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3. チェイニーとパウエルの対立
●ローレンス・F・カプラン
 
 米国の軍事力の海外投入問題が生じると、米政府の役者たちは自らの路線を銘記させようとする。国務省は積極的なスタンスを取り、ベトナムの「教訓」から身動きが取れないペンタゴンは自制を訴える。ロナルド・レーガン時代のキャスパー・ワインバーガー国防長官とジョージ・シュルツ国務長官の論戦を想起すればいい。シュルツは、「米国は敵対国に対して、対処すべきか、いかに対処するかを果てしなく憂慮する「ハムレットの国」になっている」と不満を述べた。マデレーン・オルブライトも、統合参謀本部議長だったコリン・パウエルに「あなたがいつも口にするこのすばらしい軍備も、使えなかったら意味がないのではないか」と論戦を挑んだことも有名だ。
 ジョージ・W・ブッシュはたぶん気付いていないだろうが、ブッシュ政権はこの方程式を逆転させようとしているかにみえる。つまり、国務省のチームが「世界の警察官」になることに慎重なのに対し、国防総省のチームは、米国は警察官以上の存在になるべきだと考えている。パウエルは戦争反対主義という彼独特のブランドを国務省に持ち込んだ。
 これに対し、パウエル元将軍の懸命の努力にもかかわらず、ディック・チェイニー副大統領は国防総省に公然たる介入主義者を静かに送り込んできた。チェイニーは必ずしも、彼らのイデオロギーを共有しているからではない。むしろ、介入主義者の外交任務は、チェイニーの官僚主義的任務と領域を分けている。冷戦期を通じて、チェイニーは反共主義という外交原則に導かれてきた。今日、彼を導くものは別の原則、「反パウエル主義」と呼ばれるものである。
 チェイニーは彼とパウエルの対立に関する報道を「ワシントン一流の誇大宣伝にすぎない」と否定している。この誇大宣伝は信じてみるべきだ。問題がソ連の目的であれ、クウェートからのイラク追放であれ、国際情勢をめぐるパウエルの予測であれ、チェイニーは四年間の国防長官時代の多くをパウエルの封じ込めに費やした。今、チェイニーは騎手として一〇年前にやめたことをやり直し、彼独自の外交政策機構を効果的に創設、手下たちを国防総省やホワイトハウスに配置した(ドナルド・ラムズフェルド国防長官の場合は、彼の良き師である)。チェイニーの部下の多くは、軍事力行使を望んでいることで知られている。
 このため、個性の対立として始まったことが、早々と思想の戦争に発展しているのだ。彼らの見解は既に、パウエルとだけでなく、コンドリーザ・ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)とも直接衝突している。ライスはパウエルほど厳格に固定されていないが、米国の世界的な役割について、屈折した見方に傾いている。最近、ブッシュは彼の外交アドバイザーについて、「意見の対立が起きようとしている。対立はある方がいい」と述べた。彼には意見がないのだ。
 外国への介入に対するライスとパウエルの嫌悪感はよく知られている。ライスにとって、対外介入は「国家的利害」がかかわるときのみ、試みられるべきだとなる。彼女の意見では、国家利益は物質的利益に集約されるため、彼女が大統領選挙戦中に説明したように、ブッシュ・チームは必ず、「軍事介入をより選別的にする」という。彼女の副官のスティーブン・ハドリー副補佐官も同じ調子で話している。ブッシュ元政権時代でも当局者だったハドリーは、「米軍が攻撃対象となり得る」として、米国はボスニアヘの介入に抵抗すべきだと主張した。二〇〇〇年の大統領選で彼は、クリントン政権が「あまりに拙速に軍事的手段に訴えようとする」と批判した。
 しかし、パウエルに比べると、ライスはカーティス・リマブのようにみえる。パウエルはブッシュ元大統領、チェイニー元国防長官の下で統合参謀本部議長を務めたとき、湾岸やバルカンでの武力行使にあらゆる手段を使って抵抗した。利害が死活的で、成功が保証されるときにのみ陸軍を配備し、圧倒的に勝つかまたは何もしない、できれば後者を選ぶ―というパウエル・ドクトリンは、ベトナム後の将校団の間で支配的な常識をまとめたものだ。この見解を強化するため、パウエルは国務省政策計画局長にブルッキングズ研究所の学者、リチャード・ハースを起用した。ハースは、米国の衰退という動かしがたい現実に適応する外交政策を取るべきだと主張する。パウエルはまた、親友で抑制的な軍事ドクトリンの支持者であるリチャード・アーミテージを国務副長官に選んだ。
