日本財団 図書館


II.海外研修プログラム

Date Timetable Activity
4 August (Sat) early AM Depart for Manila
Orientation at hotel
5 August (Sun) AM
14:00-19:30
Lecture by Dr. S. Barua, Coordinator
Field observation of NGO sctivities
6 August (Mon) 08:40-15:00
18:00-21:00
Lectures at WHO/WPRO
Reception hosted by fellowship participants at hotel
7 August (Tues) 9:00-12:00
13:30-16:00
Visit to JICA Philippines
Vist to the College of Medicine, University of
the Philippines
8 August (Wed) 08:00-09:00
10:00-11:00
13:00-13:30
14:00-16:00
Courtesy calls at Regional Department of Health
Visit to Dr. Jose Rodriguez Memorial Hospital
Courtesy calls at City Health Office
Visit to Lanuza Heallth Center
9 August (Thurs) early AM
11:00

11:30
12:30
14:00



15:30
16:30

18:00
Depart for Nueva Ecija
Courtesy call to Provincial Health Officer/
Visit to Maternal and Child Health Center
Welcome lunch with PHO staff at MCH Center
Depart for Zaragoza Municipal
Observation of Rural Health Unit II/
Attend educational puppet show on Dengue Fever
by the PHO at Zaragoza Elemenrary School
Courtesy call to Mayor of Zaragoza
Depart for Tarlac
Courtesy call to Dr. P. Ramos, Tarlac Provincial
Health Officer
Depart for hotel
10 August (Fri) 08:00
09:00


10:30
11:30

12:30
14:00
16:00

19:00
21:00
Depart for Capas II
Observation of Under 5 Clinic, Immunization, etc.
at Barangay Health Stations (Sta. Lucia and
O'donnel II)
Visit to Rural Health Unit
Depart for Tarlac Provincial Health Office/
Courtesy call to Drs. P. Ramos, J. Lazatin, PHO
Lunch with PHO staff
Obserevation of Tarlac Provincial Hospital
Depart for Anao Municipal/Tour around Anao/
Attend TV99 film show on Dengue Fever
Dinner with RHU staff
Depart for hotel
11 August (Sat) AM Depart for Manila
Dinner with Dr. M. Yuasa (JICA)
12 August (Sun) AM Summing Up Meeting
Depart for Narita
 
8月2日(木)
本日のスケジュール・内容
国立国際医療センターにて研修
 
 9:30〜9:40 開会挨拶
  国際保健協力フィールドワークフェローシップ 企画委員長
国際医療福祉大学 学長 大谷  藤郎 先生
 
 学生にとって、体制を変革することも大切だが、何かを生み出すことも大切である。社会的常識を有していない医者が結構いるようであるが、医学生に社会的問題、人間全体を考えてもらおうと、この研修プログラムがある。また、日本はめざましい経済発展を遂げたが、世界の舞台で活躍する人が少ないように思える。この研修を通してそういう人が増えればいいと願っている。
 
 9:40〜9:50 来賓挨拶
国立国際医療センター 院長 小堀 鴎一郎 先生
 
 国際協力を行うことによって、日本における病院の診療レベルは下がると考えられる。海外に行っている時間分だけ、日本の病院にいることができないからだ。しかし、国際協力に関わっている人たちから、国際協力を止めようという声はあまり聞かれない。これは国際協力を行うことで医療の本質を実体としてつかめると思われるからだ(このメリットはなかなか形として現れない)。また、これはたまたまな事であろうが、国際協力に関わっている人は宗教的バックグラウンドを持っている人が多いように思われる。
 
