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三章 アラビア海沿岸の女性神話と海の道
1) ヒロイン、シリの物語
 シリ物語は、アラビア海沿岸城の女たちに圧倒的な支持を得ている。
 その祭礼は、夜を徹しておこなわれ、ヒロイン・シリの物語をそれぞれが唱いあげる。物語に入り込むと憑依し、自らがシリになってしまう。
 本文にも出てくるが、シリは、この地域の本来は農業民であるバンツ階層の始祖と伝えられている。しかし、漁民、下層民の女性たちからも圧倒的な支持を得ている。
なによりも、シリの強靭で女であることを貫き通す生き方が階層を越えた信仰につながっている。離婚し、不倫し、第二夫人になることを懼れず、再再婚する。バンツ階層がいまでも母系を守っている強さが、シリに如実に現れている。
 インド一般にいわれている女性とはまったく異なった女性が、ドラヴィダにはいるのである。
シリ物語
 トルー(TULU)の邦にサティアナプーラ(Sattyanapura)という館があった。主の名は、アルウァ(Alva)といい、妻はソーマッカ(Somakkaデービー・女神の意)といった。彼女は、美しく性格も温順で、夫妻は、幸福に暮らしていた。やがて、妻は妊娠した。館では、身妊りの祝儀(バヤケBayake望む・願うの意)をおこなった。妊婦には、サリーと菓子が与えられ、床に座した妻は、着飾って、菓子を戴く。と、参列の人びとは、お腹のこどもも菓子を食べたと、祝福を与えた。
 妊娠の経過は順調だった。そして、妻は男の子を産んだ。しかし、不運なことに、その子はすぐに死んでしまった。妻もまた、後を追うように亡くなった。主は、悲嘆にくれた。館の幸運は、不幸に傾いた。まるで、墓場のように活気を失った。
 幾年か経て、主はすっかり老いた。豊かではあったが、こどもがない。後継ぎのないことが主を、この上ない悲嘆に堕としていた。
 ある晴れた朝、主は湯浴みし、神前の間で祈りをあげ、きれいに掃除の済んだ広間へ来ると、揺り椅子に腰を下ろした。そして、召使いのダルを呼んだ。ダルは、主の膝下に額ずいた。主はいった。
 
 「ダルよ。わたしをご覧。すっかり老いてしまった。もう充分、長生きをしたよ。もう館の主の座は保てまい。黄金のベッドで、華飾の夢をむさぼることはできまい。床に独り寝することになるだろう。ダルよ。この館は、信仰篤く慈悲深いことで知られている。どうか、忘れないで、怠らないで欲しい。この館から神がみへの灯明の灯りを絶やさないでおくれ。わたしには、神がみからの迎えがきている。もうすぐ、そこにだ。」
 そういって主は、神前の間に戻ると、蛇神で創造の神ブランマに深い祈りを捧げ、それから自分の部屋へ入るとベッドに俯せに寝てしまった。
 ダルは、なにがおこったのか、どうしたらいいのか分からなかった。そのとき、戸外からうつくしい歌声を聞いた。戸口に立ってみると、ひとりの托鉢(ヴィクシュカVikshka)の僧侶が門前に立っていた。ダルは頭を垂れて迎え、托鉢の椀に施しを盛って差しだした。
 「わしはおなごからの施しは受けぬのじゃ。この家の主、自らの手から戴きたい。」
 「ご主人さまは、いまこちらへ出向くわけには参りません。体調がよろしくないので、お寝みになっておられますので。」
 「おお、そうか。ならば、その椀に水を満たして、その水を主の顔に垂らしてご覧。きっと目覚める。」
 ダルは、いわれた通りにした。主は起きて、広間にでてくると、頭を垂れて僧を迎えた。
 
【異説】主は、ナーガプラマンの寺へ、いつもの朝のように参詣にいっていた。 その留守に托鉢の僧がやってくる。托鉢の僧は、乞食ブラーミン、と普通表現されている。彼は、主の帰りを待っていた。
 
 「おまえさまは、なにか悩みを抱えているようだな。」と僧は主に尋ねた。
 主は、彼の長い物語を語った。
 僧は、話を聞き終えると「ランケローカ・ナドゥ(Lankelooka Naadu)という処に旧く寂れた寺がある。いまは遺跡のようで、誰も省みない。おまえさまは、あの寺を復興するとよい。ぜひ、そうなされ。」といった。
 にわかに主は幸せを感じ、蛇神で創造の神ナーガ・ベルメル(Naaga Beremere)に祈りを捧げ、その神が主神の寺を復興した。そして祭祀をおこなった。スギー月(Suggi新暦の4〜5月)の満月祭だった。千人もの参詣人があり、司祭は、神懸かりして神の降臨を得た。主は、立願した(願を掛けた)。跡継ぎを得ることを願ったのだ。寺内では、僧侶(ブラーミン)がプージャをおこない、サンダル・ぺースト(白檀の練り物)とアルカナッツの花を主に与えた。
 主は館に帰ると、白檀とアルカナッツの花を黄金の皿に載せ、穀物貯蔵の葛籠(カルラカレンビKarulakarenbi)に納めた。
 翌朝早く、主は、赤ん坊の泣き声に目を覚ました。そして泣き声は、穀物葛籠のなかから聞こえていた。主は、葛籠のなかに可愛らしくうつくしい女の子を見出した。それは、黄金に輝く人形(Honna Gombe)、そのものだった。
 
