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会津三島「生活工芸運動」の現在
 笠原 勝
 
 今から、二十年前、宮城県鳴子の漆工、沢口滋氏より十数点の編組品並びに木工民具がたくみに持ち込まれたことがありました。どのような経緯だったかは当時の私には分かりませんが、特に注目したのがヒロロのスカリ(ミヤマカンスゲで編んだ背負い袋)でした。それまで群馬県沼田、栃木県栗山、埼玉県秩父などのスカリのことは見聞しておりました。
 持ち込まれたものが福島県の只見川沿いの町、余市.三島の産とのこと.この時点からたくみと会津三町の交流か始まりました。
 高齢化の進む過疎の町会津三島は、冬場は長い問豪雪に閉ざされます。前町長、佐藤長雄氏は「それでもこの町に生まれ育ち、生活することが良かった」と思える町づくりに取り組んでおられました。
昭和 四十九年 「ふるさと運動」
  五十六年 「生活工芸運動」
  五十七年 「有機農業運動」
  五十九年 「健康づくり運動」
  六十年 「地区プライド運動」
と経済先行型の運動とは異なる山村社会再生運動を繰り広げました。
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全国編組工芸品展の審査風景
 町長が斎藤茂樹氏に代わってからも運動の流れは受け継がれ、現在に至っております。
 会津三島町の生活工芸運動については以前、西牧研治氏が本誌に報告を寄せていますが、昨年二十周年を迎え近況を伝えたいと思います。
   町では生活工芸憲章で、
   「家族や隣人が車座を組んで
   祖父の代から伝わる技術を生かし
   生活の用から生まれる
   偽りのない本当のものを
   みんなの生活のなかで使えるものを
   山村に生きる喜びの表現として
   真心をこめてつくり
   それを生活のなかで活用し
 自らの手で生活空間を構成する」とし、長い冬場の生活を物づくりを通して楽しむことを進めてきました。そして少しづつ雪も少なくなってきた三月中旬、皆が持ち寄り、品評即売する「生活工芸展」を一度の休みもなく続けて来ました。
 山漆、山ブドー、マタタビ、ヒロロ、胡桃などの編組品、裂織や木工品など回を重ねるごとに出品点数も増え、近年では鍛冶の仕事も加わり一段とにぎやかになりました。日本民藝館展にも出品し受賞するまでになりました。
 それまでは材で出荷していた桐材も本場会津桐といわれるものはこの地域のもの。材から製品への取り組みのなかで伝統的桐箪笥のみならず現代の生活のなかで使えるキャビネットやチェストなど多くの試作、製品化が行われ、町の補助事業から一本立するまでになりました。
 各産地が疲弊するなか、作り手が増えて行くという逆の状況がこの奥会津の町にありました。
 一人でも多くの町民に参加してもらう為に講習会を開いたり、素材の共同採取を実施したりと地道な努力が生活工芸館の若い職員によって行われました。町も工芸のみならず、各分野の一線級の人を招き講演会を開き応援しています。
 「芹沢?介展」(二月九日より五月六日まで)もその関連事業で、東北福祉大学芹沢?介美術工芸館の収蔵品を展示、期間中に記念講演、ギャラリートークを催しています。
 また、作り手とユーザー、県外の応援団も含めて「会津三島生活工芸館友の会」を発足し、自立的運動に向け取り組んでいます。
 三月十六日からは「第二十一回三島町生活工芸展」と「全国編組工芸品展」を催し、大盛会との知らせを受けています。編組品だけの全国公募展は初めてのことと思いますが、短期間の内に青森県から宮崎県まで百数十点の応募が有り、審査の御手伝いをさせていただきましたが館展に出品されている方も多く、質の高い公募展でした。
 省みて民藝協会員の高齢化が指摘されている昨今ですが、会津三島町は高齢化そのものです。それでもパワーは驚くものがあります。若い町民、県外の人まで巻き込んでいます。
 歳時記の里と言われ、年間を通じ伝統行事がいまも行われている町の「生活工芸運動」がこれからも急がず、ゆっくりでも確実に進展することを願って止みません。
(株式会社たくみ社員)
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第21回三島町生活工芸展は多くの来場者で賑わった。








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