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2. 日米安全保障パートナーシップの活性化
●カート・M・キャンベル
 
 米国と日本の政治的パートナーシップは内省と戦略的再投資の時期にある。米日同盟は米国のアジア政策の基礎を提供し、これまで主要な柱として半世紀近く平和と安定を維持してきたが、それに見合うだけの関心と認知を得ていない。米日同盟の安全保障面もまた、一九九五 − 九八年の集中的な活動期間の後、いくらか勢いを失った。太平洋を挟んだ両サイドにおける真の戦略的見落としについていうならば、米日同盟はこの一〇年の大半の間、一種の官僚的自動操縦に陥ってきた。これにはいくつか理由があり、同盟による利益を軽視してきた面も少なくない。
 しかし、アジア太平洋の安全保障環境において米日同盟に一層積極的に取り組んでしかるべきであることを示唆する重要な変化が進行中だ。米日安全保障パートナーシップを再活性化するには、朝鮮半島における外交面での劇的な進展から台湾海峡の緊張の高まりまで含む、アジアの新しい安全保障の特質から見て、より集中的でハイレベルの焦点を米日同盟に当てることが必要となっている。
 
これまでどうだったか
 米日安全保障同盟はアジア太平洋地域における米国の戦略の要だと盛んにいわれたにもかかわらず、米国の上級政策立案者や評論家、エリートはその複雑さを理解したり重要性を支えたりするだけの十分な注意を払ってこなかった。実際、一九九六年のクリントン米大統領と橋本龍太郎首相による安保共同宣言で結実した九五年の戦略的見直し、いわゆるナイ・イニシアチブに要した短い期間を除けば、米日同盟は一〇年以上の間、双方の中級官僚によって管理されてきた(私自身、一九九五 − 二〇〇〇年に国防総省でアジア安保問題に携わった中級官僚の一人であることを認めなければならない)。
 米国の政府・社会の最高レベルにおいて、米日パートナーシップに今よりずっと多くの注意が払われるべきだと主張する前に、まず、これまでこのパートナーシップに焦点が当てられなかった理由を突き止めることが重要だ。すなわち米民主、共和両党、議会と行政府において、この決定的パートナーシップに対する焦点がなぜ欠けていたのかを追究することが大切だ。冷戦終結直後、安全保障上の共通課題に取り組む米日の継続的努力が欠けていた最も重要な理由はおそらく、一九八〇年代後期から九〇年代初めにかけて、両国間で経済的な競争意識や敵対心が高まっていたことだ。
 親密な安全保障パートナーシップと激しい経済的競争を両立させるのはいつでも難しいことだが、この時期、危機の際に米日同盟をどう機能させるべきかということよりもはるかに多くの時間が、半導体や板ガラス、自動車部品の問題に費やされ、すべての均衡が失われた。その上、冷戦終結の戦略的意味という点では、アジアは欧州よりもはるかに直接のかかわりが少なく不明確だった。ワシントンの政策立案者は主として、相次ぐ(欧)大陸での課題に気を取られた。その中にはロシアの改革努力やドイツの統一、北大西洋条約機構(NATO)の拡大、さらにはチトーのユーゴスラビアの分裂があった。
 それに比べて、アジアの安全保障は幾分縁遠い問題に見え、それら諸々の懸念は副次的と考えられ、二の次とされがちだった。また、日本内部には安全保障についてあからさまに考察することには伝統的な遠慮やアレルギーさえあった。多くの人々にとって、安全保障面における米日の役割と任務は以下のようなものだった。すなわち、米国は日本の安全保障の面倒をみる一方、日本は一切疑問を提起しない。現実には、米国の大半の国家安全保障機構のためには、基地はむろんホスト・ネーション・サポート(駐留軍受け入れ国による支援)も気前よく提供し、口出しをしない同盟国ほど気楽なものはなかったし、今もそうだ。
 さらに最近では、米国の政策立案者の過去五年間の最大の関心事は天安門事件以来事実上途絶えていた中国との関係を再構築することだった(より良い米中関係は日本の政策立案者の要請度も高い)。一九九六年の日本との安保共同宣言から出てきた安全保障課題を積極的に追求する中で、いくつかの分野でどっちつかずの態度が生じた理由はおそらく、安全保障パートナーシップの強化に中国が敵対的な反応を見せたことにある。米国は中国との関係改善を求め、日本も程度は低いにしても同様だった。米日パートナーシップは"中国封じ込め戦略"という概念のための一要素と見られがちだったが(そうした考えは不正確であることを付言しておかねばならない)、この概念を重視したくないとの明確な願望があった。これらの認識は、米政策立案者集団におけるアジア専門家の中でも、"中国第一派"と"日本第一派"の関係を悪化させた。この溝はそれまでほとんど顕在化したことのないものだが、ここ数年は広がっている。
 日本政府との集中的な安全保障議論はこれまですべて、主として北朝鮮をうまく説得して、自ら課した孤立政策から抜け出させたいという願望の副産物だった。ウィリアム・J・ペリー前国防長官の対北朝鮮外交戦略の下で保証された米国、日本、韓国三国間の目的の一致は、これまで平壌に対する国際戦略を進展させる上で欠くことのできない要素とみられてきた(実際にこれは正しい)。最後に、米日双方にはおそらく、長年連れ添った夫婦が感じるのによく似た不安感もいくらかあった。すなわちアジアにおいて二大国がいざ面と向かってみると話すことが大してない、もしくは、より憂慮すべき話だが、双方とも平和と安定に向けた基本的アプローチにおいて根本的に主張が食い違ってしまうのではという不安感である。これはある部分、最近の日本との対話がほとんど米軍のプレゼンスを巡る、重要性の薄い運営上の問題にのみ焦点が当てられており、実質に乏しいと米政府が認識していることから生じている。
 根本的には、日本は長いゆっくりとした衰退過程にあってそれゆえに将来の米国の計算には重要でないとの態度が、これまでいくつかの面でみられた。これと同じように日本にもおそらく、米国は高慢で説教し過ぎる上、戦略面での意見交換は大して行わず、行ったとしても十分聞く耳をもっていないとの認識がある。
 