 しかしながら、パウエルは国務省の外での官僚的な戦いで、チェイニーらタカ派に敗れ続けている。彼は指名発表の時の記者会見で、人種問題から国防予算に至るまであらゆることに思いをめぐらし、最初の失敗を犯した。「彼はアル・ヘイグのようだった」とチェイニー陣営の中核メンバーの一人は述べ、さらに「彼はペンタゴンにフェザーウェート級が配され、自らがペンタゴンも運営すると考えたに違いない」と指摘した。実際、パウエルは直ちに、彼にとって好ましい候補であるトム・リッジ・ペンシルベニア州知事を国防長官に擁立しようとした。しかし、チェイニーはリッジに拒否権を発動。そのあと、ネオ保守派で、チェイニーのお気に入りのポール・ウルフォウィッツに白羽の矢が立ったとき、パウエルの盟友たちは報復に転じ、大学院の学部長だったウルフォウィッツが「下手な経営者」であることを知らしめようとした。この批判は、クリントン前大統領が指名した悲惨な国防長官であるレス・アスピンの二の舞を避けようとするブッシュの側近らも共鳴した。パウエル陣営は、ウルフォウィッツはイラク問題でタカ派すぎて、パウエルの好みに合わないとささやいた。
 ウルフォウィッツは国防長官ポストを得られなかったが、ホワイトハウスはパウエルに事前通報もなく、チェイニーの古い師匠であるラムズフェルドを指名、これでチェイニーが勝利した。国防総省との勢力比を維持しようと、パウエルは友人のアーミテージを国務省ナンバー2のポストに選んだ。しかし、ラムズフェルドはアーミテージを、パウエルに近すぎるとして反対し、ウルフォウィッツをそのポストに提案した。
 チェイニーは威圧的な軍事力を信奉する率直な考え方の持ち主だ。「彼の指針となる原則はタフネスだ。彼はそれほどアイデアマンではないが、敵大国からなめられたくないと思っている」とチェイニーの側近は指摘する。偶然だが、それはラムズフェルドにも通じる指摘だ。報道機関は彼を、フォード政権の穏やかさを体現した国防長官の返り咲きと描いてきたが、これはばかげている。腕立て伏せが何回できたかを自慢したことで知られる元戦闘機パイロットのラムズフェルドは、ソ連とのデタントが実質的に宗教でもあった政権内で、外交政策の異教徒だった。彼は、キッシンジャーやフォードの反対にもかかわらず、第二次戦略兵器制限条約(SALTII)を葬ろうとし、デタント戦略をほぼ単独で攻撃した。
 多くの保守派と異なり、ラムズフェルドはソ連型社会主義がなくなったあとも、引き続き米国至上主義に固執してきた。ラムズフェルドが国防長官ポストを獲得したのは、一九九〇年代末、米国への弾道ミサイルの脅威評価委員会を委員長として精力的に指導したためだが、彼はミサイル防衛以上のことをするよう求めている。イラン、イラク、北朝鮮、中国、ロシア、欧州の独自軍創設努力、さらにはパウエル・ドクトリンからの離脱といった当面のすべての外交問題で、ラムズフェルドはずばずばものを言うタカ派である。
 さらに彼は、パウエルやライスと違って、米国の価値と戦略目標が本質的に矛盾しているとみなしている。ラムズフェルドと保守派グループが二年前、活発な外交のためのロビイスト機関である「米国の新世紀プロジェクト」のために起草した外交政策の原則に関する声明は、「われわれは民主主義同盟諸国との関係を強化し、米国の利害と価値に敵対する政権に挑戦しなければならない」と強調した。声明は、「われわれは、米国の安全保障と繁栄、原則にとって好ましい国際秩序を維持、拡大するという米国独特の役割のため、責任を負わねばならない」と指摘している。