〈伝承〉この娘、後のシリこそ、トルー語圏のセカンドカーストであるバンツ
 Buntsの最初の女性、といわれている。シリには、母神的始祖伝説が与えられている。
 
《注釈》シリ誕生譚−いくつかのポイントがある。
 托鉢の乞食ブラーミンは蛇神で創造神のブランマの化身した姿、とかんがえてよい。しかし、本来地域民俗信仰のナーガ=蛇神とヒンドゥ神話プラフマンとは別の体系のもので、プラフマンがプランマと転訛しているが、ブランマは、ナーガ・ベルメル(Naaga Bermeru)の謂いであり、これも実はヒンドゥ教学とは別の体系にある南インドの民俗信仰である。こうしたことから、シリ物語の時代的背景が明らかになる、という研究者もいる。南インド・トルー語圏にヒンドゥイズムが最も活発に浸潤してくる一二世紀初頭にその根拠をもとめる、という節である。ヒンドゥ訪問僧が創造神の役割を体現して、こどもを生みだし、しかもその子が地域メジャーカーストの女性始祖だとする象徴性は、ダイナミックな宇宙観を備えている。
 また、穀物葛籠のなかで、アルカナッツの花と白檀の粉を媒介として生まれる「ちいさこべ」シリは、いかにも「竹取物語」に似ている。柳田国男「ちいさこべ」
 白檀の粉は、普通プラサードと呼び、神に自らの真実を捧げた証として額にもうひとつの目を受け容れる。赤や黒点で表すのが自前で点ける化粧だが、寺や祠で司祭、僧侶、主としてブラーミンから礼拝の答礼として受けるのは、白檀の粉末をココナツの油脂で練ったものが点けられる。白檀は練り香ともなって常に寺祠に漂っており、聖なる燻郁なのである。この白檀は、南インドデカン山中の特産で、盗伐を防ぐ厳しい管理がおこなわれている。白檀の聖性は、南インド人びとにとって、ドラヴィディアン、アーリアンを問わず、彼らのアイデンティティのひとつなのである。
 アルカナッツは、椰子科タケヤシ属で、英語でいうアレカパーム(Areca Palm)、日本では檳榔樹に最も近いようだ。
 南インド三州、カルナータカ、ケララ、タミールの農業経済を支える特産物だ。というのは、全国的にインド人が愛好する嗜好品パームの材料なのだ。アルカナッツの果実の堅い種を砕いたり削ったりして、ライムと称する巻き貝の粉末を練ったものと合わせて、好みの香料、砂糖、煙草の刻み葉などと青い紫蘇に似た葉に包んでチューインする。何処のどんな辺鄙な田舎町へいっても、この露店はある。化合変化して口中で真っ赤になる。その赤い唾をぺっぺっと吐き歩くのは、ちょっと異様な行儀の悪さだが、インド人は、食後など、大変消化によい、と信じている。一定の気象条件があれば、水稲に適さない山間、傾斜地でも灌漑水利さえ整えば栽培できるため、デカンの末端地域からアラビア海沿岸の険しい地勢には適した農業産品なのだ。
 この花、というよりは初穂がココナツとともに祭祀、儀礼には欠かせないもので、祈りとともに神に捧げ、豊穣を誇り祈願する。
 シリは、この雄花と雌花の合わさりから生まれた、ということになっている。
 もうひとつ、シリ誕生の重要な小道具として黄金の皿がある。そして生まれたシリはホンナ・ゴンベ、黄金の人形、だった。竹と黄金の組み合わせは沖浦和光氏も指摘しているように「かぐや」姫の重要な暗喩であり、シリとかぐやの神話性がここにも深く潜んでいる。
 
 一一日目には、揺り籠に乗せる儀式(名付けの儀式)を地域じゅう(サッティア・ローカダSattya Lokada=Sattya/world Lokada/local)の女たちが集っておこなった。シリ(Tender,Soft,Treasure,Wealthなどの意)、と名付けられた。
 こうして、シリ誕生のことは、総ての人びとが知ることになった。
 バサルール(Basaruru)からサンカルプーンジェリ(Sankaru Puunjedi)という寡婦がやってきた。シリを一目見て、この娘をわが家の嫁に、と望んだ。そしてサリーを贈り物にした。幼児許婚である。
 シリが七歳になったとき、バスルールから使者がやってきて、結婚について話し合われた。シリの側には二つの条件があった。ひとつは、婿はシリの父の面倒を看ること。もうひとつは、あたらしい夫婦が、シリの実家、サティアナプラの館を受け継ぐこと。婿になるカーント・プーンジャ(Kaantu Puunja)は、ふたつの条件を承諾した。婚儀はこうして取り決められた。
 結婚式は、親類一同、ならびにたくさんの客を招いていた。
 まず、シリは晴れ着を付けた。それは黄金の像のようであった。それから興に乗ってバスルールまで練り進んだ。バスルールに着くと、プーンジャ家の人びとの膝下に脆いて礼をした。そして結婚式となった。
 ふたりの新婚生活は幸せにはじまった。しかし、結婚の際のふたつの条件は、実行される気配はなかった。そして一年が経った頃、夫は、結婚以前から馴染みの娼婦シーレ・シッドゥ(Sulle Siddu)という名の女の元へ通いはじめた。シリはそれを知ると、いかないでくれ、と懇願した。しかし彼は聞き入れてくれなかった。やがてシリは妊娠した。妊娠七ヶ月、安産祈願の寺詣での儀をおこなうため、夫カーントは、シリの実家サティプラの館を訪ねた。彼は、シリの父、老主アルウァとともにカルカラの街ヘサリーを買いにいった。老主は無事な出産を願って、サリー(バヤケセリBayakeseri)にお祓いを授かった後、シリに贈るよう夫に託した。夫はしかし、まっすぐに帰宅せず、シーレの娼館へいってしまった。シーレは、大喜びで彼を迎え、ミルクと料理で彼をもてなした。シーレは、彼が持ってきた包みを開けてしまった。それは、あたらしく美しいサリーだった。彼女は戯れにそれを着ると、奥さんなんかより、わたしの方がずっと似合うわ、とはしゃいだ。遂に彼は、三日も娼館で週ごしてしまった。
 四日目、彼が家に帰ると、すでに家では祝福の儀式の支度がされていた。シリの父、アルウァもたくさん土産を持って、すでにきていた。召使いたちによって広間は飾りたてられていた。
 儀式がはじまって、夫はカルカラで購い託されたあのサリーをシリに贈った。しかし、シリは、この贈り物を受け取ることを拒否した。
 「このサリーは、すでにあの娼婦が袖を通しています。こんな汚れたものをわたしは着ることはできません。」
 儀式に参列した一座の人びとは、驚き悲しみ、儀式は成りたたない。婿の母、シリの姑は、シリに対して大いに怒り、
 「おまえはこの家の嫁、家族じゃないか。この家の大切な儀式をぶちこわしにするのかい。」
 しかしシリは聴く耳をもたず、父アルウァの館へ帰ってしまった。
 
