国際保健協力フィールドワークフェローシップに参加して
植木 絢子(大阪医科大学医学科4年)
私が本研修への参加を希望した主な理由は、実際に国際保健の現場を見て、将来の方向性を見定めたかったからということと、国際保健協力は本当に必要なのかという自分の中にある疑問を解決したかったからです。
途上国の人々は、先進国による介入を迷惑がっているのではないかと思っていました。彼らには、彼らの伝統的なやり方があり、それを当たり前とみなし、独自の価値観の中で幸せに暮らしているのではないかと思っていました。先進国が余計なことを教えたために、却って不幸になっていはしないかという懸念を持っていました。また、人口爆発が問題なら、見て見ぬ振りをしておく方が、人類全体としては利益につながるのではないかと考えていました。日本国内にもまだまだ解決しなければならない問題が山積していると思われ、日本人は日本のことをするべきではないのかと思っていました。
ところが、当研修に参加して考えが変わりました。私は国境や民族を区切って考えていました。病気で苦しんでいる人がそこにいるなら、その人が何人であろうと、国籍がどこであろうと、病気で苦しんでいる日本人に対するのと同じように助けるべきなのです。その上、世界の一体化は進んでおり、国と国はもはや無関係ではいられなくなっています。人口問題は、実は先進国の介入によって作り出されたものであることを知りました。今では、当初の誤った対策を見直し、新しい手法で介入することで、長期的には人口問題の解決とHealth for Allの実現が見込まれています。
「研修に行く前の私と、同じ考えをもったクラスメイトが多い。どうすれば彼らの考えが私のように変わるだろうか。」と、総括ミーティングで他のフェローに質問されました。その時私は答えることができませんでした。何が私の考えを変えたのか考えてみました。今言えることは、実際に現地の人と触れ合い、自然と情を湧かすことだと思います。ピナツボ火山の麓から片道5時間かけて、歩いて保健所へ検診にやってきた母子を見て、愛しく思うことだと思います。
富者は益々富み、貧者は益々困窮する経済システムの中に生きる貧しい人。その人は何も悪くありません。一生懸命生きているのです。しかし、その人の努力だけでは生活は改善しようがありません。「今の生活に満足していますか?」「いいえ、でも一体どうしろと言うのだ。」「あなたに魔法の杖があったらどうしますか?」「一番の望みは子供に教育を受けさせること。二番は私の病気を治して欲しい。」その答えてくださったのは、乳がんで親指大のしこりが左胸にできており、時折痛むのが辛そうだった、パヤタスで暮らす母親です。子供たちは学校へ行けず、母と共にゴミをあさって生計を立てています。SALTの方の話によれば、あまり長くは生きられないそうです。告知はされていません。
またハンセン病は、兼ねてから興味を持って取り組んできたテーマでした。そのこともあって、当研修に参加したいと強く願ったのでした。参加するまでは、ハンセン病訴訟において厚生労働省が悪いと思っていました。研修に参加して先生方のお話を伺ってみると、厚生労働省が全面的に悪いわけではないと思うようになりました。私はマスコミに流されていました。今回参加できていなければ、そのことに気付く由もありませんでした。新聞には真実が書かれているとは限らないなんていうことは初めての概念でした。何が真実か、報道を鵜呑みにせず、常に自身で追い求めなければなりません。真実が葬られることをやりきれなく思います。
今回の研修で、初めて官と国際機関に触れることができました。この研修に参加できていなければ、見ることもなく知らないままに過ごすところでした。
尾身先生は、一生灯火になるお話を情熱的にして下さいました。他のフェローの方々があまりに立派なので気後れしてしまいますが、フェローの一人になれたことを誇りに思い、それぞれの世界で活発に活躍されている先輩を目指して、いつの日か私も、フェローのOGにふさわしい人間になれたらと思います。じっと自宅にいたら想像も及ばない数々の貴重な経験をさせていただくことができました。また、すばらしい先生方やフェローの皆さんと出会うことができました。皆さんとのつながりを途絶えさせることなく大切にしていきたいです。
この研修で学んだことは一生の宝物です。参加させて頂きましてありがとうございました。
自分と見つめ合い、みんなと共に考えた毎日
岸 暁子(札幌医科大学医学科3年)
私は、このフェローシップに参加する前は、正直自分がこれほどまでに素晴らしい体験ができるとは、また、これほどまでに素晴らしい仲間に会えるとは思っていませんでした。みんなは、知識だけではなく、人間性も備えたとても魅力的な人たちでした。まず初めに、出会った人々と、貴重な機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団の方々に厚くお礼を申し上げます。
