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4.永尾龍造の民間版画への視線
 さて、支那民俗のなかでは極く一部であるが、永尾が収集・研究した民間版画にはどのようなものがあるだろうか。
 彼自身が収集したものはおそらく失われたものを含めると、数万は下らなかったであろう。主なもののほんの一部が、主として「正月行事」に掲載されている。
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各地の門神を紹介した頁から、「間の抜けたやうなところに、何となく愛婿がある」と言われた湖南のもの(上)、「彩色も大まかで気持ちのよい絵である」と言われた南京のもの(下),
 例えば、第一巻には図版が二百三十四図収録されている。そのうちオフセット及び原色と書かれたものはカラー印刷で収録されている。これらの点数は二十六図に及ぶ。凡そ一割以上がカラー図版であり、これは当時の学術書としては誠に珍しい大英断といわなければならない.このカラー版の中には、特に民間版画関連の資料が多く、
 第一図 家庭迎年の図
 第二図 百分の図
 第三図 金花の図
 第四図 荷包の図
 第五図 門神像図
 第六図 門神像図
 第七図 鍾馗の図
 第八図 天官賜福の図
 第九図 「眼前富貴」の図
 第十図 斗方(福字紙〕の図
 第一一図 掛箋の図
 第一二図 紙銭の図
 は口絵として巻頭に置かれすべてカラーである。第一図は特に描かせたものであるが、実景を絵画的に配置し直してあり、そのことも詳細に解説してある。また、第二図の百分の図は、中国の如何なる民間版画研究書にもない貴重な写真であり、文字では理解できない高級な「百分」の姿をカラーで記録した美しいものである。対の「門神像図」は和紙様の特別な紙を用いて刷られており、これも特筆に価する。門神で言えば、山西、南京、江西、湖南、四川、雲南、台湾、汕頭などの実例を掲載していて民国時代の実例として類をみない。
 この門神についての解説に、永尾の民藝にたいする愛着が吐露されていて面白い。もともと彼の「支那民俗誌」には、記述はそれほど民藝的なものについて書かれていない。殆どが対象物を客観的、また中性的に記述する書き方である。しかし、この門神の写真に付けられたキャプションには、こうした記述を離れて自己の心情を滲み出させている。コレクションに対する愛情であろう。
 例えば、第一一〇図の「山内省の門神像図」えは「絵の組立ても極めて細かく、非常に芝居じみたところか見られる」、第一一一図の「南京の門神像図」では「非常に省略された筆遣ひ、彩色も大まかで気持ちのよい絵である…南方の神は非常になごやかである…」「第一一三図」の「湖南省の門神像図」では「間の抜けたやうなところに、何となく愛婿がある。しかしこれ等の図像の原画は彩色を施した美しいものである」。といった調子である。
 こうした感情豊かな表現には、研究者だけでなく収蔵家としての高い審美眼が感じられ微笑ましい。
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「少女蝙蝠を打つ図」と「鍾馗蝙蝠を打つ図」ユニークな比較論を展開した。
 もうひとつ例を挙げれば、「第一三〇図」の「少女蝙蝠を打つ図」と「第一三一図」の「鍾馗蝙蝠を打つ図」を並べて論じている図版であるが、図の裏の説明には「右図(少女の図)は雲南省に行はれ、左図(鍾軌の図)は山東省濟南に用ひられる呪符である雲山万里相隔つる両地にあって、魔除けとして用ひられるこれ等の両図を比較するに、一は可憐にして触れなば折れん風情あり、一は獰猛眞に鬼をも捕へて食ふ気概があるしかし其の蝙蝠を打たんとする姿勢に至っては全く同じきものがある。一は桃枝を以てし、一は賓劔を以てす。両々相対して意味甚だ深く、以て鍾馗の眞性を解する関鍵となすに足る」。
 図版は、二冊で合計七百点近くに及び、大著の名に恥じない。
●門神についての興味深い洞察
 門神に就いての興味深い説が開示されている。これは永尾独自のもので、他著には見られない卓見ではないだろうか。
 即ち、門神を印刷した紙に付いての考察で、主としてそれが白紙に印刷されている理由を、
 「正月に用いられる紙といへば殆んどが紅紙であるのに、正月の主要な役目を勤める門神が白紙に印刷されてるるのは不思議であって、ただ其の印刷に非常に複雑にして且つ華美な色彩が施されている為に、それが白紙であることに気が着かぬまでのことである。それは門神の役目がもと魔除けの目的から発達したもので、いはば一種の呪符とも見らるべき性質のものであるからである」という。また続けて、「………従って正月の神紙と呼ばれる種類の他の神像も、また皆白紙に印刷してあることに就いても同様のことが考えられるのである」という。
 門神は「年画」の類とは本来の性質が異なっている。年画は「装飾画」で、室内を飾り立てるものだが、門神は「神像」であり、ここにそうした事実を永尾の慧眼がはっきりと描き出しているといえるだろう。
