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基調講演「日本が抱える国防の基本問題〜9.11テロと今後」
 
田久保: 田久保でございます。30分のお時間をちょうだいいたしまして、できるだけ問題点を申し上げたいと思います。
 初めに、テロ事件以後、日本はテロ対策特別措置法をすぐつくったということになっていますが、これにつきまして問題点を申し上げたいと思います。
 われわれが第三者の評論家として小泉政権を外から見ておりますと、対米配慮からこれをつくったのではないかと思われ、これは根本的に間違っているのではないかと思います。小泉政権に対する批判でございます。テロは、自由民主主義全体に対する攻撃ではなかったのかということです。
 それに関連して申し上げますと、20年前の2月、イラクのサダムがテロリストの原理主義者に脅迫され、この原理主義者がシリア第4の都市ハマにいることを突き止めて、シリアの精強な軍隊で囲んで、3日3晩、ぶちのめしたわけです。そのとき、シリア政府は、1000〜2000人の市民の犠牲が出たと言いましたが、アムネスティ・インターナショナルは1万5000〜3万と言っています。これを「ハマの掟」といいますが、これをエジプト、アルジェリア、チュニジアの指導者たちがそっくりそのまま真似ています。
 テロリストはどこへ逃げたかというと、アフガニスタンと、日本の重信房子その他が逃げたレバノンのベカー平原に行き、そのほかは自由に活躍できる自由民主主義諸国に散ったのです。これの攻撃と見なければいけないのではないかということを私は言いたいわけです。
 小泉さんであれば、自由と民主主義に対する挑戦ですから、アメリカから何を言われようと言われまいと、われわれが民主主義を信ずるのであれば、立ち上がらなければいけないのではないか。これが第1点です。
 それから、対米配慮はもちろんけっこうで、われわれの盟友である同盟国の一方が攻撃を受けたのですから、立ち上がるのは当然です。これはテロ対策特別措置法をつくったのですけれども、たいへん早くつくったといわれています。これに基づきまして閣議で基本計画をつくったのは、テロが起こってから61日目で、アメリカの軍事攻撃が始まってから31日目です。日本の中では早くやったといいますが、私は国際問題を専門にしておりますので、非常に遅かったのではないかと思っております。これが第2点です。
 それから、テロ対策特別措置法そのものの性格はどうであるか。基本計画にこういうことが書いてあります。「国際的テロリズムの防止及び根絶のための取組に積極的かつ主体的に寄与するとの立場に立ち、憲法の範囲内でできる限りの支援、協力を行うことが重要である」。これは政府として当たり前かもしれませんが、憲法の枠内であるということは、普通の国並みの戦いはできません。これは当然だとおっしゃる方は、私と見解を異にするので別ですが、私は、いまの日本の国柄を異常と見ていますから、これは異常だったなと考えております。
 今の憲法の枠内でということになりますと、すぐ問題になるのが集団自衛権です。集団自衛権をどう解釈したらいいかといいますと、言葉の問題、論理の問題で、集団自衛権はあるが、その行使は憲法上できないというわけで、行使のできない権利がこの世の中にあるのかということです。ここにも国会議員の方がいらっしゃいますけれども、赤じゅうたんを踏んでおられる方は「おかしいじゃないか」と声を大にして叫ばなければいけなかった。こういう異常な状態が長年にわたって続いてきました。
 NATOが集団自衛権(第5条)の発動を決め、米韓相互防衛条約は第3条に集団自衛権が書いてあり、ANZUSは第4条にあり、日本は憲法の枠内ですから、戦闘に関係のないところで協力した。いままでの日本の態度からすれば一歩出たかもしれませんが、ヨチヨチ歩きの一歩だったということだろうと思います。私は、集団自衛権の問題もすべて憲法に問題ありと思うのです。集団自衛権の行使を許さないというのは、防衛政策上、どういうものですかね。「これだけはやりません。ここ以上はやりません」という政策を国として掲げていることがどういう意味を持っているか。防衛政策にならないのではないか。
 防衛については、志方将軍がおられまして、これからもいろいろお教えいただくわけですけれども、政府の見解で、「通常の概念では軍隊ではないが、国際法上は軍隊である」ということにしていると、何もできない。こういう政府見解を持っている国が、普通の民主主義国にあるでしょうか。ないとすれば、日本が異常で、ほかの国が通常です。日本が通常だとすれば、ほかの国全体が異常だということになる。これは、皆様、ご理解いただけると思います。
 私が申し上げているのは、一人前の武器、ハードは持っているけれども、ソフトの部分がまるきりなっていないということです。アメリカからシステムをぶったたかれたまま修復できずに今日に至っているということです。
 午前中のセッションで志方将軍がちょっと言及されましたが、内閣総理大臣は指揮権があるのかということです。内閣を代表した首相が指揮権を持つわけですが、非常事態のときに20人の閣僚で閣議をやって、これはどうしようかと小田原評定をやるのか。これもシステムとしてどうかということです。
 それから、統幕議長の地位はどういうことになっているのか。防衛庁の事務次官の地位はどういうことになっているのか。このへんもソフトの問題で、大いに問題にしなければいけないのではないか。戦前は統帥権の独立で、とくにロンドンの海軍の軍縮条約以後、背広組の政治家から統帥権干犯という意見が出て、これは政治家として恥ずかしいことだったろうと思いますけれども、これが行き過ぎになったんです。これは戦後は全部壊されて、逆の行き過ぎになった。軍令と軍政の権利を持っているのは防衛局長で、その上に次官がいる。統幕議長はどうなんですか。制服の地位はかなり改善されてきましたけれども、根本のところの軍政・軍令を、軍を知らない背広組の人が一人で握っている。これをシビリアンコントロールと勘違いしているのが日本ではないかと思います。シビリアンコントロールは文民統制ですが、日本では「文官統制」と訳されているのではないかと申し上げたい。
 こういう異常な状態を無視して、ああだこうだと言っても、強がりだけだということを申し上げたいのです。これに関連して、今、自衛隊は国内法で動いている。有事法制がないんですね。これは東先生がご専門でしょうけれども、主権独立が侵されたとしても自衛隊は動きがとれない。がんじがらめにしていて、これを何とかしようという正論がなかなか正論にならなくて、少数意見のまま止まってしまっている。ここに、今回のテロ対策でも、気持ちは動いてもアメリカに十分協力できないという根本の理由がありはしないかということです。
 警察予備隊ができたときのことは、内局の方には失礼かもしれませんが、私は変ないきさつを調べております。絶版になりましたが、在日米軍の当時のコワルスキー参謀長が「日本再軍備」という名著を書いておられまして、ここによく書いてあります。ユニフォームを集めようとしたら、当時の日本ではみんな戦犯か追放になっていて、下級将兵しかいないので、上部構造を何にしようかということで、警察のOBをつくって、このシステムが今に至るまで続いているんです。ですから、ペンタゴンのようなシステムになりえないんですよ。システムの大欠陥をこのままにしておいて、対米協力とか、普通の民主主義国並みの軍事貢献というのは、言うだけで、なかなか難しいのではないでしょうかと申し上げたい。
 次の問題は、どうして「異常な国」になってしまったのかということですが、これは午前中に申し上げました。アメリカの日本に対する不信感が非常に強い。今のようなシステムを頭に入れていれば、日本は軍事小国にもなりえないということがわかっていながら、そういうことがわかっていないアメリカ人が非常に多いのです。とくに日本問題の専門家には、こういうところに踏み込んでいない人が多かった。したがって、日本を強くしてはいけないのではないかという懸念が一貫して存在したわけです。
 この対立はGHQの中でそもそもあったわけです。ホイットニー准将が民政局(GS)の局長をやっておられ、マッカーサー元帥と非常に関係の深かった方です。この方は「ウィークジャパン」にしておかなければいけない、もっと弱くしなければいけない、と考えた。ところが、ウイルビー情報公安局長が、日本を強くしなければいけないと、旧軍人とコンタクトして、いろいろ工作されたけれども、GHQの中の権力闘争で追っ払われてしまう。以後、何が出てきたかというと、ウィークジャパン派の流れがずっとアメリカ政府に続くことになる。
 政府だけではなくて、民間の有力者は全部そうです。これを申し上げていると1時間ぐらいかかって、歌川さんから怒られるので、要点だけ申し上げます。これは私が実際に経験したことで、1970年に、ニクソンの下のキッシンジャー大統領補佐官が西部の新聞編集者を集めて「近い将来、日本は軍国主義を復活させるから警戒すべきだ」と言いました。近い将来といったって、三十何年経っているでしょう。いつそういうことになるのか。キッシンジャーさんも責任のある人だったら訂正しろよと私は言いたいのですけれども、訂正はなさらない。