 9:50〜10:30 「日本の国際協力の現状」
国際協力事業団医療協力部 部長 遠藤  明 先生
 
 国際協力をするにあたって、相手が何をしてほしいのか、日本が対応できるのか、といった視点が大切。まず前者に関して。相手からの要請を受けて援助を行う場合、援助金が特定の人のポケットマネーとなる可能性がある。そのため日本から提言することも必要となるかもしれない。次に後者に関して。医療における日本の国際協力は、技術レベルの高いところから始まるため、全住民に行き渡りにくい。さらにお金がかかるという面もある。
 経済発展によって貧困がなくなるという考えのもとで、国際協力が行われてきたが、経済レベルは低いが保健医療はうまくいっている国がある。逆に、経済レベルは高いがうまくいっていないという国もある。二国間協力の場合は相手国からの要請に基づく。
 プロジェクトには期限がある。そのため日本が手を引いたらプロジェクトがストップしてしまうことがある。
 日本人が国際協力を行うにあたっての弱点として、1)言語の問題、2)文化の問題(日本にしか通用しない文化が多々ある)、3)技術の問題(Availability,Accessibility, Acceptability)、があげられる。
 
 10:30〜11:10 「WHOと21世紀の課題:WHO神戸センターの世界的活動」
WHO健康開発総合研究センター 所長 川口 雄次 先生
 
 国際協力を考える上では、フィールドワークも大切であり、国レベルでの政策も大切であり、どちらかだけではだめだ。個の視点を持って全体を見る、ということが望まれる。
 貧困と病気というのは、お互いに悪く影響しあうものだ。そういう意味で、途上国における疾病のコントロールは大切になる。その際にInterdisciplinary & evidencebased approachが大切である。
 これから先、evidenceに基づいた予防的な公衆衛生が大切となるだろう。個人は自分が健康に対してどういう要求を持ち、そして、どういうアプローチを行うかということをはっきりさせた上で、社会が個人を支援するという形になる。
 現在のglobal standardは個の幸福を確約していないように思う。これからは、共通の土壌(アプローチの仕方も違うし、おかれている状況も違う)が少ない上で人間の健康を考える、ということが大切となる。
 政策は10年先を考えて、また、マクロとミクロの両面から考える。そのときにスピードや量といった観点(スピードに関してはフランスでは100年かかったことが日本では24年で起こることがあり得る)、国や地方によって濃度差がある、という点も考慮に入れる。発信の仕方に関しては誰を対象にしているのか?をはっきりさせる。
 単に長生きするのではなく、健康に長生きするという考えがある(健やかな老いに関しては生涯現役という観点が重要)。これに関しても部分と全体を考えることが大切。例として口腔を挙げる。現在は歯をどれだけ削るか?が価値観となっている。削っただけ医療点数が上がるからだ。将来はどうやって残すか?再生させるか?といった考えが主流になるだろう。そして、そういった個人のニーズが、やがては点数制度を変えるに至るであろう。
 現在われわれは様々な観点から健康を考えている。伝統医療のholisticな面を見直すこと(ベトナムの伝統医療は口述である。このままでは残らない。そこで歴史的なものを集めて残すことも必要だ)、都市から健康を考えること(べトナムでは呼吸器疾患が増えているが、これには医学的以外なアプローチ以外にオートバイを減らすといったアプローチもいる)、暴力から健康を考えること(児童虐待などが起こっているし、都市における精神的ストレスは大変なものだ)、女性の面から健康を考えること(これは途上国にも先進国にも言える)、などである。
 
 11:10〜11:50 「国際医療協力の現状」
東京女子医科大学 客員教授 笹川記念保健協力財団 理事長 紀伊國 献三 先生
 
 故笹川良一氏の話があった。日本では少なくなったハンセン病でも、世界にはまだ新しく発症する人が多い。以前は日本が助けられたものだが、今度は日本がお返しをする番だと考えた笹川氏はWHOに「アンタイド」の100万ドル援助し、世界のハンセン病制圧の活動が開始された。
 
