5. 大きく変わる日本の安全保障―「普通の国」が見えてきた
●歌川令三
安保ただ乗りから集団的自衛権へ
二〇〇一年は、日本の安全保障にとって画期的な年となるであろう。戦後の日本に「安全保障」という概念が復活したのは、一九五一年のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結である。米国が対ソ封じ込め政策を強める中で、日本は「軽武装・経済中心」の政治路線を選択し、安全保障の秩序作りは、米国に依存するかたちでスタートした。これを「サンフランシスコ体制」という。その後、六〇年の日米安保改定ののち、「日米イコール・パートナー」の概念が導入されたものの、米ソ冷戦という"たが"がはずれた九〇年代に至るも、日本にとって、米国の防衛義務を伴わないこの枠組みは基本的には変わらなかった。
「日米安保」という名称で、日本では呼ばれている日米同盟は、軍事同盟であるにもかかわらず国際関係論の常識からいうと不思議な同盟であった。およそ同盟とは、相手国が軍事攻撃にさらされた場合、これを自国に対する攻撃とみなし、共同して自衛にあたるという双務的契約が含まれているのが、普通である。これを「集団的自衛権」というが、日本は憲法第九条の制約を理由にその行使をしないまま、日米安保の五〇年を過ごしてきた。「米国は日本を守るが、日本は友である米国が危険にさらされても助けない」非対称の同盟だったのである。米国側からは「これでは安保ただ乗り(Free rider)ではないか」と批判がたびたび出され、これが過去五〇年間の、日米安保摩擦の最大のテーマであった。
ところが、二〇〇一年の小泉内閣の出現以降日米安保の内容が変化し始めた。とりわけ、九月一一日の米国同時多発テロ以降、日本国内の安保をとりまく政治的環境は、劇的な変化を遂げた。テロ対策特別措置法と自衛隊法の一部改正の国会通過が、変化にはずみ(momentum)をつけた。テロリズム対策審議の過程で、国会は新法の根拠を国際連合憲章と国連安保理の国際テロリズムの非難決議においている。したがって、法解釈上はこれがただちに米国に対する「集団的自衛権」の行使を意味しない。しかし自衛隊海外派遣を含む対テロ後方支援(Logistic Support)は、主として米軍を対象としたものである。[1]武器使用と戦闘行為はしない、[2]時限立法である―との条件付きではあるが、この措置によって日米同盟の相互性が飛躍的に高まり、憲法上の制約から離脱し近い将来の「集団的自衛権」行使への道程が視界に入ってきたとみてよいのではないか。
安保[A]ゾーンから[B]ゾーンヘの移行
日米同盟強化への動きは、日本のテロ対策への立法以前、とりわけブッシュ氏の次期大統領当選以降、大きな変化をもたらす予兆があった。米国では二〇〇〇年秋、現国務副長官アーミテージ氏ら共和・民主両党の日米問題専門家による研究グループが、日米関係について提言した。その骨子は、「米日同盟を強化し、米英関係をモデルに、Natural Allianceのレベルまで質を向上する。そのために、日本は集団的自衛権行使と国連平和維持活動の制限をなくす。そして危機対応能力を維持しつつ、日本の米軍基地をできるだけ削減する」というものであった。これは、対米依存の片務的同盟から、相互的な軍事協力を盛り込んだ"世界相場並み"の「普通の同盟」への呼びかけといえる。
日本においても、一九九九年ガイドライン(新防衛指針)以降、「普通の同盟」をめざす動きが自民党議員や安全保障問題専門家を中心に盛り上がってきた。日米双方の安保をめぐるこのような政治的なインフラストラクチュアの支えがなければ、テロ対策特別措置法が国会で比較的早期に成立することは望めなかったろう。日本国内で起こった政治の世界での安保強化の発展過程(Dynamism)を、グラフを使って時系列的に分析したのが、別表のDomestic Political Environment regarding Japan-U. S. Security Relations(日米安保をめぐる日本の政治環境)である。