 1990年、冷戦も終わりかけたころですが、沖縄の海兵隊のスタックポール司令官に、アメリカの新聞記者が「アメリカの海兵隊がなぜ沖縄にいるのか」と聞いたところ、「われわれはビンの蓋(a cap on a bottle)」だと答えた。これをとっちゃうと、軍国主義という化け物が出てくるじゃないかと。私はスタックポールさんとも個人的にお話し、彼はあれはああいう発言ではなかったとおっしゃるのですけれども、当初、UPI通信とワシントンポストが報道しました。これも巨大な誤解です。
 95年は例のガイドライン関係法案の審議が進み、このとき、ジョセフ・ナイ国防次官補代理が、憲法を改正してやれとはまさかおっしゃれないでしょうけれども、“within the framework of Japanese constitution”つまり、憲法の枠内でやれと言われた。ペリー国防長官も異口同音にこういうことを繰り返された。私は、これは憲法を改正してはいけないという間接的なプレッシャー、内政干渉になりませんかと言ったり書いたりしてきたわけです。ここにも日本を強くしてはいけないという不信感があったのではないかと思います。
 それから、97年にブレジンスキーさんが「巨大な将棋盤」というご本の中で「日本はアメリカの被保護国であり、21世紀もこの国を強くしてはいけない」と言い、おカネを稼ぐだけ稼いで、そのおカネは自分の意思で使わずに、国際機関に振り込めば、国際機関が世界平和に役に立っているという使命感を持たせると、この国はうまくいくだろう、ということを言っておられる。
 ジョセフ・ナイさんもペリーさんもクリントン政権のときですが、まだ続いていまして、去年、当時の森首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言しましたが、われわれは、神の国といったら"country of God"ですが、ワシントンポストは"divine country”(聖なる国)と言ったと報道した。そして「この発言は戦争中の好戦的な日本の危険なアイデアを想起させる」と、とんでもないことを書いているんです。私は、ここに原文を持っておりますが、6月何日付かです。日本の外人特派員は、私がアメリカを研究している10分の1ぐらいは日本の勉強でもしろと言いたいぐらいに間達った記事を書いているということです。
 こういうことを言うと何が起こるか。皆さん、ここからなんですよ。アメリカでこういう声が出ると、周辺国家で必ずこれに対する大合唱が繰り広げられるんです。日本の中でも、一部の方だと思いますが、「そのとおり」と合唱に加わる。そうすると、私のように、まったく普通の国の普通の意見を言っている者が少数意見に追い込まれていくんです。このからくりにアメリカ側は早く気がついて、こういう変なことを言うのをやめてくださいと私はきょうはとくに声を大にして申し上げたい。
 たいへん幸いなことに、ブッシュさんが大統領になられる前、2000年10月に「アーミテージ報告書」が出ましたが、これは「日本、強くなれ」というものです。憲法を改正したければすればいい、内政干渉はしない、集団自衛権の行使を許さないというのは早く改めたほうがいいじゃないかと、アーミテージさんにわざわざ忠告されたわけで、たいへんみっともない話だなと思います。それから、2001年、ランド研究所の「米国とアジア」と題する分厚い報告書が出ましたが、ここには「集団自衛権を改めればいいではないか。その基礎になる憲法が悪ければ、日本が自分で改めればいい」とあります。私は、これは日本人の責任だと思います。小沢さんの言われた「普通の国(オーディナリー・カントリー)」に戻ればいいではないかと。これは強いアドバイスではないんですが、方向性はこういうことだろうと、私が20年間言っている当たり前のことを言っています。
 なるほど、ウィークジャパン派で占められたアメリカ政府がストロングジャパン派に少しは変わってきた。それで、私が午前中に申し上げましたように、一方の音頭では音が出ません。「孤掌鳴らし難し」で、こっちとこっちでポンと打ちなさいということで、これはわれわれの責任になってきたということを申し上げたわけです。
 こういうことで、私は「普通の民主主義国」という言葉を使いたいのです。本当は「普通の国」という言葉を使いたいのですけれども、そうすると、私より有名人の小沢さんの真似をしているんだろう、小沢のレプリカだろうといわれてしまう。私は小沢さんより前に言っていたはずなんだけれども、困ってしまって、「普通の民主主義国」という言葉を使っています。
 いろいろな日本の社会で「普通の民主主義国」に戻っていく現象が、この6〜7年、出てきたのではないかと思います。いまさらみっともない話ですけれども、国歌・国旗法案もできました。私は、自民党の衆参両院議員にたいへんな不信感を持っているのですけれども、衆参両院に憲法調査会ができて、どのくらい進んでいるかはよくわかりませんが、私の期待よりはるかに遅れています。それから、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は採択はされませんでしたけれども、80万の人が読んでいるわけです。これは意識を持った人が読んでいらっしゃるから、これから徐々に効果が現れてくるだろうと思います。これは中学生が手にするよりももっと大きな意義があるのではないかと思います。
 こういう個々の事象を一つひとつ取り上げますと、日本は静かに「普通の民主主義国」に向かっているのではないか。そのなかで日本でもっともソフトの大欠陥のある防衛面での構築・修繕を大至急しないと困る。ハードの面はたくさんあるけれども、ソフトの面の修復が重要だと思います。
 日本が徐々に動いていることで、たいへん感謝しなければいけないのではないかと思います。これはアメリカに対してではなくて、中国と北朝鮮になんですよ。心から感謝申し上げなければいけないなと思っているわけです。94〜95年あたりからの核疑惑で、日本はどうもおかしいと考える方々が増えてきたのではないか。それから、拉致問題も、西村真悟議員が衆議院で取り上げたときに、日本の世論はいったい何だったのかということです。外務省のアジア局長が記者団との懇談で、これはでっち上げだから、被害者が実証責任があると言ったんです。しかし、8年間でどういう変化が起こったか、皆さん、お考えください。日本もあまりバカにするんじゃないぞ、静かにわかる人はわかり始めた、ということです。中国の情報収集船が2000年に日本の本州を一周し、今年に入りまして、九州の南に来ています。調査船はわが物顔に出没している。北朝鮮の不審船が去年の12月に、自沈したのか、こっちが撃沈したのか知りませんが、沈んでしまった。こういうことがあって、心ある日本人は、いままでの日本でいいのかと思い始めた。こういうわれわれの静かな自覚に気がついていないのが新聞と政治家だろうと思います。たいへん残念なことだと思います。
 以上のようなことを申し上げて、再びテロの問題に返りたいと思います。私は、アメリカはテロ対策のフェーズ1が事実上終了し、フェーズ2に入っていると思います。そうすると、今度はどこをやるのか。イラクかソマリアかスーダンかイエメンか、アブ・サリフのいるフィリピンをやるのか、インドネシアをやるのか、マレーシアをやるのかわかりません。しかし、フェーズ2はかなり長く続く戦いで、日本もこれをきっかけに大きく防衛政策を変えなければいけないと思うのです。
 それで、アメリカのパネリストからは賛成を得られると思うのですが、日本の方々からは反対を受けるかもしれませんけれども、私は、イラクをやってもらいたいと思うんです。6ヵ月ぐらいの準備期間がありますが、大量殺戮兵器を持ち、査察を入れず、原理主義者、過激派たちとの関係もあるとなると、やはり日本の敵ではないか。日本はエコノミックアニマルで、油ばかり考えていますが、そういう時代から世界全体が大きく変わろうとしています。イラクをたたくことをきっかけに、ここに政治家がたくさんいらっしゃれば、心ある政治家は、これを利用して、日本を大きく「普通の国」に持っていこうというふうに動いてほしいと考えております。
 テロ事件をきっかけに日米同盟に反対する意見も散見されますが、私は、日米同盟はオプションの一つだと思います。これがダメであれば、非武装中立をやるか武装中立をやる以外にない。私は、理想は武装中立だと思うんですが、そんなことは経済的にも精神的にも戦略的にもできないでしょう。非武装中立は空論であり、そうすると同盟でしょう。同盟ならどこと結ぶか。文句なしに世界でいちばん強いところと結ぶんですよ。価値観を共有している民主主義市場経済で、50年以上にわたって片務性のある同盟関係を続けてきたものを、双務性の関係になるように、これから一生懸命努カしていく。アメリカのためではなくて、日本のために努力していく。21世紀に、日本のコンセンサスが得られ、「普通の民主主義国」にまっしぐらに進めば、日本の将来は暗くはないだろうというのが、私のコメントです。以上でございます。(拍手)
 