何が変わったか
 そうした状況から何が変わり、太平洋を挟んだ双方が同盟の目的を再確認しなければならなくなったのだろうか。
 第一に指摘すべき最も重要な理由は、アジアの安全保障環境が不透明であるという点だ。われわれは一般的にアジア太平洋は商業における無限の可能性を持つと考えているが、起きつつある安全保障上の課題を過小評価してはならない。アジアは現在、平和と安定に対するすべての主要な脅威を、拡大アジア圏と呼ばれる地域に抱えるという、本当にそうなのかどうか不確かで、かつ前例のない特異性を抱えている(これと対照的に、欧州ではそれらに匹敵するような危険はこの一〇〇年以上の間で初めてなくなった)。安全保障上の課題には依然として、高度に軍事化された分断朝鮮半島や、ますます予測不能性を強めつつある台湾海峡情勢、あるいはインド・パキスタンの危険な核競争などが挙げられる。
 二点目は、日本自体が変化していることだ。それも決定的な変化である。安全保障に対する姿勢自体が動いており、米日同盟が現在の形のまま長期間存続できるかどうか、公にも非公式な形でも繰り返し疑問が提起されている。日本は、安全保障面でもっと"普通の"役割を担うべきだとの意見もより多くなった。以前とは打って変わって、日本の自衛姿勢の根幹にかかわる憲法問題が議論されている。日本政府は今や、自国に影響する安全保障問題に関しての話し合いの場を求めており、またそうあるべきだと考えている。そうした議論はまさに始まろうとしているところであり、米国にとっては議論の方向性に影響力を行使できる重要な機会だ。
 日本は後戻りできない衰退過程にある"消耗資産"だと主張する人々にとって、わずか一〇年前には米国の力が国際社会で弱まっていると誰もが信じていたことを思い起こすのは有益である。日本の国力がもつ永続的特質を過小評価するのは向こう見ずであろう。それは米国が衰退していると思われた一九八八 − 九三年、一部の賢明ではない日本人が潜在的で永続的特質をもった米国の力を切り捨てたのと同じことだ。日本は今後数十年の間、国際システムにおいて政治・経済で死活的な役割を担い続けるだろう。
 三点目は、アジアでは最近、潜在的に重大な動きがいくつか見られたことだ。それらの動きはわれわれが米日パートナーシップを運営する上で、その戦略的環境全体における大きな変化の真っ最中にいることを示唆している。これらの展開の二つか三つを簡単に概観するだけでも有益である。そこには歴史的な南北朝鮮首脳会談、台湾の選挙とそれに続く権力移管、インドネシアの危機とそこから生じた東南アジア諸国連合(ASEAN)全体の混乱のほか、重要さを増すロシアと中国の戦術的同盟や中国それ自体の興隆がある。日本でも選挙によって安保論議に影響しかねない再編成があった。さらに、戦域ミサイル防衛(TMD)や全米ミサイル防衛(NMD)の可能性によって提起される政治および運用上の問題もある。これらの問題はすべて、米日パートナーシップの枠組み内で慎重な考察を要する。
 四点目は、例えば台湾海峡に横たわる課題にいかに対処するかを巡って、米国と日本の両政府の間で見解の相違の兆候が実際に見られることだ。こうした問題は慎重に検討して詰めるべきであり、見落としたり無視したりすることは許されない。
 五点目は、外交政策の形成の仕方が米日双方で根本的に変化していることだ。米国議会と日本の国会の役割は増しており、政策決定プロセスをより複雑にしている。かつて政策の策定過程で米国務省と日本外務省が握っていた支配的役割は、新しいプレーヤー、とりわけ米軍や日本の政治家によって侵食されてきた。
 最後に、日本における米軍のプレゼンスや訓練に対する不安の高まりを示す兆候が増えているが、これは格言に言う炭坑内のカナリアと見なされるべきだ。つまり、前途の危険を知らせるものだ。米軍のプレゼンスの一部の側面は、日本の政治システム内に深刻な不和を引き起こす問題になりつつある。とりわけ沖縄でそれが顕著だが、沖縄だけに限ったことではない。
 