このグラフを使って、日本の安保をめぐる思考の変化について、分析を行う。[A]ゾーンは、米国依存の旧タイプの安保思想である。このゾーンは、サンフランシスコ体制のもとで、自衛隊の存在を事実上認めることからスタートした。途中、一九八一年の鈴木善幸氏のように、「日米安保条約には、軍事的要素はない」と発言した異常な首相が出現し、この喜劇的現象がもとで日米関係は大きく揺れた時代もあった。その後、中曽根康弘首相がロン・ヤス関係を築き、「日米同盟は軍事同盟である」(同盟である以上、そんなことは自明の理なのだが)と明言、両国関係を正常な軌道に戻した。九〇年代に入って、自民党と連立政権を組んだ村山富市首相が、日米安保条約の存在を、Idealistic Pacifist(ノー天気な平和主義者)の多い左翼政党として初めて認知した。[A]ゾーンの終わりを告げたのは、九九年の小渕恵三首相のGuide Line策定である。これは有事(Military emergency)の際、日本が米国にどの程度まで軍事協力するかについて、その「範囲」(Range)を決めたもので、Clinton米国大統領との間に合意をみた。これが、日本の安保をめぐる政治環境の[B]ゾーンヘ移行の予兆であった。
しかし、このGuide Lineは、日米妥協の政治的所産であり、内容があいまいであるとの懸念が、米国のみならず日米同盟の意義を重視する日本の政治家や安保専門家から出されていた。日米同盟をより実効(actual effect)あるものにするためには、同盟国である以上集団的自衛権を行使するのは当然であるとの気運が急速に高まってきた。こうした思考をもとに醸成された安保をめぐる政治環境を[B]ゾーンと定義する。[B]ゾーン論者は、日本の空へのいわゆるMD(ミサイル防衛網)の展開の研究についても肯定的である。
[A]ゾーンは五〇年近く続いたのに比べ、Bはまだ新しく、せいぜい二年間の変化だが、AからBへの移行のもつ戦略的意味は極めて大きい。第一は、X軸グラフ右方の米国全面依存(Total Dependence On the U. S)から、Self Help(自助)への方向を加味したことだ。第二は、グラフのY軸の上方から、下方へのシフトで、それがもつ意味は日本はMajor Military Power(軍事大国)にはならないものの、有事の際は、日本が憲法上当然もっている個別的自衛権のみならず、Collective Security Right(集団的自衛権)を行使し、そのもてる軍事力を有効に発揮する戦略思想の顕在化である。集団的自衛権の行使については、国会の三分の二の議決を要する憲法改正をしなくても、憲法九条の解釈変更によって可能であるとするのが、[B]ゾーンの主流、国家安全保障法の制定を提唱する中曽根氏、および現首相の小泉氏の見解である。[B]の思考パターンは、米国における同時多発テロ発生以前の段階でも、一般国民に浸透しつつあり、世論調査によれば、国民の五〇%以上が賛意を表している。
[B]ゾーンの思考は、一九九二年、小沢一郎氏(現、自由党)が発表した「普通の国」への理念と同一平面上にある(ただし小沢氏は、普通の国への一里塚とみなされるテロ対策特別措置法に二〇〇一年一〇月の国会で反対した。中途半端な法律に基づく米軍事支援で自衛隊に犠牲者が出た場合、国民感情が硬化し、普通の国への道筋が逆に遠くなってしまうのではないかとの懸念に基づく反対票である)。Y軸の下方、そして第I象限のX軸直近に位置づけられるのが、石原慎太郎東京都知事の安保に対する思考パターンであろう。氏は「ノーといえる日本」(JAPAN who can say NO)の著者として海外にも知られているが、対米のみならず中国に対しても「No」の立場を強く表明する安保自立論者とみなされている。日本が核兵器を所有した場合は、日米安保は解消するとみるのが、日米同盟のもつ理論的帰結であり、核兵器保有の可能性を必ずしも否定していない石原氏は、[B]ゾーンには入らない。
安保をめぐる日本の政治状況の中で、特別な位置を占めるのが、グラフの第II象限に位置づけた政党と何人かの政治家たちである。最近における[A]から[B]への安保の力点のシフトは、二〇〇一年の米大リーグのストライク・ゾーンの変更による「適格の規準」の改正にたとえられる。ここに位置づけられる政党、政治家は共産党を除くと、自衛隊と日米安保条約は合憲だといっている(以前は、違憲だといっていたが……)。ただし、日米安保が合憲だといっているのは、安保のもつ概念が[A]ゾーンにとどまる限りである。したがって野球にたとえるなら、日米安保ゲームは一定の条件のもとで認めてはいるが、あくまでスタンドの観客であり、プレーヤーとしてゲームヘの参加には否定的だ。
