになってしまう危険を伴う。人間は完璧な存在ではない。一人で全てを見ることなど出来はしない。人はそれぞれ少しずつ違った判断や枠組みを持っているのである。知らず知らず出来ている「自分という壁」を気付かせてくれるのも、それを壊してくれるのも、そういった自分とは違う視点を持っている友人達なのである。小さな人間になってはダメだと自分に言い聞かせた。
パヤタスの人々との交流を通して、人の幸せとはなんだろう、真の援助とはなんだろうと深く考えさせられた。現実の困難を乗り越えるために、いつも明るくしているという面もあるとは思うが、どんなに大きな困難にぶつかっても、明るく前向きに生きている人も多くいて、そういった意味でも、必要以上の援助というものは人の幸せを逆に損なってしまう気がしてならなかった。医療の本質、国際援助の本質とは一体なんだろうと大いに考えさせられた。また、彼らとの交流を通じて強く考えさせられたことは、貧しい生活の中で、心までもが貧しくなってしまった人達の存在についてである。先進国においても開発途上国においても同じことが言えるが、本質的につまらないものである人生を、いかに楽しく、幸せに生きるかはその人の心の持ち様であり、逆に言えば、心までも貧しくなってしまった人は、毎日を絶望と苦しみのなかで過ごさざるを得ない。そういった人々を助けたいと強く感じた。
今回のフィリピンでの研修を通じて、援助というものについても改めて考えさせられた。援助とは、医療などの一面だけを取り上げて行われるべきものではなく、その国の歴史・文化・習慣・政治・経済などをしっかり学んだ上で、多角的な視点から行われるべきであると感じた。しかし、そこにこそ国際保健の難しい面があるのだとも思った。
日本では高度な医療ばかりが注目されているが、開発途上国でも先進国でも、医療の本質で一番大切なことは、自分の手や聴診器で疾病を診断できる技術と、他人を思いやる心である。JICAのフィリピン家族計画・母子保健プロジェクトを見学するに当たり、Tarlac州にてBarangay Health StationやRural Health Unitなどの一次医療施設を訪れ、そのことを強く感じた。Primary Health Careの重要性を再認識させられた。
国際保健とは、突き詰めていけば、最終的にはマクロの人と人とのつながりである。それ故、重要になってくるのは、毎日のミクロ単位での人と人との交流である。日々の身近な人々との交流が、将来のマクロの人と人とのっながりに通じるのであり、毎日の何気ない人とのコミュニケーションが、身近な国際保健の入り口であると私は感じている。
もちろん私も完璧な人間ではない。私の中に差別や偏見が全くないといったら嘘になる。この自分の心の弱さを克服するためにも様々な立場の人と出会い、交流し、物事を多角的に見れるようになることは大変重要なことである。いや、むしろそう見れるようにならなくてはならない。私の高校で何度となく教え込まれた言葉がある。
「違いを認めあって、思いやりの心を」
この言葉は、今でも多くのことを私に示唆してくれている。自分という枠に収まりきらないくらい、大きな人間になりたい。「少しくらいはみだしたっていいじゃないか」そんな声が、私の中でずっと木霊している。そして、その声は、フィリピンから帰ってきて増々大きなものになっている。
国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して
橋口 聡子(宮崎医科大学医学科5年)
研修期間中、WHO, DOH, JICA, NGOなどを訪れ、その活動を見学するのは非常に興味深かった。中でも一番心に残ったのがパヤタス地区への訪問である。
日本の終戦直後(話でしか知らないが)をイメージして行ったのだが、家にはテレビがあるし(ただしゴミだったものを修理して使っている)、子供も大人も笑顔がまぶしくて、生ゴミの臭いと蝿や蚊にさえ慣れれば一見平穏。貧しくとも家族がいたわり合う暮らしぶりは「日本では失われたもの」とよく形容されるあたたかい光景だった。
しかし、ゴミから汚染ガスは発生する、栄養不良や結核で亡くなる子もいる、治安は悪い、子供達の下痢はしょっちゅうと、身体の安全は常におびやかされている。そして、たとえ援助を受け小学校を卒業したとしても、なかなか職はない。「将来は警察官になりたい」と目を輝かせるかわいい男の子。でも小学校を卒業しただけでは、結局またゴミ集めをするしかないのが現実だという。
