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展覧会の出品作について
 李朝陶磁器展覧会には約四百点の作が出品されたという。展覧会の出品目録などは残されていないので、その詳細は不明だが、唯一残っている柳、浅川伯教が映る一枚の会場写真と富本憲吉による《李朝陶器写生巻》から、その一部をうかがい知ることが出来る。 写真には、前述したように《青花辰砂蓮華文壷》(大阪市立東洋陶磁美術館)、《鉄砂染付葡萄に栗鼠文壷》(日本民藝館蔵)また《鉄砂虎鷺文壷》(大阪市立東洋陶磁美術館)が手前に見られ、向かって右奥には《鉄砂龍文壷》(日本民藝館蔵*)が見えるが、その他の作は定かではない
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左・「水滴 瑠璃粕」 右・「辰砂葡萄文肩衝壷」 上図は富本憲吉《李朝陶器写生巻》の一部、下段はそれと酷似する日本民藝館蔵の陶器。
 一方、〈李朝陶器与生巻》は三巻揃いの巻物で、富本が帰国後に制作した作である。第一巻にはその巻末に「千九百弐拾弐年秋朝鮮民族美術館第一回展覧會に於てこれを冩す」とあるように、李朝陶磁器展覧会に出品された作が描かれている。第二巻には李朝陶器を描いた手記から選び出したものを、第三巻には富本が朝鮮で考案した風景模様が描写されている。第一巻にはまさに展覧会出品作のみが描かれているわけだが、そこにあるのはわずか十一点である。内容は富本の好みを反映した風景文の陶器だが、その中の「水滴 瑠璃釉」(上左図)とあるのは《瑠璃釉山水文扇型水滴》(日本民藝館蔵*)であろう。また「扁壷裏、龍模様あり」(十六頁右下段図)とあるのが「白樺」の李朝陶器特集号にも掲載された《扁壷》である。そのほかのものについて、確認はできないが、風景の描かれた陶磁器だけで、これだけの作が出品されていたことがわかる。また第二巻に描かれた《壷辰砂呉州並用》(上右図)は技法は異なるが、《辰砂葡萄文肩衝壷》(日本民藝館蔵*)と酷似している。第二巻にも十四点の陶磁器が描かれているので、その一部は会場にあったのかもしれない。こうしたわずかな資料だけでは、展覧会の全貌を知ることは不可能だが、出品されていた作がバラエティに富んでいたことは多少なりとも推測できるだろう。
 柳は朝町民族美術館の設立について発表した翌月の「白樺」で、李朝陶器の収隻状況を「現在所有品は凡そ三四百點かと思ふ」と記し、さらに同年九月の「白樺」に「一ヶ月の間に吾々は凡そ三百點近く優秀な作品を集める事に成功した」と述べているので、美術館の設立宣言から短い期間に驚異的な早さで、膨大な量の収集活動をしていたことがわかる。また、翌年には木工品を集めた第二同展を開催する予定だったというので、この時点である程度の数の木工品がすでに収集されていたことも知られる。実際の展覧会には、柳の収集品のほかに、朝鮮在住の日本人によるコレクションも含まれていたが、おそらくこの時点で千点近くもの李朝陶磁を収集していたことが想像される。展覧会にはこのなかから厳選された四百点が出品されたわけだが、それにしても、収集を始めてから六年ほどの間にこれだけのものを収集し、美術館設立宣言から一年も経たない短い期間にこうした大規模な展覧会を開いた柳の類稀な行動力には驚嘆してしまう。
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李朝陶器写生巻・第一巻(富本憲吉記念館蔵)から。第一巻巻末に「十九百弐拾弐年秋朝鮮民族美術館第一回展覧会に於いてこれを写す富本憲吉」とあるため、1922年の李朝陶磁器展覧会の出品作の写生と思われる。右下段の扁壷は酷似する壷の写真が「伯樺」の李朝特集号に個人蔵として掲載されている。
おわりに
 都合三日間の展覧会には、約千二百人の来場者があり、その三分の二が朝鮮の人々だった。入場者のなかには、齋藤総督の姿もみられ、齋藤及び政務総監から美術館への寄附もあったという(註9)。前述した通り、齋藤は柳が朝鮮民族美術館の設立を発表した直後から、美術館設立に対して好意的な態度を示しており(註10)、美術館のためにと京城景福宮内の建築物の一部を提供することを申し出ていたので、こうした行動は自然にみえるかもしれない。しかし、李朝陶磁器展覧会が朝鮮で開催され、成功したということは、この地での美術館建設の実現が現実味を帯び、朝鮮総督府としてさらなる協力をするきっかけとなったともいえるだろう。
 朝鮮民族美術館は一九二四年四月九日、京城景福宮緝敬堂に開館した。開館のため朝鮮を訪れた柳は、「京城日報」の記事のなかで「(略)それに陳列するものは私と今一人は宮地に居る友達とが早くから個人的に計畫してみたので既に蒐集したものが千餘點もあり、随分占い時代の工藝品や美術品もありますから當分それで充分だらうと思ってゐます、(中略)その外暇があれば個人展覧會を開いたり、いろいろ計畫もして見ましたが何しろ暇がありませんので、やれまいと思っています」(註11)と述べている。この言葉どおり、美術館の開館以降柳の朝鮮についての活動は一段落し、これ以後の柳は一九二三年に発見した木喰上人の研究調査に没頭していく。李朝陶器を世に知らしめるという彼の願いは、李朝陶磁器展覧会の成功と、朝鮮民族美術館の開館でほぼ達成されたと考えたのだろう。事実、当時の美術雑誌などでそれまで全く取り上げられなかった李朝の陶磁器は、大正末から昭和にかけて少しづつ見られるようになり、昭和に入って「帝国工芸」「茶わん」「焼もの趣味」「好古」といった工芸雑誌が創刊されると、李朝陶磁は特集号が組まれるまでになったのである。 以上のように、李朝陶磁器展覧会の開催と成功が、朝鮮民族美術館設立の実現へと結びつき、この展覧会が朝鮮に関わる柳の活動のなかで特筆すべき事項であったことは明らかである。朝鮮民族美術館については、近年調査が進み、美術館の所蔵品の行方や内容などが少しづつ明らかになってきている。当館が開催する「李朝の工芸」展でも、その一端が紹介できればと考えている。
(もりや・みほそごう美術館学芸員)
 
