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失敗じゃないんです。だから、あれは水の量とか、吹き出している風の角度とか、あるいは量とか、そういうのは定量的にも置きかえることができるわけですね。そういうことをやらなくても、バックグラウンドに持たせるようなことで、子供たちも考えれば、強い風が吹いたら強い波が立つということぐらいすぐわかる。

そのときに一番困ったことは、科学というと、例えば世の中でも、マスコミでも全部、そうですけれども、研究者がやっていることが科学であり、科学雑誌に出ていて、学界で討論されることが科学だと思って、とまっちゃうんですね。このごろは少し、生活科学という言葉が普及してきました。例えばエコロジーという言葉がたくさん出ていますよね。あれの定義を読まれた方は多いと思います。エコとロギーだから、エコロギー。あるいは、それに近い言葉で、エコという言葉とロギー(学問)を集めた言葉と言っていますけれども、これは実は100年ほど前の婦人の人権運動から起こっている言葉なんですね。生活科学なんかです。生活をどうよく理解するかということで、ある女性が全力を傾けていって、生活環境科学という中からエコロジーという言葉をつくり出しているんですよね。それをだれかが学問のほうへ取ってしまった。だから、生活科学こそ、すべての科学の起点であると。これは非常に原始的と言うと失礼ですけれども、初源的な学問になる前の世界では、たとえば物をはかるとか、物を見るとかということが最初の原点であったんですけれども、学問体系が出てきたら、遺産としての書かれたもの、伝わるものが、もともとだと思って、学校で原理を教える。冗談じゃないですね。学校で、子供たちにいきなり原理を教えられるわけないのに、学問の歴史がそうだったから、原理から入れば応用がきくと。全然、それは学問の発展史の中にはないわけですね。そういう科学の世界のひっくり返り方。

そして最後に、科学というものは、そこで終わっちゃうんじゃなくて、それがもう一度、自分の生活を説明できると。社会のアカウンタビリティー(説明責任)があるということ。それができるということが大切なのに、それを教育というので与えてしまうことにとどめてしまうから、説明にならない。皆さんもそうかもしれませんと言ったら失礼ですけれども、僕もいっぱい習ったはずなんですけれども、全部忘れてしまったんですね。自分でやったことだけ、人に説明することはできるようになったのは、仕事柄、そうなんです。

 

 

 

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