 11:50〜12:30 「開発途上国における寄生虫対策」
慶應義塾大学医学部熱帯医学・寄生虫学 教授  竹内  勤 先生
 
 現在G8が中心となって、結核、HIV、マラリアの対策を打ち出している(橋本イニシアティブによる)。
 始めに、マラリアに関しての話があった。WHOはまずマラリア根絶計画を行った。この計画は、マラリアの患者数が激減した時点でやめてしまったところ、状況は元通りになってしまった。そこでWHOは次にマラリア制圧計画を打ち出した。プライマリーヘルスケアプログラムに組み入れ、住民参加型からのアプローチを試みたのだ。しかし、人材と資金不足によりこれも失敗に終った。また、マラリア流行の原因としては、開発事業、難民などによる大規模な人口移動、都市のスラム化、気象異常(晴天が続く年に生まれた乳児はマラリアに対する抵抗を持たない)などがあげられる。
 次に、回虫などの土壌伝播線虫、住血吸虫、フィラリアの話が続いた。命に別状はないが、小学時に感染すると発育に影響したり、成績や作業効率の低下などが統計的に示されている。
 日本は寄生虫対策に成功したという経験をもつ(小学生を対象とした教育や、薬の投与を行ったことは大きい)。また、ガンなどに比べると、寄生虫対策は予想される効果に対してかかるコストが低い等という点も含め、寄生虫を考えることは重要であると思われる。現在、G8や世界銀行、様々なNGOなどの協力のもと、対策が推し進められている。
(担当:長崎忠雄)
 
 13:30〜15:30 フリーディスカッション(Part1)―国際協力を中心に―
 
(座長) 国立国際医療センター 国際協力局 局長  土居  眞 先生
  厚生労働省 大臣官房国際課 国際協力室 室長  遠藤 弘良 先生
  国立国際医療センター 国際協力局 派遣協力第二課 課長  建野 正毅 先生
  国立国際医療センター 国際協力局 計画課 課長  猿田 克年 先生
 
1) 国際協力活動の実際
 a) IMCJ(国立国際医療センター)の活動報告
*海外の症例収集、国際調査
*海外へ行く医療技術者の養成、研修―派遣先は、アジア60%、アフリカ10%、中南米19%だが、現在はアフリカが増えてきている。
*無償資金協力
*技術協力―プロジェクト方式協力
   開発協力  
   専門家派遣  
 注)プロジェクト方式とは、現地からの要請があって、初めて調査団が現地へ行き(2〜3回)、その後プロジェクトが実施される(5年程)。終了後は事後評価をする。
  実施例: パキスタン 母子保健プロジェクト
    インドネシア 保健強化プロジェクト
    ラオス 小児感染症プロジェクト
    タイ HIV/AIDSプロジェクト
 
 ここで、日本の保健医療に関する援助について付記する。文献によると、わが国の保健医療分野の援助は、初めの頃は病院施設や医療機材の供与が多かったが、1980年代からはPHC(Primary Health Care)関連の占める割合が多くなってきた。それは、病院一点主義の反省と、WHOのPHC政策が連動したためらしい。今は、無償資金協力は病院と医療機材の供与、また、プロジェクト技術協力は一次医療サービスの充実と地域レベルの保健衛生の向上というようにすみ分けが行なわれている。
 
公衆衛生プロジェクト ―  一次医療活動  
  トイレの普及  
  母子保健  
  人口抑制 etc.  
 トイレの普及に関しては、フィリピンのTosangプロジェクトが有名である。このプロジェクトに住民(特に男性)が保健衛生活動に参加している。また、トイレの普及で寄生虫や下痢症を防ぐ事もできる。トイレ自体の普及だけでなく、トイレの使用方を教えるのも大切である。
 例:ブラジル
  公衆衛生センターを組織し、活動を展開させる。
  現地大学生(1割の恵まれた人)に対する、貧しさ等の現状について教育
  住民組合の組織化
  パイロット地域衛生管理
  収入源確保の為にマーケティング調査
  コミュニティーヘルスワーカーに対する教育
  注)Community Health Workerの活動
  ―担当地域住民の登録  
  家庭訪問  
  子供の健康  
  女性の健康  
  生活環境改善(ゴミ、水)  
  TBA(伝統的産婆)の教育  
  Community Health Workerを増し、生活の改善を図る方が、医師や看護婦を増やすより簡単にできる。また、地域によっては、医師や看護師が少なく、住民がまずはじめにかかる医療機関が地域の保健所(フィリピンの場合、Barangay Health Stationだったり、Rural Health Unitだったりする)なので、そこで働く助産婦やCommunity Health Workerは地域の保健医療活動の核となる人たちである。彼らの保健医療に関するレベルを向上させることは、地域の保健医療を向上させることにつながる。
 
病院プロジェクト ― 病院内の設備 etc.  
 
