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ですから、私はそれを聞いてから、ああそうかと思いまして、常に自分というもののエネルギーを、1人1つの部屋によって、自分をフワフワフワフワ変えながらやっているというようなふうに心がけてやっています。

それとよく看護婦さんなんかの本に書いてありますけれども、意外と目と目をしっかり合わせるというのは、ストレスに感じるんじゃないかと思うんですね。全然合わせないと、何あの先生はと思われるかもしれませんけれど、私はときどきは見ながら、できれば患者さんと同じ方向を向いて、例えばお孫さんの写真があったら、おいくつですかとか、あるいは、お花があったら、どういう名前のお花ですかとか、そういったようなストレスを感じさせないようなことに気を付けているということが1つです。

それから、私の義理の母は桜町ホスピスで亡くなったのですけれども、そのときの看護婦さんの対応が、いつも「何々しましょうか」というふうに疑問型で言われるのですね。私がうちの病院に戻ってきたら、看護婦さんは「○○さん処置しますから、処置室に来てください」と言うのですね。「ください」も敬語かもしれませんけれども、「くださいませんか」というふうに疑問型で言うと、主体が相手になるものですから、相手の方はおそらく、今ちょっと食事を片づけたい、あるいはトイレに行きたいとかっていうことがありますので、私としては、できれば疑問型で患者さんと接したらいいんのではないかというような、そんなようなことを気を付けながらやっています。

もう1点は、特に管理的な立場になりがちなのは、経験主義に陥らないということではないかと思います。一度、セデスを20包も30包も飲んでらっしゃる方がいました。一般病院の看護婦さんはセデスというのは、3包以上飲んじゃいかんと思っていますから、あなた何か隠しているのでしょうというふうに、管理的な立場でされるから、結局どこででもトラブルを起こしてうちへ来られたのですね。私たちは、「いいんではないのですか、20包でも30包でも飲みましょう。セデスはおそらく腎機能が悪くなるから、それをできるだけチェックしながらやります」と。ただセデスはやはりよくないもんです。モルヒネですとシーディング・エフェクトがありませんので、徐々にモルヒネに変えながら、セデスは減らしていくということです。やはりセデスを20包も30包も飲まないといけないというのは、患者さんが悪いんじゃなくて、私たちが、その患者さんの痛みを本当には知っていないのだと。患者さんのニードの方へ自分の目をむけないで、経験主義に陥ってしまうと、患者さんは非常に不幸になるし、場合によっては精神病の扱いにされてしまうこともあります。そういったことをできるだけケアの視点の中では気を付けながらやっていった方がいいのではないか。これは私の経験で、皆さんもっといろいろご経験あるかと思いますので、いろいろご批判願いたいと思いますが、そんなような気持ちでやったりしております。

松島:ありがとうございました。非常に具体的で、皆さまに参考になる点たくさんあったかと思います。患者や家族のペースに合わせてみるということの大事さも、また学んだように思います。ここで少しご家族の点も。ご質問の中にも、身近な方を亡くされて、本当にあれで良かったのかと今も思うという方がありました。磯崎さんはご家族とお会いになるかと思いますが、ご家族へ何か一言アドバイスかご意見いただけますでしょうか。

 

 

 

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