2. アーミテージ報告書の行間を読む
●スティーブン・C・クレモンズ
ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスは紀元後二一一年、一八年に及んだ治世後の死の病床で、後継の皇帝とその後数世紀にわたるローマ帝国の将来の指導者たちに、次のような警告を残した。それは「兵士に不満を抱かせてはならない」というものだった。米国のビル・クリントン前大統領は二期にわたった在任中、この警告だけは守らなかった。米国で冷戦終結後初めて就任した大統領である彼は、米軍の計画や任務、予算に相次いで攻撃を加えたのである。
すなわち彼は、国防総省を二一世紀に役立つ軍事組織に変革しようとし、そのために米国の国家安全保障の権威たちの大多数から大いなる軽蔑を受けたのである。クリントン氏のホワイトハウス時代の政治的陰謀やセックススキャンダルに関する著作は今後、出版され続ける予定だが、クリントン政権についての最も重要な分析では、大統領の軍に対する統制力と支配力が劇的かつ心配なほどにむしばまれたという点に焦点が当てられることになるだろう。
過去八年の日米安全保障・経済関係は、このホワイトハウスと国防総省間の激しい緊張を反映しており、最近刊行された「アーミテージ報告書」は、米軍の最高司令官を傷つけようとする軍の官僚組織による努力についての重要な証言なのである。
クリントン氏が一九九二年の大統領選挙で勝利した際、軍の将軍たちとの関係は最悪だった。大統領選挙に立候補して以来、ベトナム戦争での徴兵忌避のうわさが出ていたばかりでなく、政権発足当初から同氏は同性愛者を軍内で認めるべきだとの命令を発して、以前から確立されていた同性愛を禁止する軍の規律を脅かしたのである。もっともクリントン大統領はその後、前言を撤回し、「(同性愛について)尋ねない、語らない」という問題のある規則を設けたものの、大統領周辺の人物たちと国家安全保障関係の官僚組織との争点は明確になった。クリントン氏は諸般の問題を一層表面化させることにより、超大国間の競争のためにつくられた国防総省と国家安全保障組織の存在意義に疑問を呈したのである。
クリントン氏の大統領就任前の九二年、アーカンソー州のリトルロックで三日間開かれた「経済会議」は、同氏が大統領選挙期間中に唱えた「すべては経済さ」というキャッチフレーズを強調した。この言葉は、軍のエリートを主流から外し、彼らが米国の将来とは関係ないように国民に思わせたのである。同氏と大統領選を争ったブッシュ大統領の選挙チームが、湾岸戦争の勝利が同大統領に選挙戦での勝利をもたらさなかった理由を分析している間、クリントン氏は単に「さらなるバター(経済的繁栄)」が必要で、軍事予算は削減すべきだと主張した。
世界最強の軍隊である米軍に不安を感じさせることができる敵はほとんどいないだろうが、クリントン氏はそうしたことをするのに優れていたのである。
日本の役割
米国の国家安全保障の権威たちにとって長期的に極めて重要なことは、日本との防衛協定(米日安全保障条約)、および日本に駐留する米軍の前線展開部隊だった。米国が一九五二年に日本の占領を終えて以来、米国は日本に好条件を与えてきた。それはアイゼンハワー政権の国務長官だったジョン・フォスター・ダレス氏によって始められたが、その好条件は、日本による米軍の駐留支持と引き換えに日本の輸出品が米国市場に無類で容易なアクセスができるようにしたのである。この条約は時に、経済的もしくは政治的に両国が対等であるべきだという理由で騒動に巻き込まれ、試練を受けたが、表面的な修正をしただけで五〇年以上にわたって大部分が変更されないままである。
日本に駐在する米国の陸海空および海兵隊の兵員は冷戦期間中、多様な任務を帯びていた。最も重要なものは、ソ連の侵略を抑止することと、あまりあからさまなものではなかったが、日本の軍国主義の復活を阻止することだった。日本は長期間にわたり、自衛隊の装備のために米国の最新兵器の購入とそのライセンス獲得の両面で、米国製兵器の最大の輸入国であった。米日の安全保障当局者は互いに接近し、両国の「幅広い関係」を時々乱す貿易および経済上の問題について、大概は無視した。言い換えれば、両国の政策的な問題においては、防衛上の優先課題は常に経済的な優先課題に勝っていたのである。