《注釈》ここで、シリははじめて異能を発揮する。娼婦シーレがサリーを着てしまったことを見破った。遠隔透視とでもいおうこの超能力が、シリの名誉と自尊のためにはたらいた。
 また、姑サンカルが、シリをおまえはこの家の嫁で家族だ、と怒るのは、どうやらプーンジャ家は男中心家族を目指し、シリの実家アルウァ家は、母系家族であることを物語っているようだ。アルウァの提起したシリの結婚の条件、アルウァの館を受け継ぐ、すなわち入り婿になる、というのが結局守られなかったことにも、そうした背景が読みとれる。
 
 そして九ヶ月と九日目、シリは男の子を産んだ。
 最初の陣痛がきたとき、シリは夫の元へ手紙を送った。しかし彼はこなかった。生まれたとき、シリはもう一度手紙を書いた。男の子が生まれた。会いにきてくれ、と。それでも夫はこなかった。今度は祖父となった老主アルウァが、名付けの式をおこないたい。と三度目の手紙を送った。やはり、婿カーントはこなかった。祖父は、仕方なく占星術師に名付けを頼んだ。
 占星術師はいった。「この子の生まれ時がよくない。もし、祖父がこの子の顔を見たら、祖父は死ぬだろう。そして、母シリはこの館を捨てることになるだろう。」この託宣を伝え聞いたシリは深い悲しみと怖れに襲われた。祖父は、おなじ館にいながら、孫に会うことができなかった。それでも名付けの式はおこなわれ、こどもはクマーラ、と名付けられた。クマーラは、揺り籠に乗せられた。
 ある日、シリは赤ん坊に湯浴みをし寝かせてから川辺で洗濯をしていた。ダルは牛の乳を搾っていた。と、クマーラが目覚め激しく泣きだした。祖父は、泣き声を聞きつけシリとダルを呼んだ。しかし、いっこうに返事がない。クマーラは、ますます激しく泣いている。孫を見てはいけない、ということを承知していた祖父は、それでもしかし、泣きやまないクマーラに心を掻きたてられ、シリの寝室に入り、揺り籠に近づき、抱きあげ頬擦りしてしまった。クマーラは機嫌を直し泣きやんだ。丁度そのとき、洗濯から戻ったシリは、祖父がクマーラを抱いているのを発見し、あわててクマーラを奪い、父を広間へ戻した。クマーラにミルクを与えると、父のために広間ヘミルクを持っていった。だが、そのときすでに父の意識はなく、やがて息をひきとった。
 シリは嘆き悲しみ、夫に手紙を書いた。どうぞ葬式に参列してください、と。しかし彼はこなかった。
 夫がこない女家族に、親類のシャムカラ・アロウァ(Chamkara Alva)という青年が、葬式一切を仕切りましょう、とやってきた。彼は昔、その両親ともどもシリとの結婚を望んでいた。しかしいまは亡き父の反対で、婚儀は成立しなかった。シリは、シャムカラの突然の登場に怒って、
 「父の身体に触れることも許しません。お帰りください。」と逐い帰してしまった。シリとダルは、女ふたりだけで、火葬し葬儀を終えた。
 シャムカラの父は、アンヌ・シェッテイ(Annu Shetty)といい、妻ボムミ(Bom-mi)は、シリの父アルウァの妹に当たる。トルーの邦には古くから母系相続のしきたりがあり、叔(伯)母から甥に財産が相続される。甥はその妻の甥に相続してゆくことになる。そういうわけで、シリの息子クマーラは叔母ボンミの相続人ということになる。シャムカラ・アロウァがシリの妻になれば、アンヌ・シェッティ家は、シリの家の財産と自分の財産を両方管理、取得することができる。しかし、シリの父が存命のときは、結婚に反対された。亡くなったいま、機会は到来した、と彼らは策を巡らせたのだ。そして実はシリの夫カーントが、シャムカラとシリの過去のいきさつを知っていて、シャムカラヘ手紙を書き、シリの父が亡くなったことを知らせるとともに、葬儀一切をとり仕切り、相続を得たらいい、と奨めていた。
 シリに葬儀の一件を拒否されたシャムカラは、夫カーントをバスルールを訪ね、このことを報告するとともに相談した。カーントは、
 「本来、シリとの結婚に際して、義父アルウァは、あの館も領地も夫である自分に受け継ぐよう条件をだしていたのだ。だから、あれはすでにわたしのものだし、わたしのいうように運べばいいのだ。領地サティナプーラの村会議を招集して、きみのおもうように取り決めればよい。」と進言した。
 シャムカラは、村会議員を買収したうえで、会議を召集した。
 シリは、村会議に出席した。会議は、館もサティナプーラの領地も男が運営すべきもので、女のシリに任せることはできない、と決した。シリは怒り、その場で呪いをかけ館を燃やしてしまった。
 