*文中に「朝鮮」「京城」という言葉を使ったが、これは当時の呼称や柳らの記述に従ったものである。
(註9) 柳宗悦書簡、齋藤實宛一九二二年十月十八日。前掲「柳宗悦全集著作篇第二十一巻上」。
(註10) 齋藤は朝鮮を統治する総督という立場にありながら、日本の植民地支配に否定的だった柳の協力をしていた。このふたりの関係については、藤岡泰介「朝鮮民族美術館と「文化統治」」「民藝」第五八七号、二〇〇一年十一月に詳しく書かれている。
(註11)「美術館の建物を貰ひに来た柳宗悦さん」「京城日報」一九二四年三月三十一日。
 
横浜・そごう美術館「日本民藝館所蔵李朝の工芸」展
会期 二〇〇二年五月二十三日(木)〜六月二十三日(日)
会場 横浜・そごう美術館(そごう横浜店六階・横浜市西区高島二−十八−一・電話〇四五−四六五−五五一五)
開館時間 午前十時〜午後八時(最終日は午後五時閉館、入館は閉館の三十分前まで)
休館日 そごう横浜店の休みに準じて休館
料金 大人九百円、大・高生七百円、中・小生五百円(消費税含、団体割引あり。毎週土曜日高校生以下無料)
 
(Continued from P12)
was set. The Mingeikan immediately launched on a fundraising campaign.
  The construction started in mid-October 2001 When the roofs were peeled, it was realized how difficult it was to foresee how much had to be redone The Nagayamon needed more structural repair and replacement of a big beam Interior walls needed to be cleaned and partially redone. Gutters had to be replaced Peeling exterior needed repainting. The wooden "servant's door" on the far right of the Nagayamon needed mending. Many more miniscule but important renovation necessities emerged, inevitably putting the Mingeikan in a tighter position for the increased fundraising goal With Miner construction is still continuing, and the fundraising goal is estimated to be \150,000,000
  The fundraising campaign will continue until we can make the final payment in March. 2003.
  The Mingeikan is a non-profit organization and depends upon your kind support to keep the museum running. The Nihon Mingeikan is proud to continuously show works with an excelling aesthetic, produced by anonymnous artisans with natural materials, in a spirit honest and gentle to people and the carth Soetsu Yanagi called these works Mingei, and the current exhibition. Prominent Works from the Mingeikan Collection Part I (East Asia), is a wonderful showcase of what he wanted to preserve for the future.
(Renovation of the Nihon Mingeikan, by Teiko Utsumi, Mingeikan Trustee)








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