感染プロジェクト ― ポリオ根絶  
  マラリア抑制  
  HIV/AIDS  
 
 最後に国際協力活動を行うときに考慮すべき途上国の背景をいくつかあげる。
 *低い一般教育水準
 *資金不足
 *人権思想の未発展
 *情報の未整備
 *国家保健医療行政未整備
 *人材技術不足
 *女性と子供の立場が弱い
 
 b) 国際協力、援助とは何か?
 *役務提供型 ―  シュバイツァー型(自ら出かけていって自分がやること)
   緊急災害援助型
   特定疾患根絶型
 *研究成果フィードバック型
 *自助努カサポート型 ― 日本のODA
 
2) 国際機関の役割
 WHOは、先進国や財団及びNGOと途上国とをつなぐ役割を果たしている。WHOで働くためには公募のほかに、特別分野で認められ派遣されるケースや、厚生労働省から派遣される場合などがある。
 
 15:45〜17:00 フリーディスカッション (Part2)―公衆衛生活動を中心に―
 
(座長) 厚生労働省 健康局 局長 篠崎 英夫 先生
 
 1) ODAについて
 2) Human securityについて
 3) 日本でのハンセン病訴訟について
 4) 厚生労働省 ―国際部・・・・・administrationを中心とした仕事を行なっている
           国内部・・・・・主に法律や予算に関係するぺ一パーワークを行っている
(担当:亀山菜つ子)
 
 
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国内研修1日目の様子
 
 
18:00 懇親会
 
 紀伊國先生の乾杯の挨拶によって、ご講義いただいた先生方との懇親会が始まった。英語での自己紹介タイムやユーモア合戦の時間ももたれ、楽しいひとときを過ごした。前年度のフェローシップ参加者も懇親会に足を運ばれていた。国際協力の分野の第一線で活躍されている先生方と肩を並べてお話できたことは、私達学生にとって素晴らしい経験であったに違いない。
 その後、海外研修参加者は多磨全生園内の宿舎にバスで向った。宿舎についた後、指導専門家のバルア先生の指示のもと、私達はお互いの自己紹介を日本語と英語で行い、自らの英語の拙さを自覚し、また、国際社会に入っていくにあたって英語で自分自身を表現することの必要性を改めて感じた。その後も1日目の夜を語り明かし、また、ハンセン病やフィリピンの医療に関する資料を交換したり、これから始まる研修が楽しく実り多いものであることを確信したのだった。
(担当:高岡志帆)
 
 
8月2日 今日の一言 〜研修初日〜
飯 田: 国際協力において、医者としてではなく、管理者としても携れるんだと自信が持てた。
五十嵐: 国際協力の現状を学べて有意義で、まだ消化不良です。
植 木: 先生方のお話を伺って、初日から世界が広がりました。
 岸 : 夏の東京は寒かった…。今日はトイレと仲良し
後 藤: 講義とはまた違った紀伊國先生の素敵な一面を見ることができ、貴重な一日となりました。
佐々木: 大谷先生から、フィールドワークフェローシップの歴史を伺い、自立した一人の人間として、凝り固まらず交流するよう激励され、参加できた喜びを感じています。
佐 藤: 紀伊國先生の学生に対する思いが伝わってきた。将来、先生みたいになれたらいいな…。
清 水: 色々な先生の話を聞き、皆の考えに触れ、圧倒されました。
高 岡: イエスイエス!
田 村: みんな面白い人達ばかりで、多くのことを学べる旅になりそうだ。知識だけでなく、喜怒哀楽も共有して楽しくみんなで勉強したい。
豊 川; 各分野の最前線で活躍されている諸先生方のお話を聞けてたいへん刺激的であった。
橋 口: 先生方、参加者から興味深い話が聞けてとっても楽しい1日でした。
橋 本: 紀伊國先生に心打たれました。懇親会はおもしろかったです。
山 田: 紀伊國先生はデカイ。
 