その中で動きが微妙なのは、公明党と民主党の鳩山由紀夫氏である。鳩山氏は、祖父の持論である憲法改正を唱えたかと思うと、テロ対策特別措置法に反対の意向を示したり発言が揺れ動いている。公明党は集団的自衛権の一里塚とみなされるテロ対策特別措置法の審議前まで、自衛隊の派遣について、国会の「事前承認」を求めたかと思うと、一転して「事後承認」の小泉案に賛成した。こうした安保思考の"ぶれ"を、グラフでは点線で示しておいた。公明党の"ぶれ"は、仏教のパシフィズムを理念とする同党の理念と、政治的な現世利益との間の相違を示すものなのだろう。鳩山氏のケースは、彼のもつ改憲思考の美学と、これに真っ向から反対するパシフィスト菅直人氏との民主党二頭政治の所産なのであろう。日本の政局は、再編成含みだが、もし安保論争をきっかけに新しい政界地図(新保守主義対リベラル・パシフィスト)が、生まれれば、こうした安保をめぐる"ねじれ現象"は解消するだろう。いずれにせよ、日米安保は、新時代に入りつつあることは確かである。
Domestic Political Environment regarding Japan-U. S. Security Relations
安保新時代のアジアヘの含意
日米安保新時代の到来は、アジアの安全保障問題に少なからぬImpactを与えることだろう。まず中国である。中国にとって最も心地よいのは、グラフの第II象限(quadrant II)であろう。しかしこれは、安保上日本が中国の属国(Client State)であることを意味し、現実には存在しない。そこで、次善の状況として、第I象限の右、上方部分が、agreeable(まあ悪くはない)であった。一九七一年周恩来首相は、Kissinger氏に対し「日米安保条約は、東アジアの安全保障にとって、重要かつessentialである」と述べた。この発言は、古い時代の日米安保、とりわけ[A]ゾーンの、九九年ガイドライン以前の内容に基づいている。それは、「日本は米国に対して基地を提供する代わりに、国を守ってもらう。日本は軍事行動は一切やらない」との内容だった。
中国側の当時の計算は以下の通りだった。日米安保は、それ自体が、日本の軍事力強化を防止する意味がある(これを日米安保の"ビンのフタ理論"=Theory of Bottle's Cork=という)。それに、米国とさえ交渉すれば、日本は米国の保護国なのだから、手間が省ける―。こうした中国側の日米安保の認識は、極めてプラグマティックであり、かつ正しかった。しかし、中国にとって、日本の安全保障をめぐる最近の様相は"気になる存在"になったことであろう。中国をStrategic Partnerではなく、Strategic Competitorと位置づけるブッシュ政権は、日本の憲法九条改正まで視野に入れ、"ビンのフタ理論"は、すでに放棄している。日本の核保有や軍事大国化には、米国は反対で、あくまで安保のストライク・ゾーンの中で応分の軍事協力を求めているのだ。
テロ対策特別法の範囲は、あくまで後方支援にとどまり、武力行使と戦闘行為を禁止しているが、日本は兵員と武器の面では世界有数の軍事力を有している。ただし使用の制限つきの"オモチャの兵隊"が、"本物の兵隊"になるとき、これをどうとらえるか、中国の安保専門家の新しい課題となるであろう。
隣国、韓国の事情も、中国とほぼ同様である。日韓関係は、歴史解釈の対立や、文化摩擦の分野が前面に押し出され、日米安保の研究の水準はそれほど高いとは見受けられない。米国をハブとする安全保障(米韓防衛条約)がメインストリームで、日米安保は、サブ・システムである以上、ごく自然の成り行きだった。日本が集団的自衛権を行使して「普通の国」になったら、韓国がどう反応するのか興味深い。その他の東南アジア諸国の中で、中国を潜在的脅威とみる国々は、その度合いが強ければ強いほど、日米安保の強化に肯定的な反応を示すのではないかと思われる。いずれも日本が絶対に軍事大国にならないとの保証がある限りとの条件つきではあるが。日本の軍事大国化や核保有は、予見しうる将来について絶対にあり得ない。なぜなら、そうすることは、日本が大損をするのみならず、破滅への道を歩みかねないからだ。安保新時代は[B]ゾーンの範囲で展開するのが、最も現実的であり、かつ正しいのである。