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でも、「ガンなのでしょうか、私は」って聞かれたときに、自分がパッと答えて、もし不用意に顔色が変わったらどうしようっていう思いはだれしもあると思うんですね。そういった場合には、やはり病棟の中で、医師、看護婦ともどもコミュニケーションをとり、やはりカンファレンスしておかなくてはいけないと思います。患者さんが何となく自分の病気に対して、不審そうになっているというときに、いったい自分たちはその患者さんにどういうふうに対応していけばいいのだろうかということを、やはり話し合っておかないといけないですね。それと看護婦の方も「死んだらどうなるの」と言われたときに、自分が答えられないというよりも、私は死んだらこういうところに行くんじゃないかなあと思っているのですという、そういったことを言ってあげれたらいいと思うんですよね。患者さんてきっと白黒という結果を求めているわけではないので、白と黒の間のグレーという中間の答えを用意されていてもいいのではないかなと思います。

 

松島:ありがとうございました。磯崎さん、先ほどきっかけのお話の中でも、患者さんの本音を聞ける立場ということだったと思いますので、そういう中で死というものをどんなふうに感じておられますでしょうか。

 

磯崎:私だけが本音を聞いているなどと思い上がってはおりません、誤解の無いように。ただポロッと漏らしたりするのは、私が多分患者さん、患者さんご家族にとっては利害関係がないからだと思います。例えば本音を漏らして、痛い注射をされたら困るとか、ケアのときに気分を害したらつっけんどんにおむつ交換されたら困るとか、そういうことがベースにあって、何かちょっと押さえてしまうのかもしれないけど、私はそういう身体的処置はしませんので、きっと利害関係がないから漏らしやすいのだというふうに思っています。

ベースはカンファランスですから、私がもらった情報もプライバシーの保護という点で、ある程度の縛りはかけますが、ケアに必要な情報であれば、カンファランスに出して、情報交換をします。それと私たちのところは、カルテの同一ページにドクターもナースも記載します。3分の1の欄がドクターの欄でラインが入っていないのですね。そのあとの3分の2が、横線が入っているナースの欄です。ナースたくさん書くことがありますので。そういう1ページに同時記載のカルテで、私は左半分、3分の1のところのドクターのところにMSWと署名をして、情報も書いております。同一ページのカルテで情報を共有しながら、なおかつカンファランスでというふうなことをしているわけです。

先ほど久保山さんが、「死んだらどこに行くの」と言われたときに、「私はこう思うの」って答える必要があるかなって思いました。患者さんに、あなたはどんなふうに思われてますかっていうふうにお聞きするのが、まずいいのではないかと。そういうふうにした方が、患者さんが「こうこうこう思っている」と言われたら、「そうですね。そうだといいですね」とか、共感するなら「私もそう思っています」と言うといいと思うのですけれども。何か問われたら、答えを出さなければいけないというふうに思いがちなところが、死後の世界とか死についても、やはりあるのではないかなと、ちょっと気が付きました。

 

 

 

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