何をなすべきか― 一〇の課題
 最近の状況を考えれば、米日同盟を強化し新世紀に向けてうまく維持するためには何をなすべきか。今後実行すべき一〇項目の課題がある。
 
[1]広範で持続的な戦略対話の開始
 両国政府に可能な最も重要なステップはおそらく、深みと継続性を持った戦略対話に携わることだろう。その目的は米日双方が、広い範囲にわたる重要問題への戦略認識を比較対照することだ。戦略対話の議題としては、朝鮮半島における劇的変化の可能性、中国の興隆、NMDの開発、台湾海峡の緊張の高まりのほか、ASEAN内部の政治的まとまりの欠如が何を意味するかなどが挙げられる。
 真の戦略対話は難しい作業となるだろう。なぜなら両国はこれまで、この種の対話の習慣を持たず、その結果、戦略的相違点に正面から立ち向かったり、相違点をうまく処理したりしなければならない状況に追い込まれたことがなかったからだ。アジアにおいて重大で根本的な変化が起きつつある兆候が見られる以上(米日同盟そのものについてもこうした兆候はかなり見られる)、米日パートナーシップにはもはや、すべてのパートナーシップや同盟の基礎となるこうした基本的作業を無視する余裕はない。
 この相互努力の目標は、最近の出来事を再検討するだけでなく、肯定的な流れをどう促進できるか前向きな議論に着手し、否定的な後退が起きた場合に備える対処法を考えておくことだ。米国と日本のパートナーシップは米日同盟発足初期から、献身的ながらも極めて目立たない小さな実務家集団によって導かれてきた。米日安全保障対話の最近の歴史は、双方の社会により大きな支援グループが必要なことを示唆している。したがって、戦略対話のプロセスは官僚を超えて拡大され、主要な政治家や影響力のある世論形成者も含まれなくてはならない。より広範な安保議題ではっきりとした結果が出なくても、真の戦略対話に乗り出すことは大きな実績となる。
 