 ラムズフェルドの副官となったウルフォウィッツは、ブッシュの外交政策チームで最も知性の高いメンバーだが、ボス以上にタカ派である(シェブロン社は選挙戦中、石油タンカーの名前をコンドリーザ・ライスと命名したようだが、ウルフォウィッツはソール・ベローの最新小説「ラベルストン」のモデルだ)。ウルフォウィッツのワシントンヘのデビューは一九七〇年代半ばで、保守派の外交政策グループ、チームB(編注:政策上の有識者グループ)のメンバーとして手掛けた七六年の報告書は、ソ連の意図について情報サークルの注目を集め、ヘンリー・キッシンジャーも優雅に読んだ。レーガン政権時代、彼は素早く国務省とペンタゴンの階段を駆け上がり、ブッシュ元大統領はウルフォウィッツに国防総省のナンバー3ポストを与えた。そこで彼は、湾岸戦争の設計者の一人として働いたが、もっと大事なのは、チェイニーの右腕となったことだ。
 彼の世界観はパウエルやライスと完全に衝突する。ウルフォウィッツの友人で、元国務省当局者のエリオット・エーブラムズは「国防総省について彼ほど知識が豊富で、同時に米外交が果たす役割に献身している人物は思い浮かばない」と述べた。ウルフォウィッツは昨年、ナショナル・インタレスト誌に寄稿し、「米外交政策の重要な手段である人権を捨て去る現実主義者の外交視点ほど、現実的な論点はない」と書いた。ウルフォウィッツは国防次官(政策担当)時代の一九九二年、米国の軍事的優越を「潜在的な競争相手がより広範な地域的、世界的役割を果たそうとする意思を阻止する目的」に使用するよう勧告し、政界の左右両極による論争を巻き起こした。
 ウルフォウィッツはその目的に賛同する思想の同志を政権に連れてきた。彼の元副官の一人で、「ウルフォウィッツよりウルフォウィッツ的」と側近が称するI・ルイス・リビーはチェイニーの首席補佐官である。リビーの下で働くことになるのは、ブッシュの父親時代のペンタゴンでウルフォウィッツの同僚だったエリック・エデルマンである。他の似たような側近も国防総省のウルフォウィッツの下で働くことになろう。ホワイトハウスはペンタゴンの政権移行チームを支援するため、レーガン政権時代の当局者、ウィリアム・シュナイダーを送り込んでおり、ブッシュの補佐官らは、彼が国防総省の高官ポスト、おそらくは政策担当次官に起用されるとみている。
 ウルフォウィッツの側近で、やはり政権移行を担当したザルメイ・ハリルザードにも国防総省の高官ポストが打診されるだろう(現、湾岸・南西アジア担当大統領特別補佐官)。レーガン時代の対アフガニスタン政策チームのベテランであるハリルザードの評価は主として、反政府武装ゲリラの支援者として働いた経歴から来ている。一九九二年、彼とウルフォウィッツはブッシュ元政権内で、ボスニアのイスラム教徒の武装化を主張した少数派の一人だった。最近でも、ハリルザードは一カ月の間に二度、新聞のオピニオン欄に登場し、コソボとイラクの反政府勢力をほめたたえた。これ以外にも、ネオ保守主義者が舞台の影で出番を待っている。ワシントンのシンクタンクを通じて、パウエルの国務省から締め出された保守派は、ポトマック川の向こう側に履歴書を送っている。
 ブッシュ・チーム内の哲学的な対立は、イラク、バルカン、中国という三つの重要な分野で既に論争に発展している。イラクをめぐる意見対立は第一次ブッシュ政権時代にさかのぼり、パウエルは湾岸戦争で戦闘停止をうまく主張したり、イラク反体制派の支援も否定し、これがサダム・フセインの政権居座りを効果的に保証した。パウエルはイラク反体制派に関する消極的な見解を修正していないようだ。つい数週間前、彼は国務省の会議で、反体制派を支援することの効果を過小評価していた。ウルフォウィッツは対照的に、過去一〇年間の多くをイラク反体制派支援のロビー活動に費やしてきた。彼は湾岸戦争後、イラクが反乱勢力虐殺にヘリを使うのを米国が阻止するよう求めた彼の要望をパウエルが却下した記憶になおもいら立っている。
 ウルフォウィッツは一九九九年、「われわれは湾岸戦争を終わらせることを切望するあまり、イラクのヘリによるシーア派虐殺を放置してしまった。われわれは八年後もなおサダム・フセインと対峙している」と指摘した。ラムズフェルドとシュナイダーも、サダム打倒を狙う反体制派支援を求めるウルフォウィッツに同調した。チェイニー自身も最近、イラク国民会議の指導者、アハメド・チャラビと会見した。
