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8月5日(日)
本日のスケジュール・内容
1) バルア先生の講義
2) パヤタスのゴミ山崩落現場訪問
 
1) バルア先生の講義
 a) 学生からの質疑応答
 b) Self identityの確立
 c) フィリピン大学医学部の特徴
 d) 研修中の課題
 e) 名句
 
 バルア先生に講義をしていただいた。始まる前に先生から、現在、アメリカで開発経済を勉強されている川畑摩記さんをご紹介頂いた。今回は大学が休みのため、フィリピンにはNGOでのボランティア活動のために来ているとのことで、本日のスケジュールに同行して下さるとのことだった。
 バルア先生のお話は今後の研修、ひいては生き方を考える上で参考になる講義内容で充実感が得られた。(今回は過去の報告書に記載されいる名句は割愛させて頂いた。)
 
a) 学生からの質疑応答
 始めに、学生から今までの講義についての質問があり、それに答えて頂いた。そのうちのいくつかを以下に簡潔に記した。
Q:なぜ80年代、国際保健では人材援助ではなく資金援助を行なったのか?
A:人材の育成機関がなく、人材不足であった。そのため、1992年に東京大学で国際保健計画学教室が設立された。今までの国際協力は金(Ka)、機械(Ki)、車(Ku)が中心だったが、これからは健康(Ke)、志(Ko)が重要だ。WHOの定義では健康とは肉体的、精神的、社会的、spiritualに良好な状態をいう。志があれば持続的な活動となる。
Q:なぜ日本は国際協力を行うのか?
A:日本はnatural resourcesが少ないため、近隣諸国と協力する必要があるから。
Q:国際協力の現場において、バルア先生と日本のやり方に差はあるか?
A:私は自分のできることをする。お金がないが学生と交流し育てることはできる。このフェローに関わるのも、お世話になった笹川記念保健協力財団への感謝と同時に学生と付き合う機会だからだ。
 
b) Self identityの確立
 先生はself identityを確立することの重要性を指摘された。その為に、
  Who am I?/Where did I come from?/How did I come here?
  Where shall I go from here?/How shall I go there?/What shall I do there?
 以上の質問に対して、英語で自分なりの答えを持つようにアドバイスされた。また、自分の長所と短所を見つめる視点と、物事を行う時のadvantageとdisadvantageを考える視点が大切と言われた。
 
c) フィリピン大学医学部の特徴
 先生はまず、医学部教育での2つの問題、1つはBrain-Drain、もう1つはMaldistribution of Human Resource for Health、を指摘された上で、フィリピンではチュートリアル教育で患者の病歴をディスカッションしていることを紹介された。患者の健康を考える上で、目の前の病態のみならず、経済的、社会的、文化的、政治的、教育的な背景も考慮する重要性を指摘された。たとえば、「頭が痛い」と訴えてきた患者に対して、レントゲンやCTで検査から異常なしと判断し、単に頭痛止めを処方して終わりではなく、リストラや妻とのケンカによるストレスによるものか、酒豪家ではないか、など患者の話を聞く必要がある。
 
d) 研修中の課題
 バルア先生は仕事先や旅先で出会った人々から多くの事を学び、自分の生き方を問われた経験を話され、私達に“It is better to travel than to arrive”という言葉を紹介された。次に、自分が医師になる意味を考える重要性を指摘され、以下の課題について研修終了までに答えを考えるように言われた。
 
 25年後、日本はどうなっているでしょうか。
 25年後、あなたはどんな国に住みたいですか。
 25年後、住みたい日本にするために、今、何に取り組みますか。
 
e) 名句
 バルア先生が講義のなかで話された名句を以下に記しておく。
 
 「人々の中へ行き、人々とともに住み、人々を愛し、人々から学びなさい。
 人々が知っていることから始め、人々が持っているものの上に築きなさい。」
 
 「本当に優れた指導者が仕事をした時には、その仕事が完成したとき、人々はこういうでしょう。「我々がこれをやったのだ」と。」
 
 「彼の名は今日
 我々は多くの過ちや間違いを犯している。
 しかし、最大の罪は子供達を見捨てていることだ
 その生命の泉を無視していることだ
 多くの必要なことは待つことができる
 しかし、この子にはそれができない
 この子に対して「あしたね」ということはできない
 この子の名は今日なのだ」
 
 「Nobody is an island」
 「It is better to travel than to arrive」
 
2) パヤタスのゴミ山崩落現場訪問
 a) SALT訪問とゴミ山登り
 b) 家庭訪問
 
a) SALT訪問とゴミ山登り
 フィリピンニ日目の午後はパヤタスを訪れた。ここはマニラ地域のゴミ投棄場と化している地区である。ここには約10,000人のscavenger達が生活している。
scavengerとは、ゴミの中から換金可能なリサイクル品を拾って収入源(100ペソ/日)にしている人たちである。大抵、地方からマニラに出稼ぎに来たが、失業してscavengerとなる者が多い。2000年7月に長年蓄積されたゴミ山が崩れて多くの住民が生き埋めにあった事故は日本でも報道された(死亡:約200名、行方不明:100〜300名)。
 そして、私達は現地で活動している日本のNGOであるSALTを訪問した。SALTは通常の活動として、奨学金、貧困家庭児のための補習教室、栄養失調児のための給食、週間無料診断、医薬品廉価販売、授産事業を行なっている。また、ゴミ山崩壊事故直後では緊急援助物質分配、緊急医療援助も行なった。
 まず始めに、代表の渡辺恵美子さんから配布された資料「SALTパヤタス・スモーキーバレー」を参考に、スタッフの小川博さんからSALTの活動およびボランティアを紹介して頂いた。また、フィリピン大学に留学中で、SALTでボランティアをされている大阪外国語大学の学生二人(園田さん、眞田さん)に家庭訪問時の通訳として加わって頂いた。二人は事前に家庭訪問をし、その家族構成、バックグラウンド、健康状態を調査して下さっていた。
 