[2] 三国間安保協力のための新しい枠組みの検討
  過去五年間、安全保障領域における最も重要な歩みは、米国、日本、韓国間の安保協力の発展だった。その結果、米韓、米日の二つの二国間安保同盟は、一種の三国同盟の性格を呈するようになった。一九九〇年代半ばに協力が始まった最初の根拠は、北朝鮮によってもたらされた挑戦だった。実際には、その協力はより広範な地域安全保障枠組みへと拡大した。三国の安全保障専門家は、より公式な三国間枠組みを提供するための次のステップとして何が可能かを検討する時期にきている。そうしたことへの理解は、北朝鮮で根本的変化が起きる可能性に直面する三国が不安をなくすための一助となり得る。目標は朝鮮半島の分断を乗り越える制度と手続きをつくり上げることだ。
 
[3] 米日中による"事実上の三国間主義"の追求
  韓国との協力と意思疎通の進歩とは対照的に、アジアの三主要国、すなわち中国、米国、日本の間ではこれまで、同様の対話は驚くほど少なかった。この課題を達成するために何らかの公式なメカニズムを検討するのは確かに尚早だが、周辺から互いの信頼の改善につながり得る幾つかの手段がトラック2および当局者対話に見られる。一連の複雑な交渉は、三国間におけるあらゆる形の戦略上の安心感の根となりそうだ。
  米国は中国に対し、同国の興隆を抑えようとしているのではないことを分からせ、日本には米国が信頼できる安定したパートナーであり続けることを納得させなければならない。日本は中国に対し、歴史問題には誠実に対処することを納得させ、米国には同国の前方展開にかかる負担を物と政治の両面で支持し続けるつもりであると説得しなければならない。中国は米国に対し、現在そして将来もアジアが両国にとって十分に広大であると中国が見ていることを納得させ、かつアジアの安全保障における日本の役割の増大を受け入れなければならない。これら三国が一種の戦略的枠組について交渉することができなければ、将来にわたって続くアジアの平和と安定を想像するのは難しい。非公式三国対話が増えれば、米日の政治・安保同盟の目的について、中国が半信半疑に陥るのを減じることもできる。
 
[4] 安全保障上の新たな脅威に関する作業グループの設置
  米日協力の改善において、これまで主要な焦点となっていたのは伝統的な安全保障上の問題にかかわる分野だったが、その一方で、平和と安定に対するどんな新しい脅威があるかを調べる必要があるのは明確だ。例えば米国と日本は、サイバー安全保障や化学・生物兵器の脅威といった分野で協力関係を強化しなければならない。
 また、普通、本土防衛という題目の下にひとくくりにされる関連の様々な諸問題に対しても、両国の協力強化は必須だ。これら努力を成功させるためには、対話の参加者をこれまでのような国防省や外務省だけでなく、重要な社会基盤保護に当たる省庁にも拡大しなければならない。さらに、今後も続く従来からの課題に対してだけでなく、平和と安定に対する新たな脅威に対処できるよう米日同盟の情報面での協力も格上げさせなければならない。
 
[5] 軍の役割と任務の再検討
 米国と日本はこれまで、それぞれの役割と任務をどう分割すべきかという点から安全保障協力の将来を公式に議論したことはなかった。これこそがまさに、将来の協力を保証し、無駄な重複を減らすために必要なことだ。任務分野の重複の一部、例えば海の監視と沿岸警備はおそらく有益だが、大量輸送や偵察活動などほかの領域での重複は高くつく。同じような軍事・情報技術への重複投資は、将来の安全保障協力の基本的在り方についての対話が欠如していることを示している。機能性に優れたコスト効率の良い同盟であるためには、それぞれの役割と任務を理解することが絶対的に重要だ。
 