高校時代は文系で、1年ほど在籍した大学も社会科学学科というこてこての文系人間の私は、医者という職業の前に、国際協力という分野に惹かれ、それから自分の興味、適正として国際保健を選び、大学を変えました。いわば、普通とは順番が逆なのでしょうが、フィリピンから帰ってきてからつくづく思うのが、実はこの体験が、私に他の分野への興味も抱かせてくれたのだろうな、ということです。つまり、私の興味が公衆衛生だけにあったのが、臨床へも広がったのです。国際機関で働きたかった私にとって、地域医療や感染症の研究など、臨床そのものに興味がもてたことは大きな収穫でした。しかし、ただ単に興味が広がっていったわけではありません。国際機関や日本の医療機構のさまざまな職種をみて、自分の将来へ対するビジョンが具体化したという側面もあります。今回、私が自分に対して、常に問いかけが必要なのだと実感したことは、自分のことをしっかり見つめて、適正、不適正をしっかり見極めていくことです。
また、私は本当の意味での教育を、今回の研修で得られたと思っています。それは、自分達が医学生である前に、一人の人間としてものを見つめ、行動する力を求められたからだと思います。責任を持ちながら行動すること、五感で感じたことに対して、感じるだけではなく、どうすればいいのかと、一歩踏み出して考えること等々、出会った素晴らしい人々との対話で、多くに気付くことができました。これから日本に戻った私達には、日々の生活の中でそれらを実践していくことが、実はすごく難しいことですが、求められているのだと、感じています。
私が今回感じ取った国際保健とは、慈悲の心で物を与える援助ではなく、現地の人々がその援助によって自立していくものを裏方で支えていく、というものでした。直接感謝されるわけではないけれども、健康なその状態をみて満足感を得る、黒子としての役割に喜びを見出せる人こそが国際保健に携わるのに適した人材かもしれないと、地域医療の現場を見に行ったとき思いました。どんな現場にいっても、現地スタッフの笑顔から、その仕事への誇りを感じました。
一番心に残ったのは、現実としてのパヤタスです。なぜ、あそこに居続けるのか。それ以外の方法はないのか。政府は現状をどうしたいのか。単に、公衆衛生的アプローチでは終われない厳しい現実を目のあたりにした時の切ない気持ちは、できることから始めているSALTを見たとき、ほっとしたと同時に、NGOだからこそできる領域も見た気がしました。1つの国としての問題にはJICAが、多国間の問題にはWHOが関与していくこの自然な分担を見て、私は改めて全ての機関の重要性を感じることが出来ました。
しかし、さらに私の心にずっと残るもの、それは笑顔です。大事なことは、本物の笑顔がその場所にあることだと思いました。白黒写真に、とってもきれいに写るもの、それは笑いジワです。親しい人以外にはあまり笑顔を向けない日本からきた私達ですが、笑顔って人に移るのですね。日が経つに連れて、みんな、どんどん素敵な笑顔になったと思います。私にとって、写真の被写体が、現地の人々だけではなく、みんなも撮りたい!に変わりました。次回会うときも、みんなあの笑顔で会いたいなあ、と思っています。そして、私自身も笑顔を忘れないで生きていきたいです。
最後にもう一度、13人の魅力ある仲間と、バルア先生、泉さん、笹川記念保健協力財団の皆様、日本でお世話をしてくれた方々、フィリピンでお世話をしてくれた方々全てに、この素晴らしい機会を与えてくださり、サポートして下さったことへ心から感謝申し上げます。
私の、人生の宝となる素晴らしい日々でした。
スタート
山田 祐介(福岡大学医学部3年)
国内研修2日間、フィリピン研修9日間、振り返ると本当に充実した11日間だった。
公衆衛生学の先生にこのフィールドワーク・フェローシップを紹介され、海外での医療活動に漠然と興味があった私は、国際保健がテーマであることをあまり理解しないまま参加した。現場を見られることに対する期待感と、学外活動への参加に対する緊張感を持って臨んだ国内研修の初日、諸先生方の講義を受け、活発に質問をしたり、生き生きとしている周りの学生たちを見て、それまで臨床医になることしか考えていなかった私には、場違いかもしれないと感じた。しかし、興味深いプログラムと魅力的な人たちとの出会いを前に、自分のようなメンバーがいても良いのではと開き直り、フィリピン研修を迎えることができた。
フィリピンでの毎日は初めて経験するものばかりで、頭の中はすぐに飽和状態となってしまった。新しい知識として勉強になるのだが、その知識を整理するまではできなかった。ある夜のミーティングで、そのために意見や質問ができないでいた私に、何人かのメンバーが「主観」を言えばいいのだと教えてくれた。それまで私は「客観」や「客観を通しての主観」を言うことが多く、「主観」を言うことに慣れていなかった。フィリピンでは、知識がないために「客観」が分からず、「客観」が分からないために何を言えばいいのか分からなかった。考えてみればフィリピンに行く前から、親しい友人達からは「主観」を言わないことを指摘されていたように思う。それまでは「客観」が分からないという状況がなかっただけであったということが、今回初めて理解できた。
結局、そのミーティングから今でも、まだ「主観」をうまく言えるようにはなっていない。国際保健に限らず、人として生きていく上でコミュニケーションは欠かせず、「客観」でも「客観を通した主観」でも「主観」でも、とにかく相手とやりとりしないとそれは成立しない。私のこれからの課題が一つはっきりとし、新たなスタートが切れた。