《注釈》ここで、シリの二度目の超能力が発揮される。女性のシリが男コミュニティから虐め苛まれると、突然、超能力を発揮する。女性の最後の力に対する信仰がシリの物語を支えている、ともいえる。
 館を呪いによって燃やしてしまうのは、財産相続権の問題だ。極めて現実的で、切実なテーマである。というのも、母系社会の存否がかかっているからだ。
 女系相続については、もともと母系社会だった南インド、特にタミール、ケララ、カルナータカ、三州には相続に関して、このような親族争いが非常に多かった。現代でも、ときにはトラブルになっている。
 法的にこうした女系相続の問題が解決するのは、一九五○年代に至って、女系相続が法的規定の枠外におかれ、妻子対等の相続が法文化されてからである。しかし、現在でも穏当なかたちで成立する場合は、女系相続がおこなわれている。また通過儀礼などには形式化した甥・伯(叔)母の緊帯をあらわす行事がいまもって伝えられている。たとえば、結婚式に際して、婿の行動を左右するのは常に母方の伯(叔)母であり、花嫁にサリーを贈呈するのも、伯(叔)母を通して花婿から渡される。
 シリ物語が成立したといわれる一二世紀は、北方からのブラーミン文化が南インド史上、三度目になるのだが、ヒンドゥ思想として降り下りてきた時期であり、北カルナータカではリンガエットと称する地域(土豪)権力者たちによる、北方からのブラーミニズムに対する激しい宗教文化運動、ウィラ・シャイウァ(Villa Shayva)が展開されていた時期である。
 カルナータカのほぼ全域ならびにケララとの州境地帯、特にトルー語圏は、もともとジャイナ教の拠点域で、一一世紀前後までは、土地所有の豪族の多くはジャイナ教徒だったといわれている。
 現代から窺える例証をあげれば、トルー語圏の最大都市マンガロール南東五〇キロばかりの内陸部にダルマシュトラという全国的に知られた宗教センターがある。モンジュナータを主神とするヒンドゥ寺院である。ここにはしかし、ジャイナのゴーマタ、民俗神など多くの堂宇が建ち、宿坊が居並んで、高野山にそっくりな光景を山間に現出している。この管財管理は、代々ジャイナ教徒のヘガデ家が担っている。当代のD.ウィーレンドラ・ヘガデ氏は、広大な荘園と寺院収入から社会福祉、文化保護に毎年、莫大な基金を施し地域の信望を集めている。またマンガロール市内のカドリ寺は、一二世紀以前は仏教寺院だった。七世紀に造られたと伝えられる千手観音像がある。ジャイナと仏教が親和力をもって共存していたのだろう。このように寺社の所有は、荘園を含めてジャイナ教徒によるものが多くある。
 仏教、ジャイナ教の受容の寛大さが、民俗を基盤とするバンツ階層の人びとと並立共存した時代が長くあった、といわれる所以である。やがてバンツの地域に密着した民俗的な基盤になり立つ社会的、政治的位置が上昇し、北からのブラーミニズムとも競合した。トルー語圏には、ジャイナ、民俗信仰などが防波堤となって、リンガエット運動のような争いはなかった。にもかかわらず、その内部では民俗的な女系社会が、ブラーミニズムの影響もあって、バンツ自身によって加速された男性中心文化と拮抗していた時節だった。
 当時、一世を風靡したカンナダ女流詩人アッカ・マハデービーは、強烈なフェミニズムで、女性自身を謳い、主張した。文字を持たなかったトルー語圏でも、もともと母系社会を祖型とする女性コミュニティがこうした影響を受けなかったはずはない。このような時代感覚のもとにシリの物語は、女性バンツ・アイデンティティとして成立した、と見てよい。
 シリはダルとともにクマーラをつれて、夫カーントの元へ帰った。夫は、なぜ帰ってきた、と罵倒した。シリは夫の企みをすべて悟ると決意した。既婚の証である首輪、そして鼻飾り、腕輪、耳輪を外すと、
 「これをすべてお返しします。そうすれば、わたしは寡婦でもなく自由です。わたしに再婚も可能な自由をください。」
 夫は怒鳴った。「日暮れまえにバスルールの地からでていけ。いますぐだ。」 シリの旅がはじまった。ダルはクマーラを籠に寝かせて携え、シリに従った。 ふたりの女と赤子は川辺にやってきた。早速川を渡ろうと渡し守に乞うた。しかし舟頭は、もう暗くなっいるから渡れない、という。再々頼み込んだが駄目だという。明日の朝なら渡せる、という。この川はバスルールの領地の境界で、シリはどうしても今夜のうちに、境界を越えなければならない。別れてきた夫カーントとの約束がある。しかし実は、舟頭にはすでに夫の手が廻っていたのだ。
 シリは傍らのバナナの木から葉を一枚とると、それを地に置いてブランマに祈りを捧げた。もしわたしを誠実な女とおもっていらっしゃるなら、川を開いてください。祈りを終えるとシリは、ダルとクマーラとともに川へ降りた。シリのまえの川は開いて道を創り、三人は向こう岸へ渡った。
 夜更けにカンチマデーヴィー(Kamchimadevi)の館に着いた。あたりに人家はなく、シリは館を訪ねた。ひとりの婦人が応対した。
 「どうぞ、一夜の宿をお貸しください。」とシリは頼んだ。
 婦人は「どうしてこの館にいらしたのです。わたしには、ヴィラバクマーラ(Virabhakumar)という息子がいます。この子は、女癖が悪くて困っています。それを分かっていて、どうしてあなたのような魅力的な方をお泊めできましょう。」 シリは「あなたは母親なのですから、不行跡をしないよう息子さんに注意しておいてください。あたりに旅籠はもとより人家もなく、こちらに泊めていただくよりほかにないのです。お願いいたします。」
 そしてようやく、ベッドをあたえられて、寝んだ。
 真夜中、案の定ウィラバクマーラがベッドヘ忍んできた。シリはすぐに目覚めた。「こないで。それ以上、近づかないで。でていきなさい。」しかし彼は聴かず、なお、近づいてくる。シリは呪いをかけた。ウィラバクマーラは、石になっていた。
 翌朝、シリたちは、ランケ・ローカナドゥ(Lankelookanaadu)の寺へやってきた。朝の勤行を終えた僧侶が、丁度、出掛けるところだった。シリは、ご祈祷をお願いした。しかし僧は、出掛けるところだからできない、と断った。もう一度、こんどはなにほどかの喜捨をして頼んだ。僧は、怒気を含んで断り、帰れ、と命じた。シリは、悲しいおもいを抱きながら、寺の水場で沐浴し、戻ってきた。そして祈った。「もし、ほんとうにわたしが沐浴によって浄められ、生まれ替わったのなら、どうぞ、扉を開いてください。灯明を灯してください。」すると、扉は自然に開き、灯しが点き、鐘がなりだした。
 鐘を音を聞いた僧侶は、驚いて走り戻ってきた。そしてこの奇跡を見ると、シリの足下に跪いて、許しを乞うた。
 