 もうひとつ、永尾の研究の目配りの対象が中国の文献だけでなかった証拠として、新井白石の手紙がある。
 新井白石(一六五七〜一七二丘)は江戸中期の学者・政治家で、徳川家宣に仕え政治上の改革をしたことで名高い。特に著書「藩翰譜」「読史余論」「西洋紀聞」「折たく柴の記」は有名である。永尾は「白石全集」のなかに、満洲から錦州山海関を経て北京に足を伸ばした漂流者のことを述べたものがあるのを引く。白石が安積港泊に出した手紙に、当時の「門神」について論じたものがあるのである。
 「義経の像と弁慶の像の如きもの二枚づつ貼し候を慥に見候と申事に候韃靼部へ後には避られ候か、蝦夷よりは建夷の邊遠からぬ境と承及候、是も一奇説に候故次手に申述候。」
 これは「義経伝説」が江戸時代にも生きていた証拠でもある。源頼朝に殺された義経は、実は蝦夷から大陸に渡ってジンギスカンとなった等の伝説があるが、ここでは漂流者が正月の門神を見てその一対の「黒瞼児」「白瞼児」を「弁慶」「義経」と誤解したのである。これは当時の清国北方の民俗に関する日本の文献といえるだろう。永尾の目配りは日本の文献にまで及んでいたのである。この記述の時期は康煕末から雍正年間で、南方の蘇州では「姑蘇版」と呼ばれた「西洋風を取り入れた」彩色版画が最盛期を迎えていた。日本語では当時の門神についての具体的な記述は少なく、貴重な体験談といえる。
 永尾は日本と「満洲・支那」双方の関係にも常に関心を注いでいたのである。こうしたことは彼の職歴からいって当然でもあるが、やはり自己の立脚点を疎かにしない地道な研究者の素顔が覗いている。
5.未発掘の業績、再評価を待つ生涯
 こんにち、彼の業績は次第に評価を得つつあるが、我々はなお壮大な志を十分に受け止めていない憾みがあるしかも中国大陸での知名度は低くほぼゼロに近い中華人民共和国では、封建的迷信を研究していた満洲の侵略者というイメージが付きまとうせいか、彼は無視されつづけてきたようだ。民間版画の文献に黒田源次や樋口弘などの名前は挙がっても、永尾龍造の名前は見当たらない。
 彼は生前、台湾で中国民俗学会(台湾)の名誉会員に推されている。そして一九七一年、台湾の「中國民俗學会、東方文化占局」が「支那民俗誌」を影印した。このとき永尾は既に亡くなっていたが、影印本には彼への献詞がある。これは彼の再評価の第一歩であったろう。これに刺激されたのか、一九七三年、お膝元の日本でもようやく国書刊行会から覆刻本が出された
 そして最近、韓国ても民俗苑刊、国学刊行会顧頒布」で九二年に影印本か出ている。台湾と韓国で海賊版か出た諸橋「大漢和」は有名だが、これは工具書として貴重だからであって、一般の学術書でこのような例は私は知らない。それだけ貴重であり、学術性を評価されたということである。
 「支那民俗誌」には、膨大な数の民間版画を始めとして風俗史料となる写真が多数掲載されている。その多くのものは中国の刊行物には知られない貴重な資料であり、他には見られない唯一の写真も数多い。今後、日本語を解する研究者が注目すれば、永尾の評価は益々高くなるだろう。これほどまでに中国の民俗研究に、文字どおり生涯を捧げた人物はいないのである。
 ハワード・レヴィの聞き書き「Unsung Hero The late Nagao Ryuzo-conversations埋もれた国十永尾龍造先生を訪ねて」(一九六七年)には簡単なあとがきがあり、そこにはレヴィの感想が記されている。
 「私が永尾氏と知り合ったのは一九六一年の夏で、纏足の研究を通してであった…(略)…このひた向きな心根と壮大な目的を持つ人は、残された生涯すべてを、失われた十万枚ほどのカードから思い出せるものを再度収集する作業に捧げていた。彼は英雄的で妥協を知らない精神によって、悲劇的な環境を乗り越え、人々の間に知識と善意を増加させるために、喜んで自らとその財産を犠牲にしていた。極めて残念なことに、このインタビューの成果を彼の生前に公開することは出来なかった。」(拙訳・原文英語)
 インタビューは一九六三年の四月に永尾の自宅(都内と思われる)で行われている。インタビューの刊行は一九六七年だから、永尾が亡くなったのは一九六三年から一九六七年の問である永尾龍造については、まだ分からないことか多い。
 一九九六年には、彼の著書としては比較的マイナーな「支那の民俗」(昭和二年)という単行本が、東京の大空社から「アジア叢書」の一冊として影印発行されたが、版元では彼の子孫との連絡が取れなかったようである。没後五十年は経っていないから、著作権はまだ残っているのだ。一九七三年に「支那民俗誌」を影印した国書刊行会でも、既に永尾の係累との連絡はなくなっていた。
 この埋もれた巨人について更に調べるといった、私にとっての新たな課題が遺されている。(完)
(たきもと・ひろゆき 日本民藝館共同研究員)








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