冷戦終結後、米国の将軍たちは日本の米軍基地を維持し、日本に武器輸出を続けて日米関係の政策決定における彼らの有利な地位が変化しないようにしたいと望んだ。その点が、日本は経済面に関して米国につけ込んで公正ではないと信じるクリントン政権の人々と、太平洋地域で基地を維持する米国の能力はとりわけ重要であると感じる人々の間の緊張の核心なのである。
アーミテージ報告書について
この歴史的な文脈は、アーミテージ報告書の原理的な重要性を理解する上で大切なことである。この報告書は二〇〇〇年一〇月一一日、国防総省の元当局者であるリチャード・アーミテージ氏のリーダーシツプの下、一六人で構成される研究グループによって七ページにわたる報告書として公表された。アーミテージ氏は、ストローブ・タルボット氏が直前まで務めていた国務副長官にジョージ・ブッシュ大統領によって指名されたばかりであった。同報告書は、国家戦略研究所の特別報告書として発行(
http://www.ndu.cdu/ndu/sr-japan.htmlのインターネットサイトで閲覧可能)されており、「米国と日本=成熟したパートナーシップに向けて」という題名は、クリントン政権とその前の共和党政権に仕えながらも、国防総省の生き残りと繁栄に身を捧げる人々の宣言なのだ。彼ら、とりわけ国防総省に勤務もしくは助言をしていた人々の活動は、日本のための政策枠組みの確立を求めたのであり、クリントン政権が追求してきたことに背いたものだった。
アーミテージ研究グループの一六人のメンバーのうち七人は、レーガン、ブッシュと続いた共和党政権時代に国防総省に勤務しており、また一人は米中央情報局(CIA)および国家安全保障会議のメンバーだった。ジョゼフ・ナイ、カート・キャンベルの両氏を含む四人はクリントン政権時代、国防総省の国際安全保障事務所で働いていたか、極めて近い協力者および顧問だった。ナイ、キャンベルの両氏は、期限を切らずに東アジア・太平洋地域で十万人の部隊を維持するという米国の方針を確立した主要な人物の中に入っており、また、クリントン政権の経済顧問たちにとって主要なライバルだったのだ。ナイおよびアーミテージ両氏は、国防総省の国際安全保障事務所長の経験があるが、彼らの異なる所属党派は、クリントン政権の対日貿易政策に対する両氏の共通の侮蔑、および伝統的な国防総省のアジアでの利益存続への献身と比べれば、大した問題ではないのである。
一六人のメンバー中、ブルッキングズ研究所のエドワード・リンカーン氏、バイデン上院議員のスタッフのフランク・ジャヌージ氏、上院議員だったロス氏のスタッフのダン・ボブ氏、そして日本の外務省が資金を拠出している日本経済研究所の職員のバーバラ・ワナー氏だけが、軍や国家安全保障の権威とは無関係だった。
報告書の主張
私は同意しないが、アーミテージ報告書はクリントン前政権について、日本との安全保障および経済関係において一時的かつ特別の対応によって苦しんだと主張している。ところが、日本の経済不調およびその理由に関する同報告書の独自の対処方法は無邪気であり、報告書の基本的な主張とあまりよく結び付けられていない。この主張とは、米国は日本との安全保障問題への真剣なかかわりを再確認し、過去において享受されていたある種のパートナーシップに両国関係を戻し、経済的な優先課題を低いレベルに移す必要があるというものだ。ブッシュ現政権は、この課題を実現する用意が十分にあるようにみえる。
この報告書の中で軍事的なごまかしの表現についての最も驚くべき芸当の一つは、在日米軍出動の可能性のある主要な不測の事態を議論することなしに、大規模な同軍のプレゼンスを維持すべきだと強く主張していることである。この報告書は同時に、部隊構造の調節はナイ氏が主張した一〇万人という人工的な数字に基づくべきではなく、東アジア・太平洋地域全体での海兵隊のより広範かつ柔軟な展開と訓練オプションを米国は考慮すべきであると述べている。実際、この研究グループのメンバーのほとんどすべての人は公然と、日本における米軍のプレゼンスのいかなる根本的な改革にも反対だと主張している。
そして国防総省はこれまで、米軍沖縄基地の整理・統合行動に関する特別委員会(SACO)でのいわゆる「足跡の削減」を受け入れているにもかかわらず、合意の履行において動きが極めて緩慢だった。したがって、アーミテージ報告書によって示唆されたある種の軍事的柔軟性は実際、過去においてアーミテージ氏や他の研究グループのメンバーによって支持された方針と完全に対立してしまっているのである。