《注釈》 旅にでたシリは、次々と超能力を発揮する。シリの祭礼では、こうした超能力を発揮するとき、語り手の女たちは憑依する。どこがポイントになるかは、その日そのときの語り手とシリの出会い方による。
 連続した三度の奇跡は、それぞれ暗示的だ。川の水が開いて道ができる、というのは、あたかもモーゼの奇跡のようだ。シリの旅の正当性を謂うにまたないだろう。離縁して女ひとりの道をゆくシリに対する讃歌、といってよいだろう。女たちの激しい自己主張が読みとれる。
 女たらしの男を石に替えてしまう、というのも極めて挑戦的なエピソードだ。前夫の娼婦狂いに泣かされたシリが、女たらしの男を冷酷に憎む、という構図は、シリ信仰の女たちの圧倒的支持を得るものだ。ここには女性としての負い目、劣等意識を飛び越えたパワーがある。
 寺の扉を開き、灯しを点けた奇跡は、僧侶を媒介として信仰をもつか、それとも自身の内なる信仰を発揮するか、といったジレンマに回答するものだろう。僧侶は、ブラーミン階層で司祭者である。その非道を凌駕して、直接、神とシリの信仰は成立する。ここにけして司祭の役を担えないバンツ・カーストのアイデンティティが発揮されている。しかし、ブラーミンはしばしばこのような揶揄、誹謗中傷をフィクションのなかで受ける。民俗歌舞劇ヤクシャガーナでも、たびたびからかわれ、ときには道化によって演じられたりする。だが、それをしも、ヒンドゥイズムにおけるブラーミンは受容するのである。ヒンドゥの教学と民俗の統合・包摂が可能ならば、それが第一義なのだ。その上で司祭ブラーミンの存在がなりたっている、といってもよいのだ。ただし、ブラーミニズムによる反フェミニズムと政治権力的局面を除いてのことである。日本の山伏が、狂言などで弄ばれるのとおなじような様相だ。
 
 シリたち三人は、暑い陽射しのもとを歩いた。
 そして、大きな菩提樹の根元に休息した。ダルは揺り籠を枝に吊し、シリは子守歌を唱ってクマーラを寝ませた。と、ふたりの若者が走り寄ってきた。はじめの若者が「ほら、ぼくが勝ったぞ。この人こそ、わたしの妻だ。」と宣した。後からの若者も「いや、わたしこそ、夫になるべきだ。」と続いた。
 シリは、ゆっくりふたりを見比べて「最初にきたあなたは、わたしの兄、そして後からきたあなたは、弟よ。」といった。ふたりは、素直に納得して、自らを紹介した。
 「わたしたち兄弟は、ボーラ(Boola)というところの侍(クシャトリア)です。わたしの名はビリヤ・デシンガラヤ(Biliya Desingaraya)。」
「わたしは弟のカリヤ(Kariya)です。」
「わたしたちは、狩りにきていました。すると、あなたの子守歌が聞こえたのです。その歌声に魅せられて、早くあなたの元に着いた方が婿になる、という賭をしたんです。それで、競走して走りとんできたのです。」
シリは、あらためて彼女の物語を語った。聞き終わると彼らは、
「わたしたちの館へおいでください。姉妹たちにあなたのお世話をさせましょう。」と、こもごもいった。シリは、
「わたしをお招きくださるなら、輿を用意してお迎えください。」
シリの意向を受けると、ふたりは早速、館へ輿の支度に走った。
そのとき、クマーラが目覚め、突然、喋りはじめた。
「ぼくは、ひとりの男を父として生まれた。ほかの男を父と呼ぶようなことはできない。将来、そんなことが起こるような予感がする。おかあさん、ぼくをあの世へ送っておくれ。」
そして、ダルもおなじようにおもい、おなじことを願った。シリは、ふたりをあの世(Maya)へ送った。
ビリヤとカリヤの兄弟は、うつくしい輿を従えて戻ってきた。シリは輿に乗り兄弟の館へ向かった。
 シリはふたりの姉として、幸せに暮らした。
 ある日、兄弟の友人で、コトゥラパディ(Kotrapadi)館の主コドゥサラ・アルウァ(Kodsara Alva〉という男がボーラの館にやってきた。彼はシリにひと目会うなり、見初め、愛してしまった。そして結婚を申し入れた。
 コドゥサラにはすでに妻があった。妻サームはこのことを知ると、シリのことを忘れるよう、夫コドゥサラに懇願した。コドゥサラは、自分はシリを愛している。すでに結婚は約束されているのだ、と進退窮まっている。たび重ねて、妻は夫に哀訴した。しかし夫は聞き入れるどころか、ついに苛立って妻を打擲した。妻サームは、打つほど憎いのなら、両親のいる実家へ帰る、と泣き喚いた。夫はたまらず、狩りにゆく、といって家をでていった。が、彼はシリの元に走ったのだった。すでにボーラの館では、兄弟たちによって婚礼の支度ができていた。そしてコドゥサラを迎えた。
 たくさんの人びとが参列し、シリは花嫁衣装で、再婚の儀をおこなった。再婚の儀式は、花嫁と花婿がしっかりと手を握り合う、というものだ。
 
