日本財団 図書館


研修をおえて
 小田原市立病院 松岡 みちる
 
 私のホスピスケアに対する興味は、8年前ある患者との出会いからはじまった。
 疼痛緩和が図れず、その患者は泣きながら私に「ホスピスでないと楽に死ねないのか。これも病院なのか」と訴えた言葉が、私を動かし、そして今があると言っても過言ではない。そしてこのような言葉がきっかけで、自分自身知識・技術を身につける必要性を感じ、研究会や講演会などに積極的に参加してきたものの、現実には病棟で活かすまでにはつながらなかった。この研修参加にあたって、専門的知識・技術を習得することはもちろんのこと、一般病棟での活かし方、また今後の課題の明確化も目的にいれ、研修に臨んだ。
 そして6週間の研修を終え、ここでの学びを以下に報告する。
 
症状マネージメント
 
 緩和ケアにおいて、最も優先されるべきことは症状コントロールだといわれている。それは終末期患者のほとんどに、痛みをはじめ様々な辛い症状が出現してくるからである。その辛い症状は、苦痛を伴うだけでなく、不安や恐怖により人格をも破壊し、周りの人との関係を困難にさせたり、QOLの低下を招くことはいうまでもない。したがって、この症状コントロールが不十分だと、次のニーズを満たすことができないであろう。そして緩和ケアにおいて、症状コントロールは、苦痛を取り除く事だけでなく、あくまでもその人の生活の質、QOLを高めることを目的としていることを学んだ。
 私たち看護婦は、24時間継続的に患者と関わりをもっている職種であり、症状マネージメントにおける役割の重要性を学んだ。その為には、症状発生のメカニズムや病態整理、薬剤の知識などを看護婦自身が身に付けることが必要で、その上で医師への情報提供が重要になってくると感じた。また患者との会話の中ででも、表現しにくい症状を聞くポイント等も理解できるようになることは、より患者が体験していることに近づくことができると感じた。
 医師への情報提供の部分では、痛みや様々な症状の時間的な変動や、動きの加減によっての増強具合を具体的に情報提供したり、また、薬効や副作用に関して経時的なアセスメントをして報告することは、症状コントロールにおいて正確な評価につながると考えた。
 そしてチームで繰り返し評価をし、その次に、その患者の生活マネージメントを行う能力が要求されると感じた。それには、患者自身がどのような生活を望んでいるかを知る必要がある。ある意味それはその人のゴールといえるのかもしれない。それを知った上で、患者本人のセルフケア能力をいかに活かし、個々にアセスメントして看護介入してゆくかが必要になってくると感じた。今までの看護を振りかえると、患者の痛みのスコアばかり気にして、生活の目標などあまり気にとめてなかった現実がある。やはり、患者のゴールを医療者はしっかりと把握し、同じ目標をもってマネージメントすることが必要だと感じた。
 
チームアプローチ
 
 チームアプローチの必要性は、いうまでもない。その1人の人間の全人的な苦痛を理解し、また対応してゆくにはその分野・分野の専門的な知識・技術をもって協力してゆくことが必要になる。
 私がいる一般病棟を考えてみると、あまり他部門と連携をとっておらず、もう少し積極的に専門的分野の力を借りられるようにアプローチしてゆくことが必要だと感じた。
 この研修の課題の1つにチームアプローチ、特にここでは医師との連携を私自身学びたかった。どうしても医師と看護婦の立場の差があり、看護婦は考えを言えないこともしばしばで、結果そこからずれが生じ「わかってくれないと」あきらめてしまうケースも少なくない。そこでアプローチに必要となってくる能力は何かということを考えた。確かに人に意見を述べ話し合うことは、相手と相当の知識がなければできないことであり、またその知識をもった上で話し合えるコミュニケーション能力が必要となってくることは言うまでもない。このコミュニケーション能力とは、相手の気持ち、自尊心を傷つけずにいかに自分の考えを適切に相手に伝えられるかだと考える。そしてその前に大切になってくることは、私自身の相手に対しての見方・意識をかえていくことであると学んだ。
 看護の主体性の発揮には、小島は、「相手の主張を理解し認めつつ、自分の主張を理解してもらうことが必要であり、その為には自分の責任を明確にすることと相手の良い面、リソース(成果を得るのに役立つ状況、情報、考え方、人、もの、財源など)を発見して尊重することであると述べている」1)。このようにまず相手の立場を理解しようとする姿勢が大切であり、その上で相手の意見を尊重する態度が必要となってくることを学んだ。
 そして何よりも、自分と違う考え方について、批判的な見方を改めることができた。そして、自分と違う考えに対し批判的になってしまったら、何も変わらないということを知った。確かにそれは一方的な見方ではなく別の視点からの考え方だからこそ、そこで立ち止まり、更に考えが深まるのだろう、と今は考えられる。
 今後は、まず相手の立場や考えを認めた上で、尊重し、あきらめずに歩み寄る気持ちをもって接してゆきたい。そしてこの精神は、医療者間だけでなく、患者様、家族との関係作りにも同じことがいえると感じている。
 