[6] 軍事調達における協力の再検討
 米日同盟のそれぞれの役割と任務を巡るより大きな問題として、軍事調達分野で両国がたどってきた道を再検証するのもまた賢明なことだ。一九八〇年代、次期支援戦闘機(FSX)を巡る経験は、米日同盟における政治的かつ軍事運用上の大失敗となった。米国と日本は不幸にも、FSX開発でしぶしぶ共同作業に当たり、結果として満足のいかない戦闘機をつくった。双方に後味の悪さが残り、とりわけ日本にとってはそうだった。TMD防衛のような重要システムの開発が視界に入っているが、その協力の行く末によって既存のシステムの有効性が大いに試されるだろう。双方(とりわけ日本)で軍事に投入できる人や資金が縮小している環境にあって、今後調達面の協力において何を優先するのか、どのような形で協力を進めるのかを改めて検討してみるのは大切なことだろう。
 
[7] ガイドライン法履行の継続
 米国と日本は九八年、防衛協力のための指針の画期的な改定を発表した。この指針はある意味で米日同盟の(コンピュータの)基本ソフト(OS)とも言うべきソフトウエアだ。指針は日本の防衛や地域の有事、人道上の危機を含む米日同盟のあらゆる潜在的な軍事力発動の枠組みを提供している。これに関連した法律の多くは日本の国会を通過したが、履行は予定よりも遅れている。有事を想定した計画策定および運用上の詳細にかかわる作業は尻すぼみになっているが、これは主に日本の政治的臆病さと、日本人が北朝鮮(危機における防衛指針の潜在的適用先)へ深くかかわろうとしていることに気を使っているためだ。このため、防衛指針プロセスが本来持っている力を発揮できないでおり、アジア太平洋地域の様々な状況に備える責任を負う米軍司令官たちにとって深刻な欲求不満となっている。
 日本側の主な懸念はおそらく、これらの問題への本質的対応が国内の政治的分裂を引き起こすことへの恐れだ。必要な作業は地域の危機が起きた後でも可能だという、うぬぼれとも言える間違った信念がここには見られる。実際には真剣な計画なしでは、重大な出来事はすべて、米日同盟それ自体を危機に追い込み、深刻な関係断絶を招く公算が大きくなる。米日同盟が全面的に健全であるためには、政治、外交分野でなされた仕事を完成させる運用上の問題に、より焦点を当てることも必要だ。
 
[8] 作戦と施設に関する一層の協力の必要
 日本における両国それぞれの軍事施設の現状を言う場合、別々で不平等という表現が最適だ。日本の自衛隊施設が時として見た目にも荒廃し、維持もうまくなされていないのに比べ、米軍の施設ははるかに現代的だ。このことは友軍たる自衛隊の羨望を招き、日本国民の中でもより問題化し始めている。協力の拡大はコスト効率が良いだけでなく、おそらく在日米軍の存続を保証するためにも必要なことだ。滑走路や格納区画を米日が共有する基地や施設はあるが、訓練や作戦上の実際の協力は極めて限定されている(米日の海軍はかなり広範な協力を実現しているが、おそらく例外であり同時に模範でもある)。これはある部分、日本の一定の軍事活動に対する法的な規制の結果だ。
 しかし、米軍の日本での前方展開を伴う米日安全保障同盟を将来にわたって存続させるのなら、一層の施設共有の必要性について大幅な見直しが必要だ。米国と日本は、それぞれの軍事施設をより一層統合する作業を進めるべきだ。米側について言えば、現在米軍だけが使用している基地を日本の自衡隊と共有すべきだ。訓練は調整の上で同時に行うようにし、小さな国に二つの別々の軍事集団が存在することから生じる騒音や市民生活の影響の二重負担、不便さを低減すべきだ。
 