スラムを離れれば都会には高層ビル街があり、田舎にはのどかな田園風景が広がっている。貧富の差も、それを見逃す無関心も、世界中にあるものなのだが、、、。同じ地球に同じ人間として生まれて、この差は一体なんなのだろう。
国際協力という仕事は、社会に貢献するという意味で非常にやりがいのある仕事だ。しかし、自分の理想と現実とのギャップや、物事を実現させることの難しさ等で悩むことも多いだろう。自分にそれを乗り越えられるだけの力があるだろうか。自信はない。それでも、今回の研修で現場で働く魅力的な人々に会い、自分もこんな仕事ができて、こんな人々と働けたら幸せだろうなあ、と強く思った。時間はまだある。これから、その力をつけていければよい。
帰国以来、いつも考えているのは将来のために私はどうしていけばよいのだろう、ということだ。バルア先生に出されたself identityの宿題、“How shall I go there?”を常に考えながら、生きていこう。
このようなすばらしい研修に参加させて頂き本当にありがとうございました。関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。
目覚まし時計
橋本 恵子(愛知医科大学医学科5年)
今回のフィールドワークを振り返り、私の中で大きく膨らんできたことは、「教育の意味とは?」という問いだった。恥ずかしながら、フィールドワークに参加する以前は教育の意味など考えようとしたことさえなかった。与えられていることが当然で、疑問さえ抱かず解っているつもりでいた。私が教育について考え出したのは、フィールドワーク中のある出来事がきっかけだった。私はその出来事でみなさんに迷惑をかけてしまい、当然怒られるのだろうと思った。しかし、指導専門家のBarua先生や事務局の泉さんは、私が自分で考えるよう指導して下さった。深い愛情のある教育だと思った。
教育とはどういうものなのだろう?国際保健を考えていく上でも無視することはできない部分であり、「金、機械、車」の、日本の今までの援助を「健康、志」の援助に変えていくためにも重要なことである。草がぼうぼうに生い茂ったトイレの写真をBarua先生に見せて頂いた。保健衛生活動としてトイレは作ったが、使うことの意味を教えなかったために普及せず、客人用にと鍵がかかったままになっていたらしい。教育の必要性を強く考える例であった。では、どの様な教育が必要だったのだろう。また、その教育を意味あるものにするためにはどのようなものが必要なのだろう。
本当の援助というものはとても複雑で、多くの知識と技術が必要だ。WPRO事務局長の尾身先生が「心は国際保健をやる上で必要条件だが充分条件ではない。技術を身に付けなさい。そして語るべきものを持ちなさい。」と仰っていたことを思い出す。マニラでストリートチルドレンに出会った時、とても悲しかった。でも、私に出来ることを何も見つけることができず、ただその場を去ることしかできなかった。立ち去った後、胸がいっぱいになった。私も語るべきものを見つけたい。技術の必要性という意味での、教育の重要性を感じた経験であった。
パヤタスのスモーキーバレーでは、小学校に通いたくても通えない子供達がたくさんいた。彼らの夢はパイロット、コンピュータープログラマー、医者がほとんどらしい。彼らは他の選択肢を知らない。そして、教育を受けられない彼らの夢は、いとも簡単に社会に潰されていく。日本ではなかなか見られない現状だ。私は最近のいじめ問題や児童虐待問題等で、日本の義務教育制度に対してあまり良いイメージを持っていなかった。しかし、それは「質」の問題であった。教育を受けられることは素晴らしいことだ。与えられることに慣れすぎて、教育を受けるという最低限の権利の重要性を見失っていた。報道で知るだけで、この重要性を方程式の答えのようにしか思っていなかったのだ。
また、ここで教育の質の問題に戻るが、私なりに学んだことでは、教育は親が生まれたての赤ちゃんにかける愛情から始まり、人間が生きていく上でどの様な場面でも関わるものであり、それは決して与える側のエゴであるべきではなく、受ける側もまた傲慢であってはならない。そして、目的は個人のアイデンティティの確立ではないかと思う。よって与えすぎることはその確立を妨げる。日本の教育の問題点はここにあるのではないかと思った。