家族看護と援助
 
 緩和ケアにおいて、患者と共に家族もケアの対象となることはいうまでもない。
 家族の結びつきが特に強いと言われている日本の文化では、その家族の一員が不治の病となった時、その時の衝撃は相当なものだろう。このような状況は、家族関係を不安定なものにし、危機的状況を招きやすいといえる。私は、まずこの家族が危機的状況に置かれている精神を理解し、受け止めることが、家族援助の始まりだと考える。まずそれには、「家族」の理解が必要となってくる。家族構成だけでなく家族の機能や危機的状況に対しての適応能力、柔軟性などを事前に把握することが家族援助のかぎとなることを学んだ。したがって、この援助とは個々の家族によって求められるニーズが違う。
 私達看護婦は、患者、あるいは家族がどのようにしたいかを知ることが大切で、その中から、どこまで介入すべきなのか常に考えることの必要性を学んだ。今まで家族看護において、どこまで踏み込んで良いのか常に迷っていた。その家族の状況も知らず、介入しなければと焦っていたこともある。しかしあくまでも家族関係の問題の解決者は、家族でしかないということを私達は知っておかなければいけない。看護婦の役割は、家族が話し合わなければいけないと思うような情報を提供したり、また話し合えるようにその時・場所を配慮できることだと考える。そしてその結果がどうでたとしても、それがその家族のあり方だと受け入れられる柔軟な考え方が必要だと感じた。そして、感情や情報提供などにくい違いがある場面などでは、相手の気持ち、あるいは正しい情報を柔らかく伝える、橋渡し的な存在であることも必要だと学んだ。
 では、家族の危機的状況をどのようにして把握してゆけば良いのかということだが、これは普段から患者同様に、家族にも目を向け、コミュニケーションをとってくことが大切である。まずは日常の挨拶や、家族に対してのねぎらいの言葉など、時間的に短くてもその積み重ねが信頼関係とつながり、家族自身が心を開いてくれると信じている。
 しかし、全ての家族が問題をあらわにするわけではない。その家族の解決の仕方というものを見守ることも、大切な援助になることを知っておきたい。
 
緩和ケア
 
 最後に、緩和ケアとは、私は「その人が、その人らしく、最後まで生きぬけるようにサボートしてゆくこと」だと考えている。
 人間はどのような状態になっても、やはり自尊心を持つことや自分の生活を保とうとする気持ちは、最後までもち続けていることだと思う。私達はいかにその自尊心を守り、どのようにすれば、今までの生活に近い状態ですごせるよう調整できるかを、考えてゆくことが必要だと思う。そして、そのことが、「その人らしさ」を考えるということにつながるのではないかと感じる。まず、その患者の「その人らしく」を考える時、やはり第1にその人のことを知ろうとする努力が必要である。その人の今までの生活、生き方、何を大切にしてきたか、そして、どのようにしたいのかを知ることは、生活マネージメントを考える上でも最も重要なことになる。
 また今回の研修では、その患者が何を望むのかを知った上で、自分達がすべきことは何なのか考えることも必要という事を学んだ。
 今まで私は、患者の望みは何とかして叶えようとしてきた。自分ではその事が度を越していると感じていても、断ることができなかったり、またその難儀を、医療者で成し遂げた時の達成感のようなものがあり、自己満足していたというのが正直なところかもしれない。この事を私達が行って良いのか、または行うべきなのかを、その人のために考えること、結果的に断ることになったとしても、誠意をもって対応すること、人間=人間としての関わりを大切にすることが必要だと学んだ。この「人間」としての対応というのは、とても重要だと感じている。確かに看護婦としての立場での対応ももちろん必要である。しかし、例えばスピリチュアルな場面でのことなど考えると、患者は、1人の人間として、私達に人生の意味や、価値の喪失への苦しみ・悲嘆などを真剣にぶつけてくる。
 このような場でも、私は看護婦としてだけでなく、1人の人間としてその人と向き合ってゆきたい。そして、その人の嘆きや、悲しみ、怒りなどに共に寄り添っていきたいと思う。もちろん死期の迫った患者様の心の痛みを受けとめることは容易なことではない。その為には自分自身が、自分の人生や、死生観についてしっかりとした考え方をもつことが要求され、豊かな感性・柔軟な考え方を身につける必要を感じた。
 私は1人の人間、専門職として自立をした上で、患者の気持ち・考えを尊重し、その人が、その人らしく生きられるように関わってゆきたいと思う。
 
まとめ
 
 この6週間の研修、および実習を終えたくさんの学びがあった。そして、同時に自分の日頃の看護を振りかえり、改める機会となった。
 緩和ケアというものを、一般病棟で行うにはということを課題としてこの研修に参加した。講義や実習を終えて思うことは、確かにチームの意識の統一や、他部門との連携、告知の問題、知識のばらつきなど課題は山積みである。
 しかし、私自身がしっかりとしたホスピスマインドを持ちつづけ、ここでの学びを病棟へ広めてゆくこと、そして自分にできることを探し、少しずつでもあきらめずに行動を起こしてゆきたい。
 
引用文献
1) 桐山靖代:別冊、ナーシング 最新 がん患者のペインマネージメント、第10章P153








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION