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多くのがんの末期の患者さんをみていますと、このことが如実にわかります。そして一つの現象に気づいて、私はその現象を「矢先症候群」という名前をつけました。これは少し説明すればすぐにおわかりになるのですけれども、私たちのホスピス、年間200名ぐらいの方を看取りますけれども、患者さんの平均年齢が63歳なのです。これ非常に不思議ですね。私あと1年しかないのですけれども、だいたい全国のホスピスの平均年齢を見ますと、だいたい63歳ぐらいなのですね。ある少し前に看取ったご主人、この方も63歳でした。入院のときに奥様にお話をうかがいますと、主人は本当に働きバチでした、一生懸命仕事ばかりやってきました、60歳で定年を迎えて2年ほど関連の会社に出向いたしまして、2000年に退職いたしました、そして二人でゆっくり温泉にでも行こうねと言っていた「矢先」に、がんで倒れましたと。この「矢先」なのです。「矢先」というの、本当によく出てきます。そのすぐ後で、やはり今度は逆ですけれども、63歳の奥様を看取られたご主人、その方も入院のときにお話をうかがいますと、家内は本当に内助の功といいますか、五人の子どもをしっかり育ててくれました、本当に私は感謝しています、そして五人目の娘がつい2000年にやっと嫁ぎました、そして二人きりになって、これから二人で温泉――なぜか知らないけど、これ温泉が出てくるのですね――にでも行こうねと言っていた「矢先」にがんで倒れました。これ、「矢先症候群」というのはそういうことなのですね。で、その人たちのお話を聞いていますと、私はやはり、楽しみとか、これをしたいということを、あまり先に延ばさないほうがいい。本当にこれがしたいと思ったときには、かなり忙しくてもそれをやはりするべきだと。私はやはり「矢先症候群」というふうに言われないように、何とか自分がしたいと思うことは思ったときにやっておくということが非常に必要だというふうに思っていまして、この前本当に久しぶりに家内と二人で温泉に行ってまいりました。なぜか温泉ですね、日本は。そういう意味で、我々は生の延長上に死があるのではなくて、死を背負って生きている人間なのだということを、これはもう本当に患者さんから教えられました。

それから二番目は、やはりよく言われることなのですけれども、「人は生きてきたように死んでいく」ということです。私はこの「人は生きてきたように死んでいく」というのが実感でしたので、ずっといろんなところで「人は生きてきたように死んでいく」というふうに一生懸命言っていました。私のオリジナルだと思っていたのですね。これは私が言い出した言葉だと思っていたのです。しかし、2年ほど前に、そうではなくて、これは先ほど日野原先生のお話にもありましたけれども、ウィリアム・オスラー先生が1904年に、もうちゃんと論文に書いておられるのです。これはまいりました。1904年というと私が生まれるずっと前です。そのときにオスラー先生は、「人々は」というよりも、論文の題は「患者は」です。「患者は彼らが生きてきたように死んでいく」という、そういう題の論文を書いておられるのですね。英語で言いますと「Patients die as they have lived」というういう論文の題です。「患者は彼らが生きてきたように死んでいく」。ということは、しっかりと生きてきた人はしっかりと亡くなっていかれますね。

 

 

 

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