 バルカンをめぐっても、ストーリーはほぼ同じだ。大統領選挙戦の初期、ブッシュのチームではコソボ戦争について公然と意見が分裂した。昨年、ライスはボスニアとコソボから米軍を撤退させると発表して北大西洋条約機構(NATO)を混乱に陥れた。パウエルも九〇年代の大半、米国はバルカンに「死活的な利害」を持たないとこぼしてきたが、やはりバルカンでの軍事プレゼンス削減に言及した。ラムズフェルドは逆に、九四年からクリントン政権に対し、ボスニアでのセルビア人の略奪行為を中止させるよう要求した。二年前、多くの保守派がコソボ介入の中止を要求していたが、ラムズフェルドは介入のエスカレーションを主張した。彼は上院での指名承認公聴会で、バルカンからの撤退問題で、撤収期限設定の試みを「無謀だ」と指摘し、パウエルに反ばくした。ウルフォウィッツやハリルザードも積極的なバルカン政策を支持しており、彼らとパウエルのこの問題をめぐる論争は、イラク政策での対立にさかのぼる。
 しかし、ブッシュ・チームを分断する最も重要な問題は中国である。パウエルは北京に対して融和的な立場を取るキャリア外交官や国防総省出身のアジア専門家で国務省を固めており、政権内の対中タカ派の啓蒙という「教育プロセスに関与」する必要に言及していると伝えられる。同様に、ライスも昨年夏の共和党大会で党綱領の中国に関する文言を和らげようと試みたが、失敗した。これに対し、ラムズフェルドは中国がアジアで米国の影響力に挑戦しようとしていると警告、中国の「自己欺瞞」の立場を信じようとしない者を批判している。台湾の報道によれば、長年台湾の友人であるウルフォウィッツは、大統領就任式の日、台湾当局者と会談した。ブッシュの最初の外交政策決定の一つは、台湾へのかなりの兵器売却パッケージになるとの予測も一部にある。中国について、レーガン時代の国防総省当局者、フランク・ガフニーは、ラムズフェルドのチームが「パウエルに活を入れて必要な教育を与えるかもしれない」と指摘した。
 チェイニー陣営がパウエルを圧倒しようと狙っているとみられるのは、中国とイラクだけではない。パウエルの存在感、ライスと大統領の緊密な関係にもかかわらず、多くの専門家は、チェイニー―ラムズフェルド―ウルフォウィッツのトロイカが最終的に、すべての重要な戦略問題で政権の政策を設定するだろうとみている。
 それは第一に、チェイニーが多かれ少なかれ、ホワイトハウスを運営するという広く知られた前提がある。特に、ブッシュは外交にほとんど関心を示さず、知識も乏しい。チェイニーは既に、彼の首席補佐官で、ウルフォウィッツの側近だったリビーに副大統領補佐官(国家安全保障担当)というポストを追加した。これは、省庁間の外交政策会議で、リビーに新たな影響力を与える措置だ。ブッシュ・チームに近い筋がもっと注目すべき動きとして指摘するのは、チェイニーが十数人の地域専門家から成る彼のための「影の国家安全保障会議(NSC)」の創設に動き出したことだ。ゴアもまた、彼が担当した二国間委員会の作業を行うかなりの国家安全保障スタッフを持っていた。チェイニーの根本的な目的は何だろうか。ブッシュ・チームは結局、大統領直属のNSCのスタッフ数を減らすとともに、ライスを閣僚級とする構想を却下した。
 チェイニーのホワイトハウスでの影響力を支えているのが、盟友のラムズフェルドであり、彼は官僚機構の比類のない闘士だ。フォード政権時代、ラムズフェルドはしばしばキッシンジャーを出し抜いた。キッシンジャーは後に、ラムズフェルドについて、「野心と能力、実体を備えた手腕のある官僚政治家が間断なく癇癪を起こすのは、ワシントンの特殊な現象だ」と評した。
 パウエルはもちろん、彼の官僚的手腕の結果として、しかるべき位置を得た。しかし、制服時代に比べると、官僚的手腕も役に立っていないようだ。一つには、彼には盟友が少ないことがある。政権全体に支持者を抱えるチェイニー・ラムズフェルド派に比べて、パウエルはもっぱら、国務省に孤立しており、軍隊を持たない将軍である。パウエルはまた、イデオロギーが嫌いであることによっても束縛されている(彼は一九九五年に、「イデオローグを探そうとするなら、それは私ではない」と述べたことがある)。