モデレーター: 拍手が起きました。田久保さんと私は長いこと同業者、つまり新聞記者でしたから、お互いにワシントンに駐在していたころのことが目の前に浮かんできました。田久保さんのキーノートスピーチは内容がなかなかセクシーなんですけれど、一つは、日米安全保障史を非常にビビッドに再現され、これが非常におもしろかった。
 そして、もう一つご指摘になったのは、2000年ごろからアメリカ、少し遅れて日本が、弱い日本じゃなくて強い日本を望むようになったということで、とりわけ「アーミテージリポート」がそのきっかけになったということです。これは非常におもしろくて、実は去年、イチローが出ているメジャーリーグのストライクゾーンが変わったんですよ。もうちょっと日本が強くなってもいいほうにストライクゾーンが動いた。と思ったら、今年、日本のプロ野球はストライクゾーンを変えて、アメリカのストライクゾーンに近くなるんですよ。たまたまそうなのかもしれないけれども、アナロジーとしておもしろいでしょう。そうやって物事は動いていくんです。
 もう一つ、田久保さんが非常におもしろいことをおっしやっています。日米同盟以外のオプションは非武装中立、武装中立しかないということですが、その場合、武装中立は核つきですか。
 
田久保: もちろんです。
 
モデレーター: もちろんですね。わかりました。
 
田久保: アメリカと戦えるぐらいの軍隊という意味ですよ。
 
モデレーター: わかりました。“ミニ米国”ではダメなんですね。以上の点を確認したうえで、ボイド将軍、コメントはありますか。
 
ボイド: 非常におもしろいプレゼンテーションをしていただきました。多くの点から言いますと、先に出されたコメントの延長線上にもあるかなと思いました。私にとって、日本が「普通の国」になること、日本の役割を普通の役割にすることこそが、今回の主要なテーマになると思うのです。異常なものではなくて、国家としてもっと普通の地位を持つということですね。これがとてもおもしろかったと思います。そして、拍手が出ましたけれども、これもすてきな拍手だったと思います。
 この点をもう少し追求したいと思います。マッカーサーのGHQからスタートし、彼に忠実に仕えたウイットニー将軍、日本の憲法の起草といった背景と、それからいろいろな人がおっしゃったことを引用されました。そして、そのあと数年間は、日本が再軍備するのではないかという懸念も出てきたとか、いろいろなお話をいただきました。
 同じようなことが大西洋の向こうでも起こっていたわけでして、イギリスがアメリカをNATOの中に引きつけておくということを言っていました。この同盟の目的は、アメリカを入れて、ソ連を出して、ドイツを抑えておくことだと言っていましたけれども、そういうような姿勢が第二次世界大戦のあとで大西洋の向こうで起こっていたわけです。これも理解できることですけれども、田久保先生が示唆されたとおり、近年、明らかにこれは変わってきているということです。
 80年代、私がアメリカの空軍のディレクターで企画部を担当していたとき、世界をずっと見ていて、当時はとても重要な時代でした。日本とは防衛負担の分担ということで、ずいぶんいろいろディスカッションを繰り返してきていました。日本のほうでは、日本における軍事施設をアメリカ軍が使用できるようにメンテをし維持をしてきましたし、防衛のコミットメントをもっと強化し、日米関係の間でもその役割を強化していくといった時代が80年代でした。そのあと「アーミテージ報告書」で、正常化、普通にするという点が打ち出され、これがこれからもどんどん追求されていくという軌道だと思います。
 私にとって一つ理解しにくいところがあって、皆さんに助けていただいて理解できるようにしたいと思いますが、田久保先生や日本の年配の方々は、日本はもっと「普通の国」になりたいと思っているんだとおっしゃいましたが、普通の日本の方々はどう思っていらっしゃるのでしょうか。ザカーリさんが雑誌の中で「日本人の中には根深く根強い平和主義がある」とおっしゃっていますが、日本人そのものがもっと「普通の国」になりたいと思っていて、日本の軍事的な役割も少しずつ増やしていきたいと思っているのでしょうか。世論調査は行われていると思いますけれども、もし今行われたら、どういう結果が出てくるのでしょうか。日本の人たちがこの問題では本当にどういうふうに考えているのかということを、私はまだ感触としてつかめないでいます。
 きょうお昼をいただきながら、この点についてよくご存じの方とお話ししてきましたけれども、日本の憲法を改正することの難しさ、第9条を変えることの難しさについて、本当に近い将来可能性があるのか、あるいはないのか。その方の見解は、近い将来、現時点ではきわめて難しいというお答えでした。
 日本は大きな民主主義国家です。アメリカもそうですし、すべての民主主義国家がそうですが、最終的には軍隊は人々が望むかたちの軍隊になっていきます。では、民主主義国家としての日本の人たちは何を望んでいらっしゃるのか。この世界のために、テロとの戦いのためにもっと貢献をしたいと思っているのか。田久保先生はこの点についてお話しになりましたが、憲法を改正するかしないかにかかわらず、いろいろなやり方があると思います。軍事的な関係を変えていくためのやり方、現代の時代の現象に対応していくためのやり方には、本当にいろいろな方法があると思います。
 私は、きょう、2本の柱からなるアプローチということをお話ししました。グローバルなテロリズムに関する戦略としては、「開発」と「安定化」の二つの柱でアプローチするのだと申しました。歴史の現時点にあって、ひょっとしたら日本のいちばん大きな役割は、この二つの柱のうちの「開発」のほうに向けていくことかもしれないと思います。「安定化」するためには軍事力が必要ですから、それはもう少しほかの国に任せて、日本は「開発」のほうに力を注いでいくというのも一つのやり方ですけれども、ほかにもいろいろな方法があります。きょうはそれをぜひとも検討したいと思います。
 「開発」のプロセス、どのように円滑化し、支援をしていくのかという方法もまたたくさんあると思います。例を申し上げますと、90年代初頭、私が、アメリカのドイツ駐在の軍人として務めていたとき、冷戦が終わり、東ヨーロッパやロシアとの関係の正常化が行われていました。ドイツのガーミッシュでマーシャル・センターという学校をつくりましたが、この目的は、新しい国家からも入ってきましたけれども、ワルシャワ条約機構の国々の中堅の軍人に向けて、民主的なプロセスと両立できるような、あるいは文民統制と両立できるような制度をつくっていくことを教えることでした。制度的に学校としてそういうことを教えてくれるところはなかったので、大佐、中佐、中尉、少尉、文民関係の人たちも入ってきて学びました。そういう人たちに、民主的な社会と両立できるような価値観を教えようとした学校です。これは一つの例で、ほかにも何千もそのような試みがなされています。
 私は、日本の人々はこの問題に関してどう感じているのかということを本当に知りたいと願っています。日本がもっと積極的な役割を果していき、大きな戦略の中で、テロに対する戦いで、発展の立場から大きな役割を果していく方法について模索したいと思います。
 