8月3日(金)
本日のスケジュール・内容
 国立療養所多磨全生園
 高松宮記念ハンセン病資料館訪問
 
(座長) 国立療養所多磨全生園 園長 菊池  敬一 先生
 
 9:00〜10:00 「ハンセン病の現状と国際協力」
国立感染症研究所ハンセン病研究センター センター長 松尾 英一 先生
 
 「薬剤の開発は伝統と習慣から生まれる」、「教育の目的は学ぶ方法を教えることにあるのだ」といった、幅広いお話からハンセン病の疫学まで、興味深いお話を分かりやすく講議して下さった。その一部を紹介する。
 中国医学ではハンセン病を麻風と言い、それは麻痺する病気という意味である。現在のハンセン病対策としては「麻痺にどう対応するか」、「ハンセン病元患者の人権回復」などがある。ハンセン病元患者は、現存する障害と今なお戦っている。「ヒポクラテス全集」には、病気は奇形、循環傷害、受身の病変、進行性病変、炎症、腫瘍の6つに分類されると書かれてあるが、ハンセン病は炎症と循環傷害が複合した病気である。1930年代の病理医ゲルハルトドマックが発見したスルホン剤の登場により治療できるようになり、現在ではMDT (Multidrug Therapy)で完治する。ハンセン病に関しては未だ不明点も多く、例えば、鼻腔が最初の経路とされているが、実際はどのように感染するのか、戦争の時、なぜ患者が増えた時代と減った時代があるのか、ハンセン病が制圧された国の土中に今も菌のDNAが検出される理由などである。診断上の問題点としては、らい菌を染色するのは難しく、日本に専門家が少ないことが挙げられる。患者の早期発見が難しい。このような問題点や疑問について自分の信念を持ち、考え、調べる医療従事者になるようにとのメッセージをいただいた。
 
 10:00〜10:50 「ハンセン病の基礎と臨床」
国立療養所多磨全生園 皮膚科医長 小関  正倫 先生
 
 らい菌、疫学、診断、病型、治療、症状、世界のハンセン病患者数等々について、統括的にわかりやすく講義をして下さった。その一部を紹介する。
 1873年、ノルウェーの医師であるアルマウェル・ハンセンがらい菌を発見した。現在、日本では外国人を中心に年間10人未満の症例がある。知覚障害を伴った皮疹、末梢神経の肥厚、らい菌の証明で診断が行われる。神経の中に菌が残るが、神経に達する薬を開発することは困難であり、これが一つの問題である。また、閉眼不全を形成外科的に治療することも大切である。患者教育としては、一日に何度も手足を見るように指導し、潰瘍の早期発見により障害予防につなげる。抗ハンセン病薬を世界中に広めるためには、患者がかかえる社会的問題を考慮して人々を教育することが一番大切である。社会環境が整備されれば確実にハンセン病は減っていくであろう。
 
 10:50〜11:30 園内見学
 
 研修棟から園内のメインストリートまで歩いた。園内地図の看板の前で説明を受け、園の広さに驚いた。園内には看護学校も併設されている。坂道がなく、高齢者にとって住みやすい環境だと思った。また、都心に近いという地理的特性から、他のハンセン病施設と比べて都会的な印象を受けた。地図の看板の奥にある広場では、毎年バザーが開かれているそうで、引率のバルア先生が毎年学生を連れて来ているとおっしゃっていた。園内のラーメン屋で、学生達と元患者さん達と一緒に打ち解けて話をしながら食事をすることもあるそうだ。
(担当:植木絢子)
 
