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私は昨年の秋、「新老人運動」を始めました。その事業の1つに、「リサーチボランティア」というものがあります。75歳以上の会員の希望者に健康上のデータを提供してもらい、それを10年間研究する。その方が、どのような習慣をもっているか、酒やタバコはたしなむのか、運動の習慣、生活の習慣、食事の習慣、そして毎年のドックの検査データを10年間フォローアップして、どのような遺伝子をもっている人がどのような病気になるのか、あるいは痴呆の遺伝子を持っていても環境がいいために発症しないですんでいるというようなことがあるかどうかを疫学的に研究します。

いま老人を65歳以上とするのは世界共通のようですが、今から30年前は55歳以上を老人としていました。老人を研究している学者が歳をとると、55歳では若すぎるから、60歳以上としようと底上げするのです。私も90になりますから、勇気を持って65歳を超えると老人と呼んできたのを10歳底上げして、75歳からを老人にしてはどうかと主張したいと思っています。それまではできるだけ自立していくようにする。これは人間として心がけなければならない義務だと思うのです。 

生まれたからには私たちの身体を健康にもっていく、先天性に弱い人、不自由な人があったら、それを健やかな人が助けるというのは当たり前のことなのです。それにもかかわらず今、アフリカの南西部では飢えや疫病で、大勢の子どもや新生児が死んでいます。日本では、東京でもこの頃はホームレスの人にも肥満症が多いそうです。コレステロールの高い人が多いというのです。どうして同じ地球上にこの不公平があるのでしょうか。

北半球の国の人々は、もっともっと南半球の人たちを助けなくてはなりません。明治時代以来、日本は開発途上国によく援助はしますけれども、お金の投資が主で、人間の投資がないから、きめ細かい援助の手が届かないのです。私が理事長を務める聖路加国際病院は、アメリカの宣教医師であったトイスラー先生が100年前に来てつくられたものです。日本の多くのミッションスクールは外国のミッショナリーがつくってくれました。そういう宗教関係の人が骨を埋める覚悟で来日して、病院や学校をつくられました。ところが、外国に出かける日本人の多くは、骨を埋めるのではなく、何年かしたら帰ろうとするので、現地の人の信頼を得ることができないのです。

 

はじめに終わりを考える

人間は死んでからどうなるのかということは、キリスト教でも、あるいは仏教でもいろいろと論じられていますが、なかなかこれは難しいことのようです。

日蓮上人はこういうことを言われたそうです。「まず最終のこと、最後のことをならって、あと死後の世界のことや、あるいは生まれるまでのことを考えたらよいのではないか」と。「まず終わりのことを考えよ」、これはレオナルド・ダ・ビンチの言葉でもあります。私たちに必然的に来る死のことをもっと考えることです。それをDeath Educationと理解して下さい。死の教育は子どものときから必要です。子どもがカナリアを飼うとか、あるいは犬や猫を飼うということは、生きものを愛情を持って育てることですし、いずれそれらの死にも遭遇しますから、何よりの死の教育となります。

 

 

 

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