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磯崎:そうですね。これはいろんな現場の人間にも共通しているように思うのですが、こうしてあげたいとか、こうあるべきだとか、きっとこういうふうに思ってはずですからっていうことでお話しされることが多いのですね。ドクターのホスピス外来に同席して、お話伺って、そのあと病棟見学のご案内してということをやっているのです。見学しながら外来でお話されないことも、ドクターがいらっしゃらないせいもあるかもしれませんが、バーッといろんなことが出てくる。その中に、やはり患者さんの意思よりも周りの家族の意思で患者さんを動かそうとするケースがかなり多いですね。やはり基本の線は患者さんがどうお考えになっているかということ。患者さんの希望を聞き出すということだと思うのです。そこで動いていかないと、最終的に悔いが残ると思うのですね。自分がそのときにこのはずだと思って何か処置をしたとすると、死別後、本当にあれで良かったんだろうかというふうなことが残ります。だけどそこで患者さんのお気持ちを何かの形で、いろいろ難しいことがありますが、何らかの形でキャッチして、その意思に沿って行ったとすると、亡くなることは残念だけれども、最終的にはやはりあれで良かったのねっていうふうに思えるのですよ。すぐにそう思えるわけではなくて、いろんな時間の経過も必要ですけれども、やはり患者さんが何を望んでおられるのかということをベースに、患者さんのペースに合わせる。患者さんの意見、ニードをつかむことが、まず必要だというふうに思います。患者さんの選択を中心にすえるということです。

そのためには、コミュニケーションを図ることが必要ですので、そこの辺りのコツとか、やり方が分からないからということで、ご相談に応じることが多いです。その辺りのことを細かく具体的に相手の方の状況に合わせて、私の結論は出ませんので、このような方法もありますね、このようなペースもありますねということで、あくまでも家族の方に選択していただくわけです。細かな患者さんと家族の関係というのは、私たちには分かりませんので、1つの例として、思案として出させていただいて、考えていただくというふうにしています。

悪いことは考えたくないという家族の方のお気持ちはすごく良く分かるんですけれども、最良の希望を持ちつつ、最悪に備えるプランというのは、いつも必要だというふうに思います。そのときにおつらい気持ちとか、どうしようもないことはナースなり、ソーシャルワーカーなり、ドクターもいいと思うのですが、そのケアする立場の人間にご相談いただいたらいいと思うのです。

あと1つ、先ほど吉田さんが患者さんの権利云々というお話されましたね。やはり患者さんの人権と尊厳をどういうふうに守るかという視点がないと、ホスピスはとても怖いところになってしまいかねないということがあります。例えば簡単に食止めっておっしゃいますよね。食べられないから、もう嚥下困難だから食止めって。でもお食事が来ないっていうことは、患者さんにとってはとてもつらいこともあるわけですよね。食べられないのに何で食事出すのみたいな、そういう会話ではとても悲しいと思うのです。やはり目で見るだけでもいいかもしれないし、お食事が運ばれることによって、私はまだ生きられるのだという希望につなげているかもしれないし、そこら辺は本当に細かく相談しながら、患者さんの様子をキャッチしながらしないといけないんじゃないかっていうふうに思います。死の3日前ぐらいまでお食事を出した例もあります。全然手はつけられないのですよ。

 

 

 

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