 13:00〜14:00 高松宮記念ハンセン病資料館見学
ハンセン病資料館運営委員   佐川  修 氏
 
 午後は園内にある資料館を見学した。資料館は、ハンセン病の関連資料を収集、展示し、ハンセン病の変遷と対策事業の歴史を明らかにして、後世に資するために建設されたものである。
 最初に30分ほどハンセン病や多磨全生園についてのビデオを鑑賞した後、館内を見学した。運営委員会事務局の佐川修さんに案内していただき、全国の療養所から集められたハンセン病の資料を見ながら、その歴史と関係する事件、関わった人々、施設での生活について説明を聞いた。
 かつて園では、職員不足のために入園者がより重症の患者の看護をし、家畜の世話をし、学校ができる前には児童に勉強を教え、亡くなった人の火葬までも行ったという。逃走を防ぐため、お金の代わりに園券を持たされ、12畳半の雑居部屋で8人が共同生活をしなければならなかった。これらの事実は、全国のハンセン病患者のための施設が「療養所」ではなく「収容所」であったことをまざまざと感じさせるものだった。
 説明終了後も、みな残って関連書籍を見たり、新聞記事を読ませていただいた。資料館で見聞きした事実は静かに、しかし、私達に多くのことを強く訴えてきた。悲惨な歴史の中で、患者保護に一生を捧げた内外の宗教家、医師、看護婦や、自分たちの人権のために闘った入園者たちの存在、闘病生活から生まれた芸術作品などが印象的だった。
 ハンセン病について、いかに自分が知識不足だったかを痛感し、もっと多くのことを知りたい、また、この歴史を決して忘れてはならないと改めて感じた。
 
 14:30〜16:30 「開発途上国と結核対策」
(財)結核予防会結核研究所 国際協力部 部長  下内  昭 先生
1)結核の特徴
 a) 人から人への空気感染する
 b) 一度の感染で一生発病の可能性がある
 c) 免疫力が低下すると発病が促進される
 d) 薬剤耐性菌出現・増殖の可能性がある
 e) 治療には6〜12ヶ月の投薬が必要
 f) オセアニア、ペルー・ボリビア等南米の一部、サハラ以南、中近東の一部に多い
 
2) 結核の要因
 a) 人口増加(都市部への人口流入→人口密度の増加→スラム化による不衛生的環境の形成)
 b) 社会の経済的要因(富の不平等、経済の停滞)
 c) 不十分な保健インフラ
 d) 不十分な結核対策
 e) HIV感染の流行
 
3) DOTS(直接監視下短期医療)
 患者が薬を服用するのを、医療関係者が必要期間確認(監視)するシステムである。確実に薬を投与するため、患者の大幅な減少が期待される。また、患者の分析をすることで効率的に医療活動を行うことができる。
 DOTSの成功要因としては、スタッフのやる気や住民の意識の高さ、健康教育、ワークショップでの分析、研究による明確な成果の評価がある。また、ボランティアの協力やコミュニティーのつながりも重要となる。住民との友好な関係の構築が大前提である。
 地域によっては、地形や天候のために患者が病院に通えないこともある。そのような状況で、どのように規則的に薬を服用させるかが問題である。
 
4) 今後の課題
 a) 結核の検査のための人材確保
 b) 薬剤を確実に渡すためのインフラの整備
 c) 院内感染の予防
 
5) 日本の路上生活者の結核対策について
 大阪ではDOTSテントを使用している。患者はよく通ってきてくれるようだ。しかし、患者が移動してしまう可能性があるので、6ヶ月間の入院や、居住テントから病院に通院させるなどの対策が取られている。
 何よりも患者への十分な説明と福祉との連携が大切である。
 
 最後に、下内先生のネパールやタイなど各地での活動の様子をスライドで見せていただいた。プロジェクトを進める具体的なお話がとても分かりやすく、興味深かった。
(担当:田中ふみ子、萩原幸)
 