 イデオロギーを嫌悪することで、パウエルは国務省の周辺をキャリア外交官や中級管理職タイプで固めることになった。国務省のポストに回されたある保守派の一人は、「彼は管理能力のあるテクノクラートだけを望んでいる。彼は国務省を陸軍の基地のように運営したがっている」と指摘した。パウエルの人事戦略は国務省の掌握力を強めるだろうが、政権内全体での彼の立場を弱める可能性がある。なぜなら、外交政策の舞台では、他の省庁の同僚らと長期にわたって関係を持続し、政府内で影響力を行使できる者は、官僚ではなく、政治家タイプだからだ。
 ライスについて言えば、彼女の地位は日ごとに弱まっている。理由の一部は彼女の言動にある。選挙戦の最後の数週間、彼女は欧州同盟国との間で「新しい作業分担」をし、特にバルカンの警察官の役割を西欧同盟国に委ねるべきだと発言して論議を醸し、大きなミスを犯した。欧州は衝撃を受けた。続いて衝撃を受けたのが、米国の新聞のオピニオン欄であり、民主党組織、それにブッシュの選対本部も同様だった。ライスはパウエルとラムズフェルド、それにチェイニーの間でサンドウィッチになっていることを実感した。外交問題の議論では、国家安全保障担当補佐官が大統領に近いという利点によってしばしば勝利を収める。ライスも確かに、ブッシュに近くなろう。問題は、チェイニーの方がより大統領に近く、しかも彼が「首相」であることだ。
 さらに言えば、ライスとパウエルは思想的には歩調を合わせているようだが、パウエルはライスを盟友というより、ライバルとみなしているかにみえる。数人のブッシュの補佐官によれば、パウエルはライスの任務を彼の外交指導能力を妨害させないよう保証を求め、受け入れられたという。ブッシュ・チームのスタッフは、ライスは日常の省庁間の文書の流れを管理し、列車を時間通り運行させる役回りになると予測する。ラムズフェルドの盟友は、「彼女は押しつぶされるだろう。ごく単純なことだ」と述べた。
 結局のところ、国防総省のチェイニーの盟友たちが、組織の数の力があるだけに、パウエルやライスとの論争で勝利することになろう。ペンタゴンは来年度、大枚三千億ドルの国防予算を獲得する。国務省はその一〇分の一の予算を確保できれば幸運だろう。国家安全保障局(NSA)で長官を務め、現在ハドソン研究所の上級研究員であるウィリアム・オドム退役将軍は、「巨額の資金を自由に使えることで、ペンタゴンは国務省を含む他の省庁には不可能な方法で、外交政策の定義を下している」と説明する。
 実際、強力な指導力のない中で、国防総省は(財務省とともに)、これまでの十年間、米国の外交を事実上運営してきた。ペンタゴンは定期的に、重要な外交政策の転換を承認したり、拒否権を発動している。軍の戦域司令官は同僚らとともに、世界のあらゆる地域で植民地司令官のように君臨する(事実、国民的偶像となった一部の将軍は、ポスト冷戦の外交政策について、国防総省に対し、だれよりも過度の発言力を行使してきた)。いずれにせよ、ブッシュ・チームを分断させる問題の大半は、武力の行使に直接かかわるケースだ。そして、これらはまさに、国防長官が国務長官以上に影響力を行使する決断である。
 奇妙な話だが、ペンタゴンのチームの最大の問題はペンタゴン内部にあるかもしれない。ほぼすべてのケースで、将校団が武力行使に反対を唱えるのが明瞭な図式となった。とりわけ、ラムズフェルドのミサイル防衛への熱中が多くの高級将校を怒らせており、彼らはこのプロジェクトが彼らの予算を食い尽くすのではないかと憂慮している。とはいえ、ラムズフェルドがフォード政権時代の国防長官だったとき、彼は厳格な政治統制を行使したという評価を得ている。彼が兵器計画をキャンセルしたり、国防長官の権威に挑戦しようとした将軍に公然と屈辱を与えたとき、将校らは不満を言った。
 しかし、それは良き国防長官がやるべきことでもある。ラムズフェルドは彼の著書「ラムズフェルドの規則」で、「国防長官は特別の将軍や特別の海軍司令官ではない。長官の任務は最高司令官(大統領)と国家のために、国防総省に対するシビリアン・コントロールを行使することだ」と記している。運がよければ、彼はコリン・パウエル以上の役割を行使するだろう。
 








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