〈伝承〉 寡婦が再婚することは、南インド、特にトルー語圏ではありうることであった。マヌの法典に規定されたバラティア国=古インド、すなわち北ならびに中央インドとは違った社会通念をもっていたのだ。しかし、離縁された女性が再婚することはできない、とかんがえられていた。シリは、それをはじめて破った女性として伝えられている。
 結婚の行進は、シリは輿に乗りコドゥサラは歩いてコトゥラパディヘ向かった。妻サームは、このことを知り悲しみ怒り、居間でランプを灯し、呪いをかけた。シリがこのランプの炎を見たら、盲になるように、と。そしてサームは、実家へ帰ってしまった。
 行進は、コトゥラパディの館に到着した。シリは、輿から降り、すぐにサームがかけた呪いの企みを見破った。シリはコドゥサラにいった。
 「わたしの姉サームは、戻ってくる。わたしを妹と呼ぶことになるわ。彼女はわたしを館の内へ手をひいて導かなければならないのよ。」といったまま、シリは館のなかへ入ろうとしなかった。
 コドゥサラは、サームの両親の元へ駆けつけた。そしてサームに、シリのいっていることを伝え、わたしの名誉と威信のために戻ってきて欲しい、と懇願した。
 サームは夫とともに帰ってきた。サームは、シリの手を取ると、館の内へ導いた。それからのシリとサーム、それに夫コドゥサラ、三人の生活は、すべて円満だった。ミルクと水が混ぜあわさるように、姉妹は夫コドゥサラに尽くした。
 
《注釈》 離縁、出奔に続いて、死別、再婚とシリの人生はめまぐるしく変転する。物語は佳境にある。そのなかで、いちばんの難問は、息子クマーラと父の代からの召使いダルをあの世へ送ってしまう、という件だ。どう解釈したらいいのだろう。
 離縁して出奔してからのシリは、自らの運命を自らの手によって開いてゆく。これは当たり前のようで、現代でさえ、インドの女性にとって容易なことではない。窮地に達すると奇跡を起こし、自らの道を開く、ここにシリに託す女たちの浄化と癒しの意思がある。
 天国と地獄、天と地下という概念はブラーミニズムのもので、クリスチャニズムに酷似している。また、七度生まれ変わる、という思想は仏教、神道そしてヒンドゥイズムでもある。しかし、ゴウダ=シュードラなどでは、先祖神は、天にはいるが、霊として戻ってくる。たとえば、子孫、妻など縁のあるものに憑依して帰ってくる。だが、ブータなどの御霊は、マヤにいて、姿形そのまま顕れ、消える。すなわち、あの世=マヤ、マヤカは、天でも地でもなく、すぐ隣にある異世界、という概念である。
 
 三人の平穏な幸せは、しかし、長くは続かなかった。
 サームは、シリが自分より、より深く夫を愛しているのではないか、と不安と嫉妬を感じるようになった。
 ある日、シリは生理だった。サームに沐浴のための糠袋(石鹸)をくれるように頼んだ。サームは、ない、と答えた。仕方なくシリは、洗濯女に頼んで糠袋を借りると、川で沐浴した。
 その後、こんどはサームが生理になった。生僧、手持ちの糠袋がない。サームはシリに頼んだ。シリは、貸し与えた。サームは川へ沐浴に降りた。しかし突然、川は枯れ、水は流れていない。サームは、テンダーココナツの果汁で身体を清めようと、召使いにもってこさせた。だが、どのココナツの実も果汁は枯れていた。 シリは自分の超能力をサームに見せつけたのだ。サームには、バームケラ(Baamukella)という兄があった。サームはこの兄に手紙を書き、すべてを訴えた。兄はシリを呼び、どうしてこのようなことをするのか、と問い、姉妹のように仲良く暮らして欲しい、と忠告した。シリは、忠告を素直に受け入れ、姉サームに水浴びにゆくよう奨めた。川は流れに溢れていた。
 しばらく後、シリは妊娠した。姉サームはすべてにやさしく、家事を引き受け、シリには、しずかに休むよう計らった。兄バームケラは、シリを招き祝福の式をおこなった。ふたりの姉妹、シリとサームは、祝いの式を済ませて帰路についた。途中、森のなか、川の畔で、突然シリは跪って、
 「お姉さん。あたし、歩けない。陣痛がきた。」といって、とうとう座り込んでしまった。まわりに人はいない。人家もない。シリは、ローカナドゥ・ベルメル(Lookanadu Bermeru)に祈った。亡き父にも祈った。
 祈りを終えてしばらくすると、シリは女の子を産んだ。シリは赤ん坊を抱きあげ、キスしてソンネ(Sonne・波紋、渦、転じてゼロ、の意)、と名付けた。アルカナッツの総苞(花心を包む莢)をベッドにして寝かせた。それからシリはソンネをサームに託した。
 「姉さん。わたしはもうコドゥサラの館へは帰れない。わたしの命は終わるの。わたしはあの世(Maya)へいきます。あちらで息子クマーラに会いたい。どうかお願いします。この子を夫コドゥサラの元に届けてください。それから、カーナベット(Kaanabettu)のチャンダイヤ・ヘグデ(Chandayya Hegde)という人に、この子を託してください。きっと育ててくれます。これがあたしの最後のお願いです。姉さんも、いずれ近いうちにわたしのいるあの世へやってくるでしょう。また、いっしょに暮らしましょう。」と遺言して、シリは息をひきとった。
 サームは、シリに悲しい別れを告げると、ソンナを連れて館へ帰った。そして、できごとの一切を夫コドゥサラに話した。話し終えると、サームは、夫の足下の地に額ずいてから庭の家神に詣でた。家神の聖木にべルメルの来迎を祈願し、サームは地に伏したままマヤ(あの世)に召された。
 夫コドゥサラは、ふたりの妻をほとんど同時に失って、悲嘆の底へ堕ちた。翌朝、彼はカーナベットの館を訪ね、老いたカーナベット・ヘグデにソンネを託した。老ヘグデは、揺り籠にソンネを寝かせ、育てることを約束した。
 