 
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パタヤス ゴミ山の風景
 
 
 次に、長靴に履き替えゴミ山崩壊事故現場へ見学に行った。(事前に購入した長靴は使わず寄付しSALTにあった長靴を使った。)ゴミ山は私達の想像以上の悪臭が漂い、所々からはメタンガスの煙があがり、流れの遅い川は墨汁のように真っ黒でゴミを浮遊させていた。事故発生以来いまだに生き埋めのままの人もいるという。ヒトが生み出したゴミが溜まり、それによってヒトが死んだことを考えると複雑な気持ちになった。ちなみに、蚊がたくさんいるため、ここに行かれる方は予め蚊よけスプレーをかけるか、長袖・長ズボンで行くことをお勧めする。
 
b) 家庭訪問
 ゴミ山見学をした後、4つのグループに分かれて家庭訪問をさせて頂いた。SALTのローカルスタッフと小川さん、川畑さん、園田さん、眞田さんがそれぞれのグループに付き添い、通訳して下さった。ここでは、1つの家庭訪問の記録を紹介する。
 
 
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ロンカルスさんご一家と共に
 
 
ロンカルス家訪問
 ロンカルスさん一家は8人家族である。ゴミ山の上にあるお宅へ訪問すると、母親のオーロラ・モデホ・ロンカルス(44歳)さんが迎えてくれた。一家は故郷の東サマールからマニラに出てニンニク売りをしていたが、高い食費や家賃で生計が成り立たなくなり、パヤタスに移りscavengerとして毎日100ペソの収入で生計をたてている。両親と息子3人が働いているが、scavengerの利点は畑仕事とは異なり、収入が季節に関わりなく安定していることである。訪問の途中に三男のエフレン(13歳)がゴミ拾いから帰ってきた。長女のアンジェリ(27歳)は結婚し、バタアンで暮らしているが、両親に仕送りをする余裕はない状態という。
 ゴミ山崩壊事故での家屋の崩壊は免れたが、この事故で近所の人々が亡くなったのは最も辛いことだと、オーロラさんは語った。現場の見学だけでは事故があったという実感はなかったが、オーロラさんの話を聞いて一年前の事故の傷跡が未だに住民の心の中に残っていることに気付き、ショックを受けた。しかし、オーロラさんはゴミ山が再び崩壊する危険も、ゴミから発生する気体が体に有害であることも知っているが、scavengerとしての生活は収入が安定しているため、このまま暮らしているという。最大の問題は失業率が高いことで、scavenger以上の収入を得られ、かつ安定している職がないことだという。
 今回の訪問で、一つの家庭を掘り下げることの重要性を認識した。ロンカルスさん一家というミクロな状況を詳しく知ったことで、危険な職業、scavengerが生じるマクロな問題点を垣間見られた。
(担当:五十嵐岳宏)
 
 
8月5日 今日の一言 〜パヤタス、スモーキーバレー〜
飯 田: ブラウン管の前と現実とでゴミ山を見るのは全く違う。
五十嵐: 自分で想像できない生活を家庭訪問で見れた。今後、国際保健を考える上で参考になると思う。
植 木: 今までに見た貧しい集落の中で最も貧しかった。想像をこえていた。貧しい人々の生活水準が底上げされる日はくるのだろうか。
 岸 : ゴミ山、そして訪問させてもらったお宅の衛生状態は、鼻でかいで、目で見て、肌で感じて初めて私の中で、現実なものとなった。現場は、五感で感じる場所だった。
後 藤: 子供達の夢が本当に叶いますように。
佐々木: パヤタスの子供達は、底抜けに明るく、笑顔が印象的だけれど、外の世界と接触が始まると、子供達は生まれた環境に対してどのような気持ちを抱くだろう。
佐 藤: 子供の笑顔が特効薬。小児科もいいかも...
清 水: 子供達がとても可愛かった。どうしたらフィリピンの子供達が皆、教育を受けられるようになるのか考えたい。
高 岡: 訪問先の男の子が「足が痛い」といったので、ペンライトで照らして見た。クリニックに行った方が良いとしか言えなかった。
田 村: あんなひどい状況の中でも明るく生きている姿を見て、幸せの定義って人によって大きく異なるものだと思った。援助の本質ってなんだろうと考えさせられた。
豊 川: 五感を通して入ってくる存在にただ圧倒されるだけであった。
橋 口: 子供達は夢があっても教育が受けられない。あの子達のために自分には何ができるのだろうか。
橋 本: 崩落事故からそんなに経っていないのに、ゴミ山の上に住んでいる人がいて、虚無感が残った。
山 田: ゴミ山のわきの川で子供が泳いでいた。ビックリした。








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