モデレーター: では、ハリー・ハーディングさん、お願いします。
 
ハーディング: 議長、ありがとうございます。まず初めに申し上げますが、私にとりまして、このシンポジウムに参加できますことは非常に光栄であり、うれしく思います。東京財団、日本財団に、おもてなしのお礼を申し上げたいと思います。
 なぜ私が非常にハッピーかといいますと、このような会議は、重要な問題についての議論がいまどこにあるのかということをまとめて考えることができ、次のステップで新しく検討しなければならない問題が明らかになるからです。基本的には非常に重要な命題を模索しているのだと思います。そして、それには米国においても日本においてもますます支持が見られるようになってきていると思いますが、その命題とは、外交面においても、安全保障の政策上でも、日本がもっと「普通の国」になるべきだということです。憲法を改正するか、少なくとも再解釈することによって、軍隊の維持が明示的に許されて、いま存在するものを確認し、それらの軍隊が集団そして個別的な防衛に取り組むことができ、軍隊においても文民においても適切な指揮統帥権が行われるようになるでしょう。私は、これについて支持しております。
 しかし、いくつかの追加的な問題が出てきますので、さらに議論を進めてもらいたいと思います。いまボイド将軍がお話しされたことにのっとって、私はそれをフォローするかたちで申し上げたいと思いますが、まず第1に、日本の軍隊を、もっと「普通の国」としてデザインすることを考えた場合、具体的にはどういうことかということです。
 ロシアの小説家、トルストイは「不幸な家族はそれぞれ不幸を抱えている。それぞれの固有の状況を有しているが、幸せな家族はみんな同じだ」と言っています。私は、「普通の国」はみんな同じではなくて、それぞれに達うと言いたいと思います。
 まず、日本はどういう姿になるのか、軍事的にはどうなるかということを考えた場合、NATOを例にとってみましょう。たとえば、英国と同じ能力を持つのか。これは志方将軍も言及されていますが、それとも“ミニ米国”で、核兵器、フォースプロジェクションの能力、空母、原子力潜水艦などを持つということなのか。それともより限定的な、しかしながら大きな能力を持って、フランスとかドイツのようになるのか。ノルウェー、デンマークのような限定的な能力を持つのか。ノーマルなといったときに、いったいどういうノーマルな軍隊を開発するのか。そして、その軍隊のミッションは何になるのか。私は、この新しい問題に移行すべきだと思います。これは日本にとって基本的に重要なだけでなく、周辺国にとっても重要だと思います。
 二つ目の問題は、戦略的なレベルの問題です。より軍事的な能力が高まるとして、日本の大きな戦略は何になるのか。普通ではない軽武装の国家として、50年代、60年代、日本には二つの選択肢がありました。非武装中立は、冷戦の世界ではあまりにも危険すぎるということで否定されました。あるいは、安全保障を米国に依存するということは、究極的には吉田首相が選択したことであり、それはその後の数十年、繰り返されることになります。しかしながら、日本はもっと「普通の国」になるとすれば、さらに選択肢は拡がると思います。
 この会議は、モースさんが監修した東京財団の本に関係していますが、この中の論文を見てみますと、いろいろな代替案があり、静かな議論を日本において行うことを勧めています。この議論は、先ほども言及されましたが、EUの中で行われているものに似ています。たとえば、日本は二国間の同盟という枠組みを米国と保持すべきか、その枠内に止まるべきか。そうであるならば米国の努力と同じことをするのか。あるいは、ボイド将軍がおっしゃったように分業体制をとるのか。日本は米国に対して、同盟の取り決めをもっと多国間を含むようにすべきだと述べるべきだ、そうすれば日本と韓国とオーストラリア、NATOといったつながりが出てくるので、そっちにいくべきだということなのか。それとも、広範な同盟の枠組みの中に止まり、地域的なリーダーシップを米国から引き継いで、アジアにおいてもっと大きな存在になるべきなのか。そして、米国はほかでもう少し大きな役割を果たすべきなのか。それとも、日本は部分的に同盟の枠組みから離れて、米国と中国の二国の外にいて、バランスをとる役割を果たすべきか。こういったような戦略的な選択肢が日本にはあります。より「普通の国」になるということは、結局、こういった選択肢に正面から取り組み、オープンに話をして、基本的な意思決定をすることを意味しています。
 最後に取り上げたい問題は、これもアジェンダとして登場していると思いますが、次のようなものがあります。「普通の国」のビジョンが正しいビジョンならば、それを達成し、促進するうえで何が必要なのかという前提条件がいくつかあって、はたしてそれが日本に存在するのか。第1は、ボイド将軍がおっしゃった、国内の政治的な支持で、大衆の50%が、田久保先生がおっしゃったように超不戦主義で、攻撃されたときにも防衛する意思がないならば、新しいグランドストラテジーを支持する層がいったいどれぐらいいるのか。一般のサポートがないならば、はたしてそれをどうやって採用するのかということになります。
 第2に、日本がもう少し国際的に大きな役割を果たすという話をしておりますが、しかし、日本は今、景気後退局面にあって、そこから抜け出せないでいます。船橋洋一氏が、「日本の不況外交」といったようなことを言っています。すなわち経済的な停滞のために日本はもっと多くのことをやるのではなくて、より少なく行動するということです。日本は、はたしてこういった追加責任を担う経済的資源があるのかどうかということです。
 第3に、十分に海外の理解を得られるのか。日本が「普通の国」になって、海外はどう思うのかということです。なぜ日本において、いわゆる中国の歴史の戦術的なありようについて反感があるのかは十分理解できますが、結局、日本の将来について不確実なのは中国だけではなくて、韓国もそうですし、東南アジアもそうです。オーストラリアにおいてもある反響があります。日本は国際理解をどうやって得るのか。そういったサポートがなければ、より「普通の国」として受容されないことになります。
 第4に、セルフイニシエーション、自己責任という問題があります。議論を聞いていると、日本が新しいアメリカの期待に対応するというように聞こえてきます。あるいは、アメリカが、日本はこういうふうに行動していいよと許可を与えたり、日本に圧力をかけて何らかの行動をとらせようとしているかのような印象を受けております。責任を持ってほかの国と協議して、しかも自主的に行動するような「普通の国」になれるのでしょうか。「普通の国」ならば、自ら戦略をイニシエートするのです。たんに反応したり、他国の許可によって動くのではなくて、日本の政治体制として、そういった責任を担う用意があるのかということを申し上げたいと思います。ありがとうございます。
 