 
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多磨全生園研修棟前にて
 
 
8月3日 今日の一言 〜多磨全生園見学〜
飯 田: ハンセン病患者へどの程度まで強制隔離を行うかという、判断基準が非常に難しいものがあると思った。
五十嵐: 昨日の厚生労働省の方々のお話と、今日の現場で働いている医師、元患者のお話でハンセン病問題に対する視点が広がりました。
植 木: 沖縄愛楽園、邑久光明園、長島愛生園を訪れ、又、新聞やテレビを見てきた限りでは知ることのできなかった、ハンセン病訴訟に対する見方、ひいては社会の仕組みを今回の研修に参加させていただき、先生方と対話させていただく中で垣間見ることができ、参加させていただけたことに感謝すると同時に、新たな問題意識をもつことになりました。
 岸 : 初めて見るハンセン病の患者さん達に、今までの苦悩の歴史を思い、胸が苦しくなった。
後 藤: ハンセン病の歴史は、過去のものではなく現在進行形で捉えていく必要がある、まだまだ多くの人が注意して考えていくべき問題であると感じた。
佐々木: ハンセン病資料館を訪れたのは2度目です。1度目はらい予防法が廃止された時であり、今回はハンセン病訴訟が和解を見た歴史的な年であり、様々考えることがありました。
佐 藤: 戦時中の発病で隔離。まるでナチスのような行動に、もし俺がこの立場になったら耐えられるかどうか疑問だ。
清 水: 今日は、路上生活者の結核に対する対策が聴けて、疑問が一つ解けました。ハンセン病資料館は、元患者の佐川さんの話が聞けてとても感動しました。
高 岡: 園内に複数の神社、寺、教会があることに驚いた。素敵だなあと思った。
田 村: らい予防法の歴史が、マスメディアで報道されているのとは少し異なっていることに驚いた。歴史は実際にその場に行って自分の目で確かめることが重要だと感じた。
豊 川: 各分野の最前線でハンセン病に取り組んでいる方々の話を聞くことができ、なぜここまで問題が複雑にすれ違い、からみ合ってしまったかを垣間見ることができたと思う。
橋 口: もっとゆっくりと資料館を見学しにまた全生園に行きたいと思います。説明文を一つ一つかみしめて読みたいです。
橋 本: 資料館にあった死亡者名簿や作品を見て、療養していた方は毎日何を思って生きていたのだろうと思った。科学の発達、人の心の水準をあげることはとても大切なことだと思いました。
山 田: ハンセン病資料館で案内して下さった佐川さんはハンセン病を経験されており、説得力があってグッときた。
 
8月4日(土)
本日のスケジュール・内容
1) 出国(成田発JAL741便)
2) フィリピン入国
3) ミーティング
 
1) 出国(成田発JAL741便)
 海外研修第一日目。フィリピンの首都マニラに向かって旅立った。早朝、4時45分。眠気をこらえて宿泊施設の掃除をすませた後、多磨全生園を出発して成田空港へ向かった。9時55分、JAL741便にて出国。
 
2) フィリピン入国
 好天候の中、飛行機にて4時間程でフィリピンヘ到着。空港を出ると、出迎えてくれたマイクロバスヘ乗り込み、そのまま街の雑踏の中へ吸い込まれるようにしてホテルヘ向かった。晴れわたった空の下、幅広く整備された道路沿いに熱帯の木々が青々と茂り、大きな建物が立ち並ぶ。沢山の車と人々が行き交い、渋滞の渦の中をすり抜けていくバイクのエンジン音が響く。今年の日本は猛暑だったため、予想したよりもあまり暑さを感じなかったが、このマニラの地には人々のバイタリティーによる熱気が充満しているような感じがして、私達は少し圧倒された。
 通りすがりのジープニー(乗合バスのようなもの)から、興味深そうに私達のバスを見ていた親子の大きな瞳と目が合い、恥ずかしそうにニコッと笑っている顔が印象的だった。考えてみれば、東京の道の真ん中ですれ違う見知らぬ人と笑顔を交わしたことがあっただろうか。初めて訪れたフィリピンという国、人々にエネルギッシュで溌刺とした魅力、人間的で温かい魅力を感じる。これから数日間、人種・歴史・宗教・文化・習慣・stanceの相違を越えて沢山の人の魅力に触れ、交流し合えることを楽しみにしたい。
 
