そうすると、そこから話が広がっていくように思います。患者さんがこの人は私を人間として認めてくれていると。患者さん、ペーシェントと言いますけれど、それは痛み、苦しみを耐え忍ぶ人という意味があるそうです。そういうことではなくて、人格のある1人の生活者としてとらえるということが、絶対必要だと思います。そこから対話が成り立つのではないかと思います。
付け加えるならば、言葉は認識の表れですから、言葉も大事ですが、言葉によるコミュニケーションは1割で、ノンバーバルコミュニケーション、非言語的コミュニケーションの方が7割を占めているということです。態度とか表情とか、そういうことももちろんそうなんですが、そのとっかかりの部分でぜひ言葉遣いをチェックしていただきたいなと思います。
松島:ありがとうございました。人間の尊厳という大変難しい。しかしそこは最初の挨拶から始まる、それは心を開くということかと思いました。柏木先生の愛と思いやりということもありましたが、そういう姿勢で接するところからケアが始まるのかなあというふうに思いました。最後に一言ずつ今日の感想なり何か一言ずつお話いただいて、終わりにもっていきたいと思いますので、吉田さんから。
吉田:今、磯崎さんからお話が最後にあったことは、私もどうしても申し上げたいと思っていたことでしたので、大変うれしかったし、助かりました。この168通を寄せたこの本の中にも、特に告知の問題なのですけれども、やはり家族がご本人の意思の届かない別のところで自分たちで告知はしないとか、延命治療をしないとかというふうに決めてしまったことを亡くなったあとも自責の念でいまだにひきずってますというお手紙が、非常に多いんです。告知をしたことを悔いるというお手紙は1通もありませんでした。こういうのを見ていますと、やはり家族ともども、病気に立ち向かっていくには、本当のことを普段から話合える雰囲気を十分作っておく。そのために大事なことは、やはりコミュニケーションの技術というかスキルですね。日本人はいたって下手だと言われています。家族の間ですら、なかなか自分の思いを相手にうまく伝えられない。コミュニケーション技術が学校で習うチャンスがないのですね。残念ながら日本人は会話があまりうまくないと言われています。患者になったときも、お医者さんに自分の症状とか、訴えたいことを手短に上手に伝えるということは患者にとっても大変必要な技術というか、大事なことなんですね。医療者も上手に応対して欲しい。だけど患者も上手に伝えないと、なかなか症状をうまくつかんでもらえない。
もう1つ、一般病院で、磯崎さんのようなお立場のお仕事をしていただける方、特にカウンセラーが非常に少ない。日本ではそういう方を置いている病院がいまだに少ないもんですから、ガンの告知など受けたあとのケアまでしていただける病院が少ない。そのために告知率が非常に上がらない。もっともっと磯崎さんのような方が一般病院に広く、たくさん居てくださるようになることを僕は非常に願っております。こんなことで私の最後のまとめにさせていただきます。
松島:ありがとうございました。磯崎さんお願いいたします。
磯崎:恐縮でございます、吉田さん。やはり病とか死というのは、不条理なものですから、だれか1人が正解を出せるわけではないというところをきちっと押さえておく必要があるのではないかと思うのです。一生懸命やりたい、やってあげたいというのは、とてもよく分かるし、私もそういうことに陥ることがあります。けれども、やはり1人で引き受けられると思うのは、傲慢であると立ち戻って、チームで関わる必要性を押さえておくことが大事かと思います。