モデレーター: ありがとうございました。私がこの問題に答える係でなくて、一瞬ホッとしているのですけれど、これから討論を深めましょう。
 次にトネルソンさん、お願いいたします。
 
トネルソン: 議長、どうもありがとうございます。私も主催者の団体に、この会議を主催されましたことに感謝したいと思います。この会議に参加できることをとても光栄に思います。
 先ほど、議長が、ストライクゾーンの話をされたときに、私はちょっとビビりました。私は野球のファンですが、去年、ストライクゾーンが変更され、アメリカの野球は、これで非常な問題に突き当たってしまいました。メジャーリーグのプレイヤーも、どこにストライクゾーンがあるのかわからなくなってしまったのです。これは一貫性をもって実施されていないので、問題だらけです。この問題が解決できなければ、われわれは野球を観ることができなくなるかもしれません。そうしますと国家的な悲劇だと思います。
 私は、田久保先生のぺーパーは、とても重要な点を指摘されていると思います。われわれ日米関係に関わっている者は、これをいくら言っても言い過ぎるということはありませんし、聞いても聞き過ぎるということはないと思います。また、ハリー・ハーディングもその点に関して間接的に言及しました。それは、日本の国民の態度・姿勢、それから、日本のエリートの人たちが持っていらっしゃる国防政策に関する態度・姿勢に関してで、われわれが話をしたいろいろな機関によりますと、日本がこうした役割を果たせない障壁はアメリカによってつくられているというのです。
 アメリカの外交政策のエリートたちは、日本を弱くしておこうというところから離れていっているとおっしゃいますけれども、私は、その証拠はあまり見つからないと思います。「アーミテージ報告書」の中では、アメリカは、軍事的にも強い日本が生まれ、自信を持って実際にアメリカの国益に沿ったかたちで行動してくれる日本が出てくることは歓迎できると言っているというのですが、私は、それをそのまま信じることはできません。「アーミテージ報告書」の執筆者の90%は、そういうような考え方に対して戦って、人生のほとんどを過ごしてきたのです。できるだけ強固に効果的に、そういう考え方を排除しようとしてきたのです。アメリカの外交機関に対して「日本は弱くしておくべきだ。日本は封じ込めておくべきだ」ということを、これまでずっと言ってきた人たちなのです。そういう人たちが今ああいうことを言っても、どこまで信じればいいかわかりません。あのように一夜に考え方が変わるということは、若い人ならともかく、あの年代の人たちにはちょっと不可能だと思います。ですから、私は「アーミテージ報告書」を百パーセント信じることはできません。まずそれが一つです。
 そのほかに、日米関係の強化に対して立ちはだかっている障壁物についてちょっとお話をして、それがどういう意味合いを持つのかということで、田久保先生がおっしゃった点にも少し結びつけていきたいと思います。田久保先生は、私が聞いておりますと、かなりの楽観主義を持ってお話になっていたと思います。世界のいろいろな問題に関して、日本は実際に理にかなった役割を果たす方向に動いているとおっしゃったと思いますが、かなり楽観的な展望だと思います。その前進はきわめて遅々としたものであるという点を、もっと指摘していただきたかったと思います。私に言わせますと、その前進はあまりにも遅々として進んでいないということです。
 これは、同盟の戦略、政策などに関して、しばしば認識されておりませんが、大きなインパクトを与えるものです。つまり、一つの同盟があり、本当にその同盟の中に軍事的な内容があるという場合、その反対にあるのは、ただただ形式だけの同盟ですけれども、軍事的な内容のある同盟のために、いちばん重要なのは軍事的な予見可能性です。軍事的な計画をするためには予見できなければいけません。つまり、企画をする人は、同盟国のある部隊がどこにいて、どういうような戦いで、どれだけの武器を提供し、どのように空軍や海軍の支援をするのかを予見し、何があってもこれだけのものは提供できるという保証をすることが必要とされているのです。そういうような同盟のコミットメントが満たされないときは、軍は負け、兵士は殺されてしまいます。これはとても深刻な問題で、これ以上深刻なことはありえません。
 日本の安全保障や外交政策のディベートを見ますと、私もこれまでフォローしてきましたけれども、あまりにも不確実性が多すぎて、とても臆病で、とてもデリケートすぎると思うのです。ですから、そこで出されるメッセージは、日本とは50年間も緊密な関係にあった同盟国に対しても本当に不確実であって、計画などできないぐらいに何もかもわからないというメッセージなのです。
 私は、志方将軍が今朝おっしゃったことにとても感銘を受けました。私は正しく理解できていると思いますが、日本の政府や既存勢力は、日本の国民をだますようなやり方でディベートをしているとおっしゃったと思います。そうすると、世界のほかの国々に、日本は信頼できるというメッセージは伝えられなくなるのです。いかなる政府も既成勢力も、レトリックの面で歪曲されたようなことしか言えないというのでは、非常に困るわけです。国民のサポートはとてももろいものです。われわれが本当に必要なときには、その部隊がわれわれのそばに来てくれているということが、確実に百パーセント信じられなければ、われわれとしては、その人たちを含んだ計画ができないわけです。
 もう一つ、日本関係の協力を強化するうえで障壁になっているのは、あるいは、もっと恒久的な同盟関係の障壁になっているのは、ボイド将軍が今朝おっしゃったことに関係しています。それは、軍事的なギャップが拡大しているという点です。たとえば、アメリカとヨーロッパの同盟国の間のギャップも非常に拡大しており、それも拡大の一途をたどっています。ヨーロッパでもアメリカと共に戦っていくことはますます難しいと感じているようになっているとおっしゃいました。そうですね。とても奇妙な問題が出てきています。ヨーロッパの同盟国の勢力が本当に弱くなってしまって、彼らの弱さがアメリカの軍にとって問題になっています。
