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汎宗教帝国
 つい最近まで、ヴィジャヤナガラ王権はヒンドゥであり、モスリム(イスラム教徒)を受け入れなかった、といわれてきた。日本の歴史書もほとんどがそのように記述している。モスリムを受け入れなかったことで、土豪、藩王(ラージャ)たちの支持を取り付けていた、というのだ。そして、帝国の崩壊は、北部からのイスラムによって滅ぼされた、ということになっている。しかし、近年の研究では、帝国の滅亡は王権内部の覇権争いであったという説に傾いている。お家騒動である。もともと帝国にはモスリムは基盤を持っていた。仕える宮殿内の諸侯にも、モスリムはいたのである。遺跡には、モスリムの墓があり、遺跡化したものと、いまでも子孫によって守られているものがある。(写真、参照)
 また、遺跡の外縁部には、遺跡化したジャイナ寺院が多数みられる。ハンピーに隣接する街道宿場町ホスペットにはジャイナの共同体も存在している。だが、ジャイナの多くは、南下し、アラビア海沿岸に拠点を移していったようである。
常民と非常民
 すでに前章でみたように、北部からのブラーミニズムに激しい戦いを挑んだリンガエット運動は、宗教運動であるとともに階層コミュニティの戦いでもあった。土地所有と共同体を定着、定住するための運動でもあった。ここで、ジャイナとは利害が対立したとみえる。ジャイナは土地を取得し貸し与えることが、彼らの理念であった。リンガエットは農耕民で、11世紀前後から、カルナータカ、特にヴィジャヤナガラを横断するトンガバトラ河流城では、それまでの雑穀農業から米作への転換が盛んにおこなわれた。前章に登場したクンピーラの王子クマーララーマの王家は、溜池事業を推進し、地域の崇敬を得ていた。また、英雄神マイラーラの伝承は、階層破壊の物語であると同時に農業民と非農業民の同棲への働きかけでもある。日本の民俗学がいう常民と非常民である。
 リンガエットは、常民化への熾烈な戦いを企てたのだ。ヴィジャヤナガラの成立は、リンガエットの運動を受けて、成り立ったのである。租税による統治は、定住化農業(常民)なしには成り立たなかった。
街道と漁民
 ヴィジャヤナガラ帝国は、四方に門を構えていた。門内は都市化され、上下水道まで完備していた。東西に延びる街道は、ベンガル湾岸、アラビア海へそれぞれ連なっていた。
 ベンガル湾岸のチェンナイ(マドラス)は、クリスチャンの都市であり、マンガロールは自由交易都市であった。都市化されたヴィジャヤナガラ首府は、沿岸からの吸収力を持っていた。王権は、マンガロールにもチェンナイにも、自由を与えていた。交易経済都市として両沿岸が発展することは、帝国にとって強力な背景となったからである。
 定着農業民を統治することは、商業、交易に携わる者たちよりは容易であった。統治せずに吸引することが王権の発想であったろう。国家意識の未熟であると同時に、地域性と国家を考える事例でもある。
 付言するなら、ヴィジャヤナガラの滅亡は、東西からではなく、南北、内陸南部のマイソール、北部マハラシュトラからの締め付けに、王権の内部は脆かったのである。
 両沿岸域の自由な発展のなかで、漁労民は独自な文化を養った。母系性を現代に至るまで堅持し、死と再生、癒し、清め、そして折口信夫がいう「母が国」の淵源を辿る母性神話を生みだしている。
 
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巫女。クマーララーマの祭礼
 
 
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ハンピー隣接、ホスぺットの裏町
 
 
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イスラム寺院、ジンマ・マスジット マンガロール近郊ウララ








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