しかし、実際与える側になるととても迷うと思う。受ける側も、教育を理解するのには時間がかかる。正直、私もまだよく解らない。冒頭の問いに対して思ったことは教育とはキャチボールではないかということ。どちらかがグローブを持っていなかったり、手に怪我をしていたり、投げる方法を知らなかったらできない。また、それなりの広場がないとできない。教育にとってグローブは受ける側、ボールは与える側の知識と技術であり、手は心の状態、方法は手段、広場は環境、歴史である。
私の今の願いは、ストリートチルドレンに、パヤタスの子供達に、もっとたくさんの夢を持てる環境が欲しいということだ。確かに、彼らが教育を受けることで幸福になれるとは限らない。パヤタスの子供達の笑顔はピカピカだったし、今のままでいいのかもしれない。これは私のエゴなのだろうと思うが、あんなに輝く彼らの笑顔が社会に出て消えてしまうことがあれば、それはとても悲しいことである。今彼らが抱く夢を叶えたい。子供は純粋であるがゆえに、どんな武力にも負けない力を持っているのだと思う。小さいからといって見過ごすと、人類はとんでもない過ちを犯してしまうのではないだろうか。
今回のフィールドワークに参加できて、私は幸せでとても贅沢な経験をさせて頂いたと思う。国内研修で、フィリピンで、これから自分のアイデンティティを確立していく上で大きなカギとなることを学べた。自分の中にたくさん持っていた甘えに一つずつ向き合っていける気がした。今の私では表現することのできない多くの語るべきことを、たくさんの笑みを、暖かい眼差しを、また厳しさを教えて頂けたと思う。この場を借りて、この様な私にとても素敵な教育を与えて下さった方々に感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。これからこの経験を少しずつかみしめて、私も自然と与える側になれればと思います。
そして11日間、一緒にたくさんのことを学びあった13人の大切な仲間達へ、これからもよろしくね!!
国際保健に対する私の思い
五十嵐 岳宏(三重大学医学部4年)
私は国際保健活動や市民活動を見ていると元気が湧いてきます。国際保健活動の醍醐味は、「自分がこの社会の一員なんだ」という自覚を得ることや、「自分も社会に役立つことができるんだ」という喜びを得ることができることだと思います。
このフィールドワークフェローシップ参加後に、私は三重大学でカンボジアスタディーツアーを主催する機会に恵まれました。その時に知識や経験、バックグランドの違い故に、チームとして行動する難しさを学んだと同時に、考えの広さと奥行きを知り、一つのことを成し遂げる喜びも感じました。すべてがパーフェクトだったとは言えませんが、ツアー終了日に「楽しかったです」、「勉強になりました」と、複数の参加者から言われたときは企画してよかったと思いました。また、2〜3人から「自分も来年、企画したいです。」といわれました。これこそ企画者の本懐(?)ではないかと思いました。このようなツアーの体験を紹介したのは、一つの新しいことを企画し実行する点で、国際保健活動に通じるところがあると感じたからです。
私はこのフィールドワークフェローシップに参加して、WHOの概略、JICAによる医療協力、フィリピンの医療システム、ハンセン病、結核、寄生虫症など、国際保健分野の重要なトピックスについて勉強させて頂きました。同時に、今後、医師として国際保健に関わる上で必要とされるパーソナリティーを教えて頂きました。
特に、大谷先生、紀伊國先生、尾身先生、バルア先生のお話にはこれからの進路、ひいては自分の生き方に羅針盤を与えて頂きました。国際保健の分野だけに限らないとは思いますが、高度医療技術や検査値を読み取れることよりも、自己アピール能力や他人の気持ち・考えを汲み取れること、一つの方法だけではなく、状況に合わせて方法を試行錯誤していく創造力と忍耐力、寛容力が大切であると思いました。その中で、実際に活動することや感じることの“経験”と、自分自身をみつめる“哲学”の重要性を感じました。
今後は以下の三つのことを行いたいと思います。一つは地域医療の体験(助産所や診療所)を積むこと、二つ目は英語雑誌のトピックスを一日二つ読むこと、三つ目はフィリピンの情勢に目を向けることです。
最後に、笹川記念保健協力財団の方々、講師の先生方、訪問先の方々、指導専門家のバルア先生、財団の泉洋子さん、推薦して頂いた鎮西康雄先生、そして参加メンバー、この企画に携わったすべての方々に感謝申し上げます。素敵な出会いに精一杯の敬意を表して結びとさせて頂きます。