 アフガニスタンの平和維持活動が始まると、アメリカが本当に恐れているのはPKOの人たちが増えてしまって、彼らが脆弱性の原因になることで、アメリカの戦闘員にとっても、タリバンやアルカイダと戦っていくうえで非常に障壁になるのではないかと心配しているのです。ここ2〜3日わかりましたけれども、アルカイダもタリバンもまだいるんです。まだまだ危険な存在なのです。
 ヨーロッパとアメリカの軍事的なギャップはすでに大きく、同じことが日本とアメリカの間にも言えます。そうすると、日本の場合、予見できる将来、アメリカにとって本当に軍事的に有益になるのがますます難しくなっていきます。たとえば、アメリカ軍の駐留基地とか、物資の供給をするとか、そういうパッシブなかたちでしか貢献できません。アメリカ側では政治的に見て、戦争があるときに、日本がアメリカ兵の洋服の洗濯だけをしているのでは、決して満足しません。失礼な言い方かもしれませんが、そういう現実に目を向けなければいけないと思います。本当にどこまで同盟の存在理由があり、目的があり、実際にそれが存続可能かということに関しては、こうした軍事的なギャップは大きな政治的な意味を持ちます。
 私の言葉を信じてくださらなくてもいいのですけれども、コソボ戦争のあとで、コーエン国防長官が同じようなことをおっしゃいました。アメリカとヨーロッパのギャップは軍事的にもここまで大きくなってしまったので、「NATOの将来も疑いが持たれる。こういうようなかたちでは継続はできないし、うまくいかない」とおっしゃっています。
 最後に私が指摘しておきたいのは、私は、日本の世論を理解しようとして、また日本のエリートの方々の見解を理解しようとして、日本の問題は日本人だけに任せ、新しい外交政策を日本だけにすべて任せることはしませんけれども、日本の場合には大きなハンディを抱えていると思います。それは「超平和主義」です。これをもっと表面にはっきりと引き出してみなければいけないのですが、日本の非政府的な外交政策の団体を見ましても、非常に過度な重視が国際組織や国際体制に向けられています。外交政策のツールとして、国際機関に頼ればいいんだという考え方があります。9月11日以前でも、こうした国際組織は本当に捉え難くて、アメリカの国益のためには、あまり有意義な貢献ができていないということは明らかでした。
 そして、アフガニスタンの作戦に関して、当初の計画がなされていたときに、あちこちで言われていたことがあります。とても尊敬されているような高級紙にも、アメリカの軍事企画者は「これはNATOの作戦にはできない」ということを決めたと言っていました。たとえば、フランスは「あのモスクの中には文化的な意義があるから爆撃できない」と言いました。コソボでも彼らは言いましたけれども、そういうようなフランスが入っているNATOでは、やっぱりやっていけない。アメリカの軍事司令官が国民の前でも議会の委員会でも、これに関して非常な憤りを表明していました。そこで、アメリカの軍事企画者は、そういうことはもう回避したいと思ったのです。ですから、指導部にもそれを伝えました。したがって、アフガン作戦はNATOの作戦とはならなかったのです。
 9月11日のあとの世界で、こうした国際組織の欠点や弱点がもっとはっきりしてきましたし、これはもう我慢ができないぐらいだと思います。それに加えて、日本がハンディを持っているのは、アメリカとも、もっとも緊密な同盟国との間でも、大きな国際問題に関してコンセンサスがないことです。9月11日の前もそうでしたし、9月11日のあとに一時的にはそういう批判や不協和音は消えましたけれども、これが今になってまた戻ってきています。多くの日本の方々は、国際組織そのものだけでコンセンサスは生み出せないということを理解できていないように思います。こうした制度的な構造だけではコンセンサスは生まれない。そこにあるというだけではコンセンサスは生まれないのです。国際組織は、独立した自立した効果を力の関係に与えることはできないのです。宇宙に行ったら、どこかにそういうことができるところがあるかもしれませんが、この地球上ではできません。国際組織は、ただただそこにあるコンセンサスを反映することができるだけなのです。もうすでにある力の関係を反映させられるだけなのです。私は、残念ながら、多くのアメリカ人も非常に非現実的な期待を国際機関に寄せていると思います。とても危険なことです。
 最後に、もう少し実質的なことで申し上げておきたいのは、こういうような会議では、アメリカと日本はどのようにして共通の利害関係や価値観やいろいろなものを共有しているかということが、よく言われます。でも、過大評価をしがちではないでしょうか。日本とアメリカは、多くの点で根本的には違った戦略的な環境に直面していますし、根本的に戦略的に違ったオプションを持っています。われわれは地理的に位置しているところが違います。地図を見てください。日本はここで、アメリカはずっと向こうです。そして距離があります。この世界では距離は大きな意味を持っているのです。私は、きのうまで時差で頭がフラフラでした。また、歴史も本当に違います。日本とアメリカほど、歴史的な経験が違う国はほかにないと思います。ハリーならそういう国を知っているかもしれませんが、私は知りません。文化も全然違います。国土の規模も違い、われわれは大きく、日本は小さい。経済的な強みも弱みも違います。また、われわれが持っている自然資源やリソースのべースも違いますし、社会的な優先事項も違います。
 もちろん私たちは、世界や世界が提供する挑戦や機会などを根本的な視点で見ていると思います。それは当然だと思うのです。だからといって共通のものを無視しようというのではありません。共通点もありますから、それはちゃんと大切にしますけれども、類似点をあまりにも強調して、違っている点を隠してしまいますと、いつかそれにかみつかれてしまいます。われわれはそこから反発を受けます。しかも、いちばん都合の悪いときに反発を受けてしまいます。
 
