松島:ありがとうございました。今のご発言の中に、「なぜ」という言葉がありました。「なぜこんな病気になって、なぜ私が、ほかでもない私がもう死を迎えなきゃいけないのか」という、その問いにどう接していくかということが、今、渡辺先生の最後のお話にもございました。大きな2番目のテーマとして、医療者として、あるいはご家族として、お友達として、どう対応していったらいいのか。そちらの視点で少し話を具体的にしていきたいと思います。すでに少しそういった点にも触れられましたけれども、もう少し具体的に、それからまたホスピスという特別な施設でなきゃできないことばかりではなくもっと基本的なことがあるように思います。そんな点をお話いただこうかと思います。それでは磯崎さんから少し、ご発言いただけますでしょうか。
磯崎:ちょうどこのプログラムのところに書かせていただいた三重県出身のMさんとの関わりのことを今、思い出していたのですが、先ほど聞くことに徹するというふうに申し上げました。患者さんが死をどういうふうに受け入れていかれるかをそばにいる私たちは、いろいろ学ばせていただいているのです。Mさんは80代の男性でした。今、渡辺先生のお話、ライフ・レビューというお話が出ましたけれども、その患者さんがおっしゃるまま、こちらから聞くわけじゃないんだけれども、三重県のご出身だとか、伊勢神宮の交替が20年に一度あるときに自分が緊張して、学校代表で校長先生とそこに参列したとか、いろんなことをお話されるのですね、問わず語りをされます。そういうことの中から、最終的にはそこに書かせていただいたように、「世間さまから拍手喝采は受けなかったけれども、よくがんばったと思うし、良い人生だった」っていうふうに、ご自分からおっしゃって、本当に静かに逝かれました。
私たちは、やはり自分自身いい人生だったと言えるように、柏木先生のお話にもありましたけれども、自己肯定感と言いますか、世間の評価ではなくて、自分自身がこれで良かったのだと思えるようにしていただくためにはどうするかというと、私は聞くことに徹するというふうな立場で接しています。そのことについては、かなり長い時間が必要です。そのおしゃべりになるのをじっと聞いている。戦争の話もあるので、若い人たちは耐えられないのかもしれません。「また戦争の話よ」みたいなことをちらっと聞いたこともあるけれども、私はその年代の人にとっては戦争というのは、すごい大きなイベントだったのだから、それをはずしては考えられないのよと、ちょっと年上の人間としてお話をしたりもするのです。やはりこれで良かったのだと自己肯定感をいかにして持ってもらうか。振り返ってみると、私自身も自己肯定感をどういうふうにして持つか、これがどうやったら死を迎えられるかというふうなことにつながっていると思うのですね。
そのMさんの例もそうですが、もう一名、40代の女性でしたけれども、つい最近お見送りした方の中から、とても穏やかに逝かれた方です。とてもお若くて、大学受験を控えているお子さんと高校生のお子さんを2人、上の方が大学受験で下の方は今年入ったばっかりだったと思いますが、そういうお2人のお子さんを残して逝かれるような方でした。とてもじゃないけど若くて死を受け入れられないのではないかという年齢だったのですが、とても静かに、穏やかに逝かれました。その方の様子を伺っていますと、やはり委ねる心と言いますか、開かれた心と言いますか、そういうものがおありでした。全然動けませんでした。身動きできませんでした。寝たきりです。ですけれども、とても穏やかな気持ちで接することができました。