招待作品
石桁 眞禮生
Mareo Ishiketa
交響的黙示(黙示IV)−ソプラノとオーケストラによる−
I.序章 II.黙示 III.鎮魂詞 IV.揺籃
“Symphonic Revelatlon”(Revelation IV)
〜for Soprano and Orchestra〜
I.Prologue II.Revelatlon III.Requiem IV.Berceuse
この作品は、1981年度日本交響楽振興財団の委嘱作品で、1983年「現代日本のオーケストラ音楽」第7回演奏会において初演されたものです。
プロフィール
1915年和歌山市生まれ。東京音楽学校甲種師範科卒業。下総皖一氏に師事。1946年「新声会」同人となり、多数の作品を発表。1950年より1983年の退官まで、東京芸術大学音楽学部にて教授・学部長を歴任、多数の作曲家を世に輩出。歌曲を核にオペラ・オペレッタ・カンタータ・合唱曲の他、邦楽・室内楽・吹奏楽・オーケストラなど作品は百数十曲にも及ぶ。1996年8月22日逝去。
作品 |
(歌曲) 丸山薫の四つの詩/秋の瞳/鴉/鎮魂詞/旨目の秋/月に吠える/子供のうた 他
(オペラ) 卒塔婆小町/魚服記/コシャマイン記/ポエティク 喪服/駆込 他
(オーケストラ) 小交響曲/管弦楽のための組曲/交響曲(嬰へとハを基音とする)/協奏的黙示−ヴァイオリンとオーケストラによる 他
(室内楽・邦楽) チェロソナタ第2番/2サキソフォンのための黙示/ヴァイオリンとピアノによる黙示箏・鼓・笙による<無依の咏>/箏独奏による黙示 他 |
賞 |
第12回音楽コンクール入選(1943) 第1回毎日音楽賞(1949) 紫綬褒章(1983) 勲二等瑞宝章(1988) 第31回毎日芸術賞(1990) |
<歌 詞>
序章
I
わたしはだれ?
と
おまえが云う
四月の奈良の あたたかい
野の中の
白く乾いた まっすぐな道の上で
おまえ?
見つめていると
消えてしまう
かげろうのように
ふと 雲影がさすと
私の呼吸の中を
流れているおまえに気づく
おまえ
おまえは-------
II
これは路傍の古のみ仏
み額に手をおけば
石のぬくもり
手をかさねてごらん
おまえと
私の
これは魂のぬくもり
愛しけやし我妹子
愛しけやし我が夫子
お聴き
私らの遠祖たちの呼びかわす声を
そして
夢みよう
重ねられた二つの手の物語りを
鎮魂詞
I
ただ染められているばかりな雲の
愛の仕種の
風にとけて行くとき
紫色のランプの輝きで
脈打ちはじめた
おまえ
アルバムの砂時計が終り
汚れてしまった西陽がおちると
ひどくクレゾールな常闇に
おまえの手足が折りとられ
塊りとなって
捨てられた
おまえ
けれども そのとき
おまえは
新しい 目醒にふるえた
II
おまえがやって来る
一直線の渚を
ずっと向うの方から
足跡だけが
ひろがる波に
消され
現われ
つたつたと
ひびいて来る おまえ
だまって
波とあそぶおまえ
そして また
耳鳴りのように
いつかずっと向うの方へ
歩いていってしまっている
おまえ
おいで
おいで
ふりかえって
かけもどって
おいで
III
こう
こう こう
とおかみ えみため
あまかけり くにがけり
充ち拡ろるみ魂よ
ただよりに
ここもとに
依り来
この国土と
常世との
ありかずを尽くして
布留の鎮魂(みたまふり)の術を行う
こう
こう こう
IV
しかし レクイエムなど
なにになろう
おまえは生まれもしなかった
それ故に また
死にもしない
おまえの息吹を
だれもきかぬが
白い休止符の確かさで
じっと
そこに
立ちつくしている
おまえ
V
かあさん
かあさん
ここは何処
冷いね
どうして こう暗いの
おまえ
おまえ