モデレーター: ありがとうございました。最後にロナルド・モースさん、お願いいたします。
 
モース: 本日の会合のどのプレゼンテーションにも共通して流れていた一つのテーマは、9月11日の事件によって、日本がどの程度自己欺瞞にとらわれてきたかということがあからさまになったということではないかと思います。世界全体における安全保障の確保において果たす役割という点で、日本の無能力が明らかになりました。湾岸戦争以来、実は安全保障の領域で日本は何も達成してこなかったということが明らかにされてしまいました。また、アメリカ合衆国が先に進んでいる間、日本は横向きに歩いていただけだったということがあからさまになりました。
 ジョージ・ブッシュが2月18日に東京にやってきまして、日本の戦争に対する支援をありがとうと言いましたが、これは「アーミテージ報告書」とはまったく矛盾していましたし、ペンタゴンが、日本がこの戦争に貢献したと言ったことは、こういった報告と矛盾していました。つまり、そうではなかったということです。
 日本が世界においてどういう役割を果し、どうやりたいかということに関して自己欺瞞があったということが明らかになったわけです。田久保さんがおっしゃったとおり、アメリカは日本を信じていない。しかしながら、それよりむしろ大きい問題は、日本人が日本を信じていないということです。日本は自らどういう国になりたいのかということを決めていませんし、何を信じ、何を支援するかということに関しても自分で判断していないように思います。
 どういうような自己欺瞞があったかということを日本で見聞きしましたので、いくつか事例を挙げてみたいと思います。たとえば、日本自身、ここ数年、テロを繰り返し経験しているのに、それに対処する戦略をまったく持たないできました。95年から2001年までに2000件ぐらいテロ事件があり、そのうち北米であったのは15件だけです。1件あったので(通訳のまま)、アメリカとしては対テロ戦争を開始したということです。
 アメリカがユタ州でオリンピックゲームを保護するために動員した軍の人員のほうが、アフガニスタンに投入した人員より多いという状況でしたし、アメリカの軍隊より多国籍軍のほうが多かったという意味で、単独で全部やっているということではまったくありません。つまり、同盟各国に非常に依存していたわけです。
 「アーミテージ報告書」によりますと「日本の状況は英国のようにアップグレードすべきだ」と書いてありますが、この戦争に対して英国は何をやったのかということをお話ししてみたいと思います。英国の空軍は6日以内にフロリダ州のタンパの米国の司令センターに入っておりました。それから、1週間たった段階で、21カ国の将軍からなる会合がタンパで毎朝9時から開かれ、アフガニスタンをどうすればいいかという議論をしていました。また、英国は、60人のサポートスタッフをタンパに送り、具体的に参加しました。また、英国は4000人以上のトゥループをアフガニスタンに派遣しており、情報の専門家も派遣しています。タリバンに向けて英国の戦艦からトマホークが発射されています。
 テロに対する戦争についての日本の貢献度ですが、実際の具体的な参加に関しては、湾岸戦争段階よりもっと少ないのです。しかも、コストとしては湾岸戦争の倍ぐらいかかるのに、経済的にも日本の貢献は湾岸戦争時よりずっと少なくなっています。どういうことかといいますと、9月11日以前、「アーミテージ報告書」には、先ほどトネルソンさんがおっしゃったとおり、日本を信じない人たちかたくさんいまして、それが政権に入って、日本はもっと軍事力を強化すべきであると言ったわけですけれども、政権についたのちに自ら考え方を大きく変えているのです。
 そして、9月11日を迎えました。ワシントンは9月11日をどう捉えているかというと、こういうことです。9月11日に関して、日本の政府は非常に曖昧な発言をしています。そして、9月13日に、ようやく小泉政権は初めてブッシュ大統領と話をし、14日、フォーリン・コレスポンデンス・クラブで、小泉首相は、支持をするのではなくて、アメリカに「抑制するように」ということ言いました。アーミテージも含めて、ブッシュ政権はみんな非常に怒りました。15日、東京から何も発言はありませんでした。そして、アーミテージは柳井大使とワシントンで会って、“show the flag”、タリバンに対してなぜ一緒にやらないのかと言いました。9月19日、ようやく措置が発表され、25日に小泉首相がワシントンD.C.に出かけたわけです。
 ジョージ・ブッシュ大統領は日本にやってきて、「日本の貢献度はすばらしかった」とスピーチしましたが、その段階で、日本は大きな役割を果たすつもりがないということを重々知っていたということです。もしもクリントン大統領が2月にやってきてスピーチをやったとすると、日本はハッピーではなかったと思います。つまり、日本を無視していると思ったでしょう。しかしながら、通商面であまり圧力をかけてこない共和党の言うことは、日本人は非常にうれしく聞くわけですから、ブッシュ大統領が「よかった、よかった」と言えば、日本は非常に喜ぶというわけです。
 先ほど、トネルソンが言いましたけれども、ワシントンの人はみんな、日本はガッツも勇気も意欲もなく、こういう厳しい状況になったときに、日本は助けようという気持ちはまったくないのだと思っています。
 9月11日は、実は日本にとっては時代が逆向きに後退したということです。もし9月11日に負けた国があったとすれば、それは日本です。なぜかといいますと、それ以前は評価されていたからです。日本は同盟パートナーだと思われていました。しかしながら、9月11日以降、アメリカは一連の複数の柔軟性のある同盟関係を、ロシアや中国が主ですが、ほかの国と持つようになりました。そのなかで日本はマイナープレイヤーになってしまった。アメリカの同盟政治学の中では小さくなってしまったわけです。
 きょうはいろいろなことをいろいろな方がお話しになりました。自己欺瞞であるということが言われてきたわけです。どういう意思決定をしているのか。たとえば、田久保先生がおっしやったようなことに関して、いろいろな自己欺瞞があって、本当に「普通の国」になりたいのか、本当の国なりたいのか、国際貢献をしたいのかということに関して、全部、自己欺瞞を続けてきたわけです。いちばん重要なのは、自らをだまし続けてきたということです。
 
モデレーター: ありがとうございました。いよいよ佳境に入ったんですよね。これはちょっと驚きました。私が予想していたよりもはるかに内容が濃くて、非常におもしろくなってきました。私は、こういうのが大好きです。
 それで、私の誤算だったのですが、この会議の持ち方は、第一部は、アメリカのキーノートスピーカーに日本のパネリストがいろいろ聞き、第二部は、田久保さんがキーノートスピーカーで、アメリカの人がコメントし、最後にコーヒーブレークのあと、みんなで話すから、形式的にはちょうどシンメトリカルだと思ったわけです。ところが、そうじゃない。私は、一つ、重大なことを見落としたのです。なぜかというと、ここにいる聴衆の大部分が日本人だということです。したがって、こういうことが起こるんです。皆さんは、第二部のキーノートスピーカーの田久保さんにはあまり質問はないんですよ。むしろ皆さんの関心は、このプロポガティブな4人のパネリストにあるんです。いや、英語は激しい言語で、驚きましたよ。日本語で同じことを言ったら、ぶん殴り合いになります(笑)。だから、非常におもしろくなってきた。という意味で、このセッションはシンメトリーではないですね。それが一つ。まず覚えておいてください。
 もう一つ、田久保さん、あなた、全部しょって答えることはないですよ。3時間差し上げて、一人でお答えになってもいいし、あるいは、幸いなことに、第三部が「21世紀の日本の安全保障」というテーマになっていて、第二部と第三部はつながっているので、第二部では、これには答えておきたいということがいくつかございましたら、それにお答えいただく。田久保さん一人にやらせるつもりはないですがね。僕はモデレーターだから残念なんです。
 
田久保: いやいや、専守防衛ですから、少し防衛させてください(笑)。時間をちょっといただきたい。
 
モデレーター: ちょっと時間を考えますから、ちょっと待ってください。日本人が日本人を信用している、いい例なんですよ(笑)。いま2時55分で、これが3時半に終わるようになっているんです。いいですか、皆さん、ゼロサムゲームなんですよ。田久保さんに時間をたくさんあげると、皆さんの時間が減るんです。許してくれますね。(拍手)
 田久保さん、これから25分差し上げますから、お話しください。
 
田久保: そんなにいただけますか。
 
モデレーター: 皆さんがいいと言うんです。ありがとうございます。じゃ、田久保さんにやってもらいましょう。(拍手)
 
