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2人ほど患者さんを紹介して、それの答えにしたいと思います。私の勤めているホスピス病棟はかなり田舎で、ホスピス病棟の前を田園風景が広がっているようなところなんです。正月元旦になりますと、いろいろな人が帰って、3、4人の人が残られるのですね。私もいつもお正月はお酒をもって回ってくるのですけれども、最後の部屋へ行きましたところ、そこは膵ガンのおじいさんとおばあさんの和室がありました。まるで居間にいつも老夫婦がいらっしゃるような感じでいたのですけれども、その日は息子さんのご夫婦とお孫さんが6畳の小さな和室ですけど、わーっと来られていまして、犬まで来て、みんなでパーティをやってらっしゃるということがありました。おそらくその方にとって、お孫さんやワンちゃんみんなすっと引いたあと、2人残されるのですけれども、何か非常に充実した感じというのを感じられるんじゃないかなあと思って、想像したりしたことがあります。

それから若い方はもっと深刻な事が多いのですね。中学校の数学の先生で、まだ40歳前の方なのですけれども、肺ガンの骨転移でぜんぜん動けませんでした。痛みと動けないという状況で、ともかく最初は痛みを取ってもらえればいいと。少しでも動ければいいということだったのですけれども、リハビリの先生やモルヒネを使ったりして治ったあと、人間というのは、それだけでは駄目なんですね。なぜ自分はこんなふうになったのか。あるいはちょっと食べられるようになったぐらいで、喜んでいる自分が情けないとか。あとでスピリチュアルな話があるかもしれませんけど、そう言っておられて、1週間か10日ぐらい泣き続けられた患者さんがいました。患者さんはふとそういう中で思われたのは、インターネットやることと、それから家庭教師をやりたいとおっしゃったのですね。それを私たちで、和室でやるようにしていただきました。インターネットでやったことは、自分の家族とのつながり、あるいは学校の先生ですから、自分の友人とのつながり。そういう関係性をもう1回確かめようということで、されたと思います。それから家庭教師ということは、自分が数学の先生を一生やってきたという思いをもう1回末期のもう亡くなる自分のときに、しっかりと把握して自分の生きてきた意味というものを知っていきたいという思いでされたのではないかと思います。

ですから、そう考えますとやはり特に最終末というのは、今まで生きてきたこと、現に生きていること。それから自分の生きる生き方がまだ今後も続くと言いますか、続くと言うことには宗教的な方もありますでしょうし、家族や曾孫やそういった家族的なこともありますでしょうし、自分の仕事のことで続けていく。いろんな価値判断がありますので、とやかく言うことではないのですけれども、特に末期の場合は過去というのが過ぎ去ったものという考えではなくて、自分の生きてきた生き様を、もう1回きちっとライフ・レビューする。そういった存在性というものをしっかり確かめ直すという、そういう機会が大事だと思います。緩和ケア病棟の目的というのは、いろいろありますけれども、実際にはそういう感じをきちっと患者さんに把握していただくように、われわれがどう援助をするかという援助システムであるし、死ということについても、そういう観点で考えていくということが大事ではないかなというふうに思って、毎日ケアをさせていただいているわけです。

 

 

 

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