【異説】シリは、ソンネをアルカナッツの総苞に包んで、川に流した。赤ん坊は、カーナベットまで流れ、老いたるヘグデが拾って育てた。
 
 ナンダリケ(Nandalike)、というところに夫婦が住んでいた。マドゥクバッタ(Madukubhatta)という夫とチャンドラウァッティ(Chandravatti)というのが妻の名だ。妻は妊娠していた。妻は妊娠中のためかウッパリゲ(Uppalige)と呼ばれる粽をしきりに食べたがった。森にいってウッパリゲの葉を取ってきてくれと夫にせがんだ。翌朝夫は、使用人のカリヤ(Kariya)を呼んで、森へいってウッパリゲの葉を取ってくるように命じた。
 カリヤは、森へ入り木に登って、葉を取っていた。そこへ虎がやってきて、カリヤが登っている木の元へ座り込んでしまった。カリヤは、その場を離れてくれるように虎に頼んだ。虎は、
 「いま、おまえは女主人のために、その葉を摘んでいるんだな。よし分かった。どいてやろう。ただし、おれは、女主人のお腹にこどもがいることを知っている。赤ん坊が生まれたら、その子をおれにくれる、と約束したら、欲しいだけその葉を持っていけ。」
 カリヤは驚いて「ご主人に相談してきます。」といって、逃げ帰ってきた。伝え聞いた妻チャンドラウァッティは、どう答えようか悩んだ揚げ句「いまは約束する、と答えておきましょう。生まれてしばらくすれば、きっと、約束を忘れてしまうでしょうから。」とカリヤをいい含めた。カリヤは森へ戻ると「生まれたら差しあげます、と女主人は申しました。葉を持ち帰らせてください。」と虎に頼んだ。虎は「それなら持っていけ。」と森の奥深く去っていった。カリヤは、葉を存分に持って帰った。
 妻は、粽を作って、お腹いっぱい食べ、それからまもなく女の子を産んだ。一〇日過ぎて、一一日目に、女の子はギンデ(Ginde)、と名付けられた。
 一年後、ギンデは歩きだした。両親は虎との約束を忘れていた。こどもは三歳になった。ある日、父は館の内の仏間で祈りを捧げていた。母は台所で働いていた。こどもは広間で遊んでいた。そして、玄関にでてきた。虎が、物陰に潜んで、こどもを待っていた。虎は、こどもを拐っていった。やがてこどもの見当たらないことに気づいた両親は、必死に捜したが、見つからない。ふたりは、悲嘆にくれた。
 村の女たちが、森で薪を集めていると、こどもの泣き声が聞こえてきた。女たちが泣き声のする方へ辿っていってみると、ウッパリゲの木の根元に女の子がいた。そこは、あの葉を摘んだ木の根元だった。女たちが、こどもを抱きあげようとすると、虎の吠える声が、すぐ近くでした。女たちは驚いて逃げた。そして、老ヘグデにこのことを告げた。ヘグデ老は、女たちに案内させて、森へやってきた。そして虎のまえにしゃがみ、その手を取って「どうか、その子を返しておくれ。わたしが大事に育てるから。」というと、虎は素直にこどもを渡した。ヘグデ老は、自分の館にこどもを連れ帰った。ソンネとギンデは仲良く暮らした。まるで、ほんとうの姉妹のようだった。近隣一帯にヘグデ老が、ふたりのうつくしい娘を育てている、と評判がたち、多くの人たちが見物にやってきた。
 マドゥクバッタとチャンドラウァッティの夫婦も評判を聞いてヘグデの元にやってきた。そして、ギンデを一目見るなり「おお。これは、わたしたちの娘だ。」と叫んだ。「どうぞ、この子をお返しください。」とヘグデに申し入れた。
 老人は「そうか。本当にあなた方のこどもなら、返さないこともない。ひとつ試してみよう。ここにミルクを入れた椀と塩を入れた椀がある。この子がミルクを選んだら、わしのここで育てる。塩を選んだら、連れて帰るがいい。」
 ギンデはミルクを選んだ。両親は仕方なくふたりだけで帰っていった。
 ソンネは一二歳になった。うつくしく育った。ヘグデは彼女の結婚を望んだ。近くにウルキトータ(Urukithoota)という館があった。ふたりの兄弟が住んでいた。兄はジャルマールラ(Jarumaarla)、弟はグルマールラ(Gurumaarla)といった。ヘグデはソンネとグルマールラの結婚を望んだ。双方の親族が寄り集って結婚式がおこなわれた。花嫁は、ウルキトータまで行進した。それは大規模な華やかな行列だった。晴れて、ソンネはグルマールラの嫁になった。
 若い夫婦はとても幸せだったが、こどもができなかった。一六歳になっても、一八歳、二〇歳になっても初潮がこなかったのだ。夫婦は悲しんだ。人びとは噂し、笑いの種にした。
 一方、ギンデは一二歳になった。彼女には初潮がきた。ソンネは妹のために大層、喜んだ。ソンネは、妹の初潮祝いの式があると聞いて、いくことにした。しかし彼女には招待がこなかった。ソンネには初潮がなく、石女を祝いの席に招くことはできない、と親族が招待を控えたのだ。ソンネは招待がなくてもいきたかった。夫は、
 「いくのはよしなさい。招待されてないのだから、・・・。」といった。
 「わたしには、たったひとりの妹しかありません。父は、最近すっかり年老いて、きっと、招待するのを忘れたのよ。いかせてください。」
 「おまえは、まだ女になっていないのだ。おまえが式に参列すれば、ひとはおまえを笑い、侮蔑するだろう。だからいかない方がいいんだ。」
 「いいえ。わたしはいきます。いかなかったら、妹は寂しく、悲しがるでしょう。もし、ひとがわたしを謗ったら、すぐに帰ってきます。」
 それを聞いて、夫は即座にいった。
 「いいだろう。しかし、もしおまえが侮蔑されて帰ってきたときは、館にはいるな。牛小屋で牛の世話をすることになる。それでもいいか。」
 ソンネは「結構です。」といって、うつくしい衣装に着替えると、出掛けていった。
 ギンデは大変喜んで、姉を迎えた。お互いに久しぶりの出会いと、おめでたいできごとを喜んだ。しかし、参列の婦人たちは石女がきたことを嫌って、庭へでてしまった。彼女たちは、マンゴーの樹の下に座り「あんな乾ききった石女といっしょでは、水も飲めないわ。」などと罵り、帰ってしまった。ソンネは、悄然と、帰ることにした。ギンデは、帰ることはないわ、と留めたが、ソンネは「心配しないで、だいじょうぶ、帰れます。」といって、ヘグデの館を後にした。
 ソンネは、帰路、池の畔に隠れて、ギンデが沐浴にやってくるのを待った。そこが沐浴の池であることを知っていたのだ。
 ギンデは、やがてやってきて沐浴していた。ソンネは、呪いをかけて、ギンデをあの世(マヤ)へ送ってしまった。それからソンネは、ウルキトータの館へ戻り、玄関の柱に凭れ座り込んだ。夫がソンネに側に立った。ソンネはすべてを夫に話し、沐浴し、よそいきのきらびやかな衣装を洗い晒しの清潔な普段着に着替えた。夫とその兄もまた、沐浴した。三人は、庭の家神に跪いて祈った。ソンネは母シリをおもいだして、ベルメル(蛇神・ブランマ)に祈った。ソンネは約束した。
 「ムジロッティ・ベルンマ(ムジロッティは、ウルキトータの所在する地域、そこのプランマの意Mujilotti Bernma)わたしはあなたに誓います。わたしの黄金の鼻飾りをプランマの社の頂、擬宝珠に差しあげます。わたしの金の腕輪は、あなたの腕に、あなたのものにしてください。わたしの結婚の証、金の首飾り、カリマニ(Karimani)はあなたの祠に替えます。そして、わたしは七日のうちに初潮を得ます。三ヶ月のうちに妊娠します。」
 三日目、ソンネは初潮を迎えた。夫と兄は喜んだ。老ヘグデもやってきて、祝福した。祝いの式がとりおこなわれた。親族の女たちも招待した。しかし彼女たちは信じなかった。嘘に違いないと、やってこなかった。二ヶ月後、ソンネは妊娠した。妊娠の式をおこなった。九ヶ月九日の後、彼女は陣痛を迎えた。ソンネはベルンマとの約束をおもいだした。ベルンマを祈り、双子の女の子を産んだ。
 