田久保: 皆さんのご発言もございましょうから、お答えするだけの時間をちょうだいしたいと思います。
 私が言ったことを、ボイドさんもハーディングさんもトネルソンさんもモースさんも、少し誤解しているんじゃないかなと思います。私が言ったのは、日本の防衛のソフトの面の欠陥が異常だから正常に戻せということを言っているんです。これが一つです。
 それから、トネルソンさんが、われわれが期待しているほど進んでいない、遅々として進まない、と言われましたが、私は「遅々として進まない」と20年間言ってきたわけです。まったく同じです。
 冒頭に申し上げなければいけないのは、私は日本政府に批判的な言論をずっと続けてきたものですから、下手すると、4人のアメリカのお客さんと同じ立場になって日本政府を攻撃するようなことになってしまうということです。あいつは日本人のくせに裏切りじゃないかと、歌川さんみたいな人はすぐ言いますから、少し弁解させていただくと、私は、ソフトの面をノーマルに戻せと言ってきたんです。テンポが遅すぎるというのは、私も同感である。
 世論は、先ほども申し上げたけれども、アメリカのお客さんたちには信じられないぐらい、私にとっても堪えられないぐらいだけれども、民主主義国家とはこういうものではないか。「徐々に変化しつつありますよ」ということを申し上げたいのです。
 それから、テロに関しては、ロナルド・モースさんが言われたように、これは日本政府に対する批判ですが、当初の日本の意気込みからすると、今は少し足並みが乱れて、テロに対する根本的な認識ができていないという感じがします。
 以上のことを申し上げたうえで、少し防衛してみたいと思います。ボイドさんが、同盟の目的と言われましたが、私は、これはリアルに考えているんです。同盟はどういうときに成立するか。基本は、共通の敵がいなければ存在しなくていいと思うんです。それが一つです。それから、経済的利害関係が一致したほうが望ましい。三つ目は価値観の一致です。価値観を共有しなくても、アメリカは、必要とあれば、ニクソンが毛沢東と握手して、ソ連を締め上げたようなこともする国である。国家とはそういう関係があるということを、われわれはリアルに考えたほうがいいのではないかということです。
 ボイドさんはドイツにもおられましたが、アデナウアーがいちばん先にやったことは国軍の創設ですよね。それから、アメリカの教育制度はけっこうです、ドイツの教育制度でやります、ということでした。これが今のドイツのよって立つ基盤だと思います。
 それから、湾岸戦争のときに海外派兵ができなかったけれども、ドイツはその数年後に、最高裁判所が憲法解釈を変えて、海外派兵をできるようにしたので、コソボの空爆のときにはNATO軍にトーネード戦闘爆撃機が加わって、コソボの戦闘に参加しています。アフガニスタンに関しては、皆さん、ご存じのとおりでございます。
 これをドイツはどういう知恵でやったか。4人の方、とくにハーディングさんが言われた、世界の世論がどう見ているかということですけれども、ドイツは見事だなと。二つあって、一つは、NATO最大の国ですけれども、NATOの一員として通常兵力を増大しています。もう一つ、イギリスに次ぐ親米国家で、この二つでドイツに対する疑惑は消えている。これでいつの間にか欧州を代表する国家になった。それに比べて、日本はなんだ、まだソフトの是正もできないのか、というところに私の苛立ちがあることを4人の方に申し上げたい。とくにボイドさんに申し上げたい。
 それから、ハーディングさんがいちばん問題にされたのは、「普通の国」になったときに、世界の世論はどう見るかということです。とくに周辺国家だと思うんです。理論からいうと、異常な国が周辺国家と同じようなシステムを持つことで文句を言われる筋合いはまったくない。去年、一昨年、私は中国へ行って、大激論をやってきたのですが、あなた方が日本を軍事大国というなら、あなた方はいったい何なのですか、ということです。日本の今のような状態は、普通の防衛システムを持とうということで、異常なものを正常に戻すわけで、世論は気にする必要はないと思います。
 ただ、一つ参考になるのは、USTR(米通商代表)の代表になったゼーリックさんが、2年前の「フォーリン・アフェアーズ」の1・2月号に名論文をお書きになっています。日本がどういう方向を歩もうと、周辺国家と必ずトラブルを起こすのは目に見えている。政治ですからね。そうすると、ワシントンから見ているときは、ゼーリックさんは頭がいいなと思うのは、日本を正常な国家にするには、米豪あるいは米韓の軍事関係を高めていき、その一環として日本も軍事力を進めていくようにすれば、周辺諸国との摩擦は少なくなるだろうということです。これは非常に示唆に富んでいると考えます。
 それから、トネルソンさんが言われた、私が楽観主義ではないか、日本は臆病ではないか、「アーミテージ報告書」は信じられないぞ、ということは、よくわかっております。ただ、私が先ほどから申し上げているように、日本政府を代表する立場にありませんので、どうしようもないのですけれども、「日本は臆病で仕方がない。不確実性がある。NATOとアメリカの間にギャップがある」とトネルソンさんは言われましたが、そのNATOにも及びもつかないのが日本の現状なんです。ハードの面では比肩するかもわからないけれども、ソフトの面ではとても肩を並べるわけにいかないということです。
 もう一つ、トネルソンさんは、日本とアメリカの歴史、文化、地理、経済の面で非常に隔たっていると言われました。私もここでアメリカと一緒に、八百長みたいに、みんなで価値観を共有して、ありがとう、同盟万歳、一緒に行きましょう、という陳腐な結論は出したくない。アメリカはアメリカの国益で日本と結びついており、日本も日本の国益でアメリカと結びついているのであって、そのうえでお互いの理解を深めなければいけないというのは、国際政治のABCですから、そういうところで新しい日米関係を構築しなければいけないのではないかと思っております。
 モースさんは、日本は自己欺瞞で、無能力を露呈したと言われました。私はモースさんと本当に古いつきあいですけれども、この点では同じ評価です。いままで日本の自らの意思で変化するのではなくて、周辺の外的変化に合わせて、なんとかそれに対応しようということが日本のやってきたことで、今、大きくもう一段階、テロでガーンと動くと、ようやく日本も正常化に動くきっかけをつかめるかなということが、先ほどから強調してきた点です。
 私は、自主防衛で、核武装して、アメリカと対抗しようなんていうことはまったく考えていません。日本は近代国家になってから、侵略国家とか何とか、ほかの国の人はいろいろなことを言いますけれども、これは、われわれなりにハウ・トゥ・サバイブで、この国際社会でいかに生きていこうかということを考えてきたわけで、そこで多少の行き過ぎがあったのだろうと思います。われわれがサバイブするために、どこと組むかということを考えると、外交上の打算になりますが、アメリカ以外にないだろうということです。きわめてドライなことを言うと、そこの認識から始まらないと、本当の日米関係は構築できないのではないかということだけを申し上げて、私の答弁とさせていただきます。
 
モデレーター: 日本人として、一人の友達として、ご苦労さんでした(笑)。日本語は曖昧なものですからね。自己欺瞞というのは、あなたはあなた自身を自己欺瞞していないんですよね。これではいかんと言い続けてきたのですね。
 
田久保: そうです、そうです。
 
モデレーター: そこの達いのニュアンスが出ていないんですよ。日本国総体として、日本国が日米同盟において果たす役割について、何かやっているんだと自己欺瞞してきましたと。あなた自身は、そうは思っていなかったんですよということですね。
 
田久保: そうです。
モデレーター: 日本語は難しいんですよ。








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