これは非常に大きな効果で、教科書ではなかなかできなかったと思います。
それは世界中の人口がどうで、というふうにしていきますと、バイオマスの考え方とは別に、生物量というのは何を言っているのかということもわかる。乾燥の牛肉みたいなものですね。それと社会事情と比べて、そして地球の全体の水の量と。それと地球の大きさだとか、さまざまな派生する話題が出てくるわけですね。そういうふうに取っていくということはとてもいいことじゃないかと思うので、それには、今日の両先生のように、手づくりの実験とか、実際に野外に行くことを含めて、ハンズ・オン(手を下す)ということ自体が大きな作業として、この総合の時間を有効に使うのに最も有効であろうと私どもは考えています。ハンズ・オンというのは範囲は広いですから、スイッチを押すのもハンズ・オンかもしれませんけれども、頭を使うこともハンズ・オンになる。手と頭は同じです。指導書、マニュアル、これは手引きです。胴と手は同源ですよね、人間の場合は。そういう考えを持ってやっていけばいいということがあります。
それからもう一つ。これは学校批判になりますが、文部科学省も、いろいろ担当してきた。教科書その他を担当してきたので、天に向かってつばを吐くわけですが、大学もそうです。小中学校・高等学校はもちろんのことですが、本来は実験・演習というものは、ある講義なら講義をする。それと補完して、今言ったことはこうなりますというペアになって進むのが本来の実験なんですよ。あるいはもっと言えば、人に教えるんじゃなくて、自分が、僕はこういうことをやりたいというときには、この論理を試すにはどうしたらいいかと、必ず付随してパラレルに、親子の関係であるかのごとく進むべきものを、制度教育になってからは、こっちは話し、あとは時間がないから、それから切り取って、どこかで実験。これは小中学校から大学まで一貫して、ばらばらですよね。だから、学校教育がだめになっていく。これは何のせいもなく、そういう制度が、時間がないという制度から派生した、ここが文明社会の、あるいは高度社会の、あるいは非常にソフィスティケートされた、いや、それを目的としたゆえにかえって使い方が分離してしまった。そういう基本を含んでいるということで、履修の科目で先生たちが苦労なさって、そしてあげくの果てに、文部省が最後に、先生たち、やってと、ぽーんと手放してしまったと。そういう流れが見えてくるわけですね。