3) ミーティング
 WHO前に立地するHoliday Innに到着。チェックインを済ませて15時30分よりミーティングを開始した。これから始まる海外研修に際し、これまでの国内研修のまとめと確認、疑問点の抽出と問題提起を行うこととなった。各項目ごとに2人ずつが一度話し合い、その後、全員集合して順に発表すると同時に意見を交換しあった。国際協力の現状に関する意見が白熱してきたところでいったん中止し、夕食の時間とした。
 バルア先生のお薦めで、ホテル近くにあるフィリピン料理店へ向かった。大きな白いテーブルを全員で囲む。冷たく泡立つサンミゲル、甘酸っぱい果実をそのまますりおろした濃厚なマンゴーシェイク、魚介・野菜の人ったスープで不思議な酸味が口に残るシニガン、香ばしくフライにされた豚肉のクリスピ・パタ、フィリピン風焼きそばといった感じのパンシット…次々と食卓が賑やかに彩られていく。美味しい食事に、楽しい会話が弾んだ。
 日本全国に散らばる私達が、偶然にもこうして出会い、知り合って一つのテーブルを囲んでいる。まだ3日と経っていないことがなんとも不思議だ。共に過ごすフィリピンでの9日間の中で、一人一人が何を得て、お互いから何を学びあって帰ることが出来るのか。それはまだ分からないが、これから出会うであろう多くの未知と様々な人とのコミュニケーションに、わずかな緊張感と大きな期待感がふくらんで行くのを感じる。
 そんな思いを胸に、夕食後ミーティングを再開し夜遅くまで続けた。
(担当:後藤杏里)
 
 
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フイリピンにて初日のタ食
 
 
8月4日 今日の一言 〜フィリピン、マニラの第一印象〜
飯 田: フィリピン上陸1時間後、空港のトイレで用を足そうとしたら、いきなり入ってきた職員ぽい人にチップをせまられ、“何だ、この国は!?”とあまりの国民性の違いにへこんだ。
五十嵐: これから始まる日々に期待と不安がマザマザの状態。
植 木: 思ったより開けていた。暑くなかった。空港で人が寄ってこなかった。ホテルのエレベーターの手前に私達を歓迎する看板があり、レセプションではきれいでおいしいジュースをよばれ、スペシャルゲストとしての歓迎振りに感激しました。
 岸 : 外国人旅行客がいない!リゾートではない、観光名所でもないマニラ。すごく楽しみ!
後 藤: クラクションの音と人の雑踏。肌をまとうような、なまあたたかい風...。人間のenergyがいっぱいの国。
佐々木: いよいよ本日から、国外研修がスタートする。無事にマニラに到着。空港からホテルまで、近代的な街並、一方で、雑踏も広がり、フィリピンの活力を感じる。これからのフィールドワークでは、チームワークが良く、活発に議論ができそうな予感がする。
佐 藤: 新潟よりも大都市!途上国って言えるのか?
清 水: マニラは、独特の雰囲気と活気のある都市だ。
高 岡: 都心であるからか、想像以上にヨーロピアンであった。今からこの町の人間と接していくことがとても楽しみである。
田 村: 日本以外のアジアに行くのは初めてだ。ちょっとスリリングだけどくせになりそうだ。将来、国際保健で発展途上国のフィールドに出る時の一つの勇気になるだろうと思った。
豊 川: スペイン語の通りを抜け、アメリカのジャンクフード店の前を過ぎマニラの町へ踏み出した。植民地時代の遺産を残すこの町でどんな現実を目の当たりにするのだろうか。
橋 口: 思ったよりも暑くなかった。お店の人々のはじけるスマイルにこっちもニコニコ。
橋 本: フィリピンの食べ物はおいしかった!マンゴジュースとバブさんの笑顔が最高でした。
山 田: ヒトがみんな強そう。
 








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