国内研修・フィリピン研修のメンバー、バルア先生、泉さん、その他関係者の皆様、このプログラムに力を提供して下さったすべての方々、私を育てて下さったすべての方々、ありがとうございました。
フィールドワークフェローシップに参加して
飯田 哲平(国際医療福祉大学医療経営管理学科3年)
今回の研修に参加できたことは、私にとってかけがいのない経験であり、他では得難い、様々な人達の個性、価値観に触れ、新しい発見に満ち溢れた11日間であった。
今回の研修に参加したきっかけは、地域医療に興味を持つうちに、国際分野における医療協力ではどのようなことが行われているのか、実際に見てみたいという単純なものであった。開発途上国であるフィリピンでは、医療援助のアプローチをして行っても、政治・経済・宗教・衛生環境・教育などの分野で、超えるべき厚い壁がたくさんあった。そのような状況の中で、国際機関であるWHOで講義を受け、日本の政府機関であるJICAのプロジェクト現場を見せて頂いた。そして、事実を正確に知りそれを受け止め、そして、安泰を求めるのではなく挑戦していくことにより、大きな影響、成果をあげられるのだということを、そこで働く人達のエネルギーを肌で実感することが出来た。非政府組織の活動としては、パヤタスのスモーキーバレーを訪れたとき、そこで活動するSALTの方々と話が出来たことは良い刺激となった。そこに暮らす子供達の、ものすごく生き生きしている笑顔が忘れられない。しかし、どうすることもできない現実を知り失望する子供達がいると聞き、この現状をどうすべきか考えるとつい悲観的にならざるを得ない。
では、私はどのような形で国際保健に携わっていくことができるかと考えた時、迷いを否めない。私は将来医者になるわけではない。何が出来るのか?何がしたいのか?なぜ国際協力をしたいのか?そんな思いが最高潮に込み上げてきたとき、Dr. Barua が“自分へ問いかけ、自分自身を理解しなさい”とおっしゃられたその言葉が私の中に強く響いた。知識によって裏付けされた思想・哲学をしっかりと持つこと。そのためにまず、私自身を磨くこと。少々楽観的ではあるかもしれないが、今自分に出来ることにベストを尽くしていく中で、道は開けてくるのではないか。大きな壁にぶつかったときには、必ずその人自身のidentityが問われてくるに違いない。将来、今回経験したことの多くが、必ず活きてくると思った。このフィールドワークで知り合った方々から得られた理解の幅が、自分自身の幅を広げてくれたと思う。
この場をお借りし、貴重な機会を提供してくださった笹川記念保健協力財団と、学生達を支えてくれたDr. Barua、泉さん、そして、このプログラムに関わってくださった全ての方々に厚く御礼申し上げます。最後に、13人の大切な友人達へ、ありがとう。この出会いを生涯の宝にしていきます。
謝 辞
この報告書は、医学・医療を学ぶ学生たちが、国内研修のあと、日本を離れ、フィリピンの風土に接し、熱帯の自然のなかで、地域の人たちの優しさに触れ、体いっぱいに受け止めたことを、記したものです。
各々が、大学に戻り、この夏の足跡を振り返ってみると、これまでははっきりと見えなかったことが、少しずつ、形を帯びながら認識されるように思います。
再び、基礎医学あるいは臨床医学の実習に追われるなかで、日常の医学教育において、大きな比重を占めるのは、健康に対するミクロな見方、すなわち、病気をどのように予防し、治療し、さらには、終末期に看取ることが中心であることに改めて気づきます。それは、現実に、差し迫った問題であるからに他なりません。
しかし一方で、私たちはこのフィールドワークを通じて、個々の疾病を対象にしただけでは見通せない問題が、厳然と存在することも目の当たりにしました。それらは、人口や環境の問題であり、開発途上国の健康問題であり、言い換えれば、Public Health の対象となるものです。
今、私たちは、日本の内外でPublic Health にかかわることが、いかに刺激的で魅力あることかを実感しています。そして、フィリピンで共感し、連帯し合った学生たちが、「まず、できることからはじめよう」と、それぞれの大学で、国際保健協力にかかわる活動を展開しようとしています。そこでは、自らの好奇心を満足させるものにとどまらず、周囲の人々とともに、国際協力のあり方を、個々人が模索しはじめています。
このフィールドワークの締めくくりとして、生涯忘れ得ぬ数々の出会いを光栄に感ずるとともに、私たちの進む方向を考える上で、大きな示唆に富む経験となりましたことに感謝いたします。
また、本プログラムは、厚生労働省、国立国際医療センター、国立感染症研究所、国立療養所多磨全生園、国際協力事業団、(財)結核予防会結核研究所、世界保健機関、フィリピン保健省、大学、NGO関係の皆様の理解あるご協力のもとに成立いたしました。
フィリピンの人々は、本当の豊かさとは何かを示して下さいました。
さらに、日本とフィリピン双方の医療に精通し、「現場から学び、自分の道を築くこと」の醍醐味を教えていただいた指導専門家のスマナ バルア先生に深謝いたします。
終わりに当たりまして、今回このフェローシップを企画し、我々に貴重なチャンスを与えてくださった大谷藤郎企画委員長、また紀伊國献三理事長をはじめとする笹川記念保健協力財団の方々に心より感謝いたします。
東海大学医学部 佐々木 将博