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ペットが死んだときに子どもは本当に悲しくなるでしょう。その悲しみを体験することによって感性が磨かれるのです。植物を育てることも同じです。このような宇宙の理は自分のおかあさんにもおじいさんにもあるのだということが自然と理解できるように、幼いときから感性を養っていくことです。

 

医はアートである

先ほども少し触れましたが、治療医学というのはどうすれば人々が長く生き延びられるかという目標を持ってやることですが、ホスピスで行う末期ケアというのは、治療をしてももはやよくなることは断念しなければならないほど病状が進行しているから、どうよく死ぬかということです。治療医学では科学的にcureをするということが目標でありますが、がんの末期の患者に対しては、どういうふうによいアートを持ってケアをするかということが主眼になります。アートというのは人間のタッチのことです。音楽でいえば、どのようにバッハなりシューベルトなりを理解し、そしてどのようなテクノロジーを持って、どういうふうに皆さんの前でそれをパフォームするか、これが演奏家の仕事です。これと同じように、医学や看護学を知った上で、医学のテクノロジーと看護のテクノロジーを、目の前の患者にどういうようにタッチしていくかということがアートなのです。感性がないとよいタッチはできません。どのようなタイミングで、どのような言葉で、どのような沈黙で患者さんの後ろに立っているかということが大切なのです。そういうケアというのは、すでにしてアートであるということを考えると、看護婦や医師、そしてその他患者さんに関わるすべての人たちは、感性豊かで人格的にも優れた人でない限り、それは不可能なことでもあるのです。それはただ単にテクニックではありません。ですから、ギリシャ時代から医学はアートであると言われてきたのです。

私たちの目で見、肌で感じて、よい手当てをすることが、よいケアなのです。手当てというのは、おかあさんが子どもの額に手を当てて熱があるかどうかをみる、それが手当てです。私が子どものとき、虫歯が痛いと母はいつもほっぺたをなでてくれました。それでもう痛みが消えてしまったものです。これが癒しになるのです。虫歯が治ったのではないけれども、その子どもは感覚的に痛みから解放されるのです。そういう意味において、末期のケアにはこの手当のアートがたいへん大事なことだと思います。

治療医学や治療看護学は科学的な医学や看護のねらいとするものですが、末期ケアでは、なぜ自分はこうなっているのかということを患者さんに納得させる、それが大切なことです。そして治療医学というのは、病気を治して社会復帰をすることがゴールでありますが、末期ケアにおいては、きょうを生きるための励ましと望みが与えられ、できれば明日を迎えたいというような気持ちに患者を置くということが大切です。私が関係しているピースハウスという神奈川県のゴルフ場に8年前に建ったホスピスでは、患者さんにチューリップの球根などを植えてもらいます。そして5月にはチューリップが咲くから、できればそれを見たいという願いを持ちながら毎日水やりをしてもらう、その生き方が彼女のきょうを、今週を生かすのです。ホスピスの壁には、冬には京都の桜の絵を飾ります。

 

 

 

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