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ホスピス医療、緩和ケア

私たちは病んでも輝くことはできるのです。老いても輝くことができるのです。その輝きを見せながら最後は死を