同報告書は「Okinawa」という文字が付けられた特別の項目で、米軍部隊が一番集中する場所は依然、沖縄でなければならず、その理由は「安全保障の問題では、距離が重要だからだ」と強調。「沖縄は東シナ海と太平洋の交わる場所に位置し、韓国や台湾、南シナ海から航空機でわずか約一時間の距離である」と述べている。もし実際、国防総省が憂慮する主要な不測の事態が発生すれば、おそらく国防総省はまた、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)もしくは中国との戦争で、日本が自国領土の使用を許可する可能性があまりないという事実も憂慮すべきだ。かつての朝鮮戦争の際、日本はまだ米国の占領下にあり、ベトナム戦争時に沖縄は依然、日本に返還されていなかったということを思い起こすべきである。
日本への指令
おそらくアーミテージ報告書の一番の強みとなっている部分は、報告書の約半分が日本が実行すべき点に対する助言で占められていることだ。同報告書は「日本が集団的自衛権を禁じていることは、同盟協力上の制約になっている。これを解禁することは、より緊密で効率的な安全保障協力を可能にするだろう」としている。つまり、日本は戦後の憲法を改正し、第九条を撤廃すべきだというのである。その第九条は、自衛の場合を除いて侵略戦争を永遠に回避するとしている。また、米国は「日本に対する防衛技術の優先利用度」を策定し、「米日ミサイル防衛協力の範囲を広げる」べきだと主張する。言葉を換えれば、日本は米国の武器を購入し続けるべきであり、また、米国のライセンス同意の下、米国製の兵器を製造し続けるべきであるとさえ述べているのだ。
アーミテージ報告書によると、「日本政府は、現在の日米情報協力関係がその必要性を満たしていないことを明確にしている」とされる。その一つの理由は、日本が独自の人工衛星を幾つか打ち上げようとしているからだという。しかし、米国は日本が入手する情報が何であれ、それを見てみたいと思っている。というのも、そうでなければ「米日両国の認識、そして恐らく両国の政策が今後、異なってしまう」からだという。日本が独自の外交政策の目標を実際に持っているかもしれないということは、この報告書に関する限り、可能性の範囲内には明らかにないのである。
同報告書は日本はまた、経済を改善させなければならないと主張する。というのも「弱い日本は、世界的な資本の流れにおいて変動性と不確実性に寄与してしまうからだ」という。すなわち、弱い日本は巨額の米国の貿易赤字を引き続き財政的に支援することができなくなるだろう、とアーミテージ報告書は言っているのだ。「したがって日本は市場開放を行わなければならず、会計やビジネス慣行、規則において一層の透明性を確保する必要があり、規制緩和は加速されなければならない。そして米政府は、日本における外国からの直接投資を増加させることに関する協議を開始すべきで、第三次産品に対する関税や農業補助金、貿易上の障壁の除去を求めるべきである」と述べているのだ。
ある人は、この指摘のすべてについて、日本人はどう思っているのかと考えている。特にアーミテージ報告書が、日本人は他のいかなる選択肢もない場合を除いて「急進的な改革に反対している」と非難し、同報告書の処方箋を用いた場合には日本の政治家が今のところ背負い込むのを拒否している短期間の犠牲を出すのを認めているからである。もし、日本人による同様の報告書が米国人に対して、防衛の問題に関する憲法の改正や消費の抑制、一層の貯蓄、海兵隊の本国帰還を求めたら、米国人はどう思うだろうか(実際、二〇〇一年一月一九日、米大統領就任式の前日に沖縄県議会は全会一致で沖縄に駐留する米兵の削減を要求する決議を採択したのである)。アーミテージ氏および国防総省にいる彼の相棒は、米国だけでなく、日本の外交政策の運転手の席にしっかりと座っていると信じているようだ。われわれは、この報告書がそう信じているのかどうか、もしくはブッシュ新政権が軍の将軍たちに不満を抱かせない以上のことを考える必要があるのかどうかについて、もうしばらく見守ってみなければならないだろう。