例えば植物でも、1つの木を見たら、その木の裏には非常に長い歴史的な、そこに木が存在するための長い長い裏話というか、それがあるわけですよね。僕は自然科学をずっと勉強している1つの楽しみというのは、その裏が見えるということですね。多分、そういうことは感覚的にはわからないことで、いろいろな知識を、それこそ総合してですね。例えば石を1つ取ったら、この石の裏に秘められたいろいろなドラマがあるわけで、それが石を見たら見えるわけです。その見えるということが、すごい楽しいわけで、子供たちに、そういうことが伝わったら、いろいろ意味を持ってくるわけなんですよ。ちょっとした物でも、その裏に実は長い長い歴史があったりですね。それはすぐ見てわからないんだけれども、実はそういうものがあるんだということをイマジネーションで、ちゃんと認識すると。それが僕は自然認識というもので、学校の教育も、ぜひそういうようなことを子供たちにわかってもらえるようなことを教えてほしいと思います。
【濱田氏】 ありがとうございました。学校の先生の立場を弁護するわけじゃないんですけれども、ともかく、ある期間内、1年という期間内に、子供たちに対して、ある成果(フルーツ)を持たせなければいけない。しかも、それが社会的要請で役に立つものじゃなきゃいけないということがかなり大きいというので悩まれると思うんですけれども、こんなにわからない、わからないで済まないところがあると思うんですが、そのときに、わからないというのは、やっぱり結果が出ないからわからないと思い込まれていたら、僕は、それはまずい。総合の時間を使うときには結果を求めるんじゃなくて、プロセスとかですね。
例えばあることを考える。そうすると因果関係というのが見えてくるわけですね。いろいろなので因果関係がある。そうすると、因果関係がどうなっているんだろうということを考える。その考えのプロセスだとか、あるいはヒントをちょっと与えたときに、そこからぽっと伸びていく。そういう能力の開発とか、啓発とか、そういうところに重点を置かなければならないんで、いわゆる正規の科目授業で教室内でやっていて、単元があって、ここからここまで覚えて、次の学年には、ここからという仕切りが設けられたものではない、もっとフリーな中に、伸び伸びした途中の散策というんでしょうか。