【異説】ソンネは、夫との約束通り牛飼いとなり、森で牛に草を食べさせていた。陽溜まりで、うとうとと眠ってしまった。夢にベルンマが顕れ、ソンネは誓いをたてた。そして、その場で初潮を得た。
 
 アッバガとダーラガと名付けられ、ふたつの揺り籠に入れられた。夫婦は、幸せで、双子の様子を飽かず眺めていた。ふたりは幸せのなかで、ベルンマとの約束をすっかり忘れていた。
 娘たちは一二歳になった。カルカラにチャンドラマ・シェッティ(ChandramaShetty)という館の主がいて、彼には双子の息子があった。シェッテイは双子同士の結婚を望んだ。どちらの親族も賛同して、婚儀は決められた。
 グルマールラとソンネの夫婦は、娘たちの結婚式の招待状を一軒づつ訪ねて持参した。その途中、ソンネは疲れ、夫婦は大きな菩提樹の下で休んでいた。そこへ、年老いた僧(ブラーミン)がやってきた。夫婦が挨拶すると、
 「わしは旅の占星術師です。」と答礼した。
 「わたしの将来を占ってください。」ソンネは気軽に頼んだ。僧は暦(Pancha-anga)を広げ、早速、占いをはじめた。
 「おお。これをご覧なさい。あなたはなにか誓いの約束を忘れていませんか。その約束は、まだ果たされていませんな。この婚儀の前に必ず実行してください。でないと、なにか災いがやってきます。」
 その占いを聞いた途端、ソンネは怒り、「あの子たちはまだ一二歳になったばかりです。いずれ約束は果たします。なんと厭なことをいうお坊さんでしょう。」 「いやいや、いまでも遅いくらいなんじゃ。」と、僧はいって、なお続けた。 「誠実、というものから離れてはいけない。法(ダルマ・Dharma)からもな、・・・。」といい捨てて、いっしまった。
 夫婦は、招待のための訪問を続けた。
 一方、僧はまっすぐにグルマールラとソンネの館へやってきた。そして、ふたりの娘にいった。
 「わしは、おまえたちが双六(チェンネ・Chenne)をするのが見たいんじゃがな。」
 「いいわよ。でも、双六盤は、お父さんが仕舞って、鍵がかかっているのよ。」と娘たちは答えた。
 「いやいや、いって見てご覧。鍵は、開いているよ。」
 娘たちが戸棚にいって見ると、たしかに鍵は開いていた。僧は魔力で鍵を開けてしまっのだ。
 娘たちは黄金の双六盤、銀の賽子で、遊びはじめた。妹が勝った。勝った妹は、負けた姉をからかった。かっとなった姉は、妹の頭を黄金の盤で、打った。妹は、血を流し、倒れた。死んでいた。姉は、驚き、震えおののき、妹の死体にとりすがって泣いた。
 「ああ。妹よ。わたしはあなたなしでは生きていけない。わたしも後を追って死んでしまうわ。」
 姉は、両親に書き置きを残すと、妹の身体を井戸端に運び、投げ込むと、自分も後を追って飛び込んだ。僧は、わたしの役目は終わった、と呟いて館を去った。 夫婦は、あの菩提樹のところへ戻ってきた。根元に僧が座っていた。涙を流し、悲しみにくれていた。夫婦は「どうしたのですか。」と尋ねた。
 「いま聞いたんだがね。あなた方の館で、ふたりの娘さんが亡くなったんだ。井戸に堕ちてね。約束は果たされたのだ。ベルンマは、なにをあなたから奪って、なにを得たのだろう。」
 といって、突然、僧は消えた。あの世へ消えたのだ。僧の占いでいったことはすべてほんとうだった。ふたりの娘の死によって誓いの呪縛は解かれたのだ。
 夫婦は、走って館へ戻り、ふたりの死体を発見し、身悶えして泣き叫んだ。やがて死体を洗い、火葬にした。魂は黄金の蜂となって空に飛び、ナラヤナン神(ビシュヌの変身神)の元へ飛んだ。それからムジロッティに帰ってきた。そしてナーガ・ベルンマの左右に位置した。
 その後、このふたりの娘への人びとの信仰がはじまった。
 
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