かあさん
かあさん
名はなんと云うの
おまえ
名のない子
おまえ
わたしの子
詩=服部 芳樹
近代及び現代に貫流する音楽技法
作曲家 石桁 眞禮生
富樫 康
石桁眞禮生は和歌山市在住の地主の五男として大正5年(1916)11月26日に生まれた。兄はヴァイオリンを姉はピアノを嗜んでいたので、和歌山師範付属小学校高学年の頃、姉からピアノの手ほどきをうけた。同師範中学校に進み、13歳の時作曲への志をいだいた。中学卒業後上京して東京音楽学校(現東京芸大)甲種師範科に入り、作曲は主に下総皖一に師事して1939年卒業、直後現役として陸軍に入隊、約1年で除隊。のち終戦まで福井師範学校教師をつとめつつ下総皖一に隔週に一度のレッスンをうけた。
1943年日本音楽コンクールに「小交響曲」か入選。しかし1945年7月福井市で爆撃をうけ、凡てを焼失。戦後直ちに上京して市川市に在住。46年東京音楽学校講師。翌年作曲グループ新声会に入会。「弦楽四重奏曲」「チェロソナタ第1番」同第2番を発表。'52年作曲科助教授。またNHK募集管弦楽に「組曲」で1位入賞。'54年二期会のために作ったオペレッタ「河童物譚」が好評、続いて「女の平和」「卒塔婆小町」「魚服記」「駆込み」「喪服」等の舞台作品を発表した。
1983年に日本交響楽振興財団の委嘱により作曲したソプラノとオーケストラによる「交響的黙示」か今回再演される。
これは石桁の代表的作品のひとつであり、自作について彼は次のように語ったことがある。「第2チェロソナタ」もそうであるが、「組曲」(1952年NHK募集管弦楽第1位入賞作)において私は増3和音や全音音階を多く使用した。しかしその用い方は印象派のそれとは根本的にちがっている。印象派の作家は機能和声から脱しようとする潜在意識が大きい原動力となっているが、私の場合は、和声結合にあたって、なるべく各声部を機能的に進行させたいという狙いがある。つまりそのひとつの著しい現れが、どの音にも主音と導音の関係を与えたいという願望となって、これが必然的に、増3和音そのものを主和音の位置につかせる結果となる。そして常識的には全く同居することが困難とされている二つの手法が、自分の嗜好の前には平然と同居させられているのである。そしてこの曲から、快適なテンポ、新鮮味を失わない耳ざわりのよい和声、よく鳴るオーケストレーション、ちょっとした魅力のある旋律断片、歯切れのよい明快なリズム等が感じられれば本望である、と。素朴な様式美論を遵奉する彼は、作品に標題をつけることを潔しとしない。古典。浪漫。近代及び現代に貫流する正統な音楽技法。しかも「拘束されない感情と思想」、その両者の結合点としての一つひとつの音符を探索することは、彼の作曲上のアイデアでもある。この場合「黙示」とは宗教的あるいは哲学的な語意を、とくに現しているわけではない。“黙って示す”というだけのことである。
ソプラノとオーケストラによる「交響的黙示」は1983年3月に作曲、6月にソプラノ瀬山詠子、東京交響楽団により初演されたもので、I.序章Prologue II.黙示Revelation III.鎮魂詞Requiem
IV.揺籃Berceuseと分かれ、堕胎した児によせる母の哀惜の情を訴えた歌である。このヴァイオリンとオーケストラによる「協奏的黙示」(89)もあるが、しかしこの後に位置する1965年作(のちに改作)「嬰へとハを基音とする交響曲」は、更に重要な意味を持つ音列作品であることを銘記していただきたい。
氏は68年から83年まで東京芸術大学作曲科教授。74年〜78年には同大学音楽部長をつとめ、音楽教育にも指導的役割を果した。83年紫綬褒章受章。88年勲二等瑞宝章受勲。90年毎日芸術賞受賞。96年逝去。