[9] 日本における米軍の訓練と手続きの見直し
 米政府は、日本におけるすべての軍事訓練および標準作戦手続きを、全面的に見直すべきだ。冷戦の終結で、在日米軍に対する日本国民の感情は否定的なものへと急速に変化した。軍事活動による騒音と生活への影響のためである。米軍の訓練の多くは即応能力維持のためには死活的だが、一部は不必要だ。米軍司令官は時として訓練活動などについて「これがわれわれがずっとやってきたやり方だ」という説明に陥りがちだ。国会や世論に米軍のプレゼンスを説明し、擁護する責任を負っている日本の当局者と、在日米軍の間の対話はひどく悪化している。双方は共通の問題に対処する際、柔軟性と相手の意向への理解を欠くことがたびたびある。ここで必要なのは、これら古くからの問題に対する新しい取り組みだ。
 米国は創造性と柔軟性をもって今一度、標準作戦手続きを見つめ直さなければならない。フィリピンやグアムなどの場所で可能な活動はどれか。訓練活動の既定路線を続けるに当たっての第一の根本的理由は、単なる惰性ではないか。ある種の訓練様式はシミュレーターで可能ではないか。最も重要なことは、どの活動が絶対的に死活的で維持されなければならないかだ。その代わりに米側が望むのは、残された訓練活動が米日同盟の即応性と円滑な機能のためには死活的であることを日本の担当者が世論に納得させることだ。
 
[10] 米軍前方プレゼンスにおける一層の柔軟性の必要
 十分な数の米軍前方展開兵力を維持することは過去半世紀の間、米画のアジア太平洋戦略の主要な要素だった。このプレゼンスは戦略的環境の形成に向けた米国の決意を強調し、平和と安定への挑戦が持ち上がれば、それらに反応する米国の決心をはっきり示すものだ。プレゼンスの継続は、平和と安定を維持するための優れた戦略の礎石であったし、今後もそうであり続けるだろう。しかし、現在アジアに展開する米軍を見ると、あまりに少ないかごの中にあまりにも多くの卵が入っているようなものだ。米国は、北東アジアの基地にほぼ全面的に依存する状態から、東南アジアやオーストラリアを含むアジア全域での多様な作戦上の配置や訓練様式を求めた"大掛かりな転換"に着手しなければならない。これらの配置には、シンガポールの新軍事施設を完成させることをはじめ、フィリピンやタイでの新たな訓練機会の探求が含まれるほか、地上軍の恒久的プレゼンスを伴うオーストラリアとの同盟強化も可能性として考えられる。
 こうしたことは、朝鮮半島の変化の見通しを見越しているだけでなく、日本の一部の基地受け入れ地域、とりわけ負担の不均衡としか言いようのない状況に苦しむ沖縄で高まっている反米感情に対処するものだ。作戦面での軍事ドクトリンは、守備隊型と決別し、より小さな部隊の長期展開を可能とするものに修正されなければならない。最後に、米国の力と決意を示すためには、われわれは陸軍兵士や海軍水兵、海兵隊員の総数ではなく、実際の軍事能力にその重点を移さなければならない。
 
結論
 米日安全保障同盟は存続すべきであり、ダイナミックなアジアの平和と安定の基礎として未来に向けて確固としたものにしていくべきだ。実際、世界で間違いなく最も重要な安全保障同盟である米日同盟を維持するための必要条件がある。それはすなわち、実績の改善、全般的に好意的な公衆の姿勢、明確な戦略的・軍事的要請だ。
 しかし、同盟が発展するためには、重要な方向に変化しなくてはならない。このプロセスは、難問が多い長期にわたるものであることは疑う余地がない。日本と米国が踏み出さねばならない最初の、そして最も重要な一歩は、真剣な戦略的考察が米日同盟にとっての最善の利益であり、また、より広いアジアにおける平和と安定の維持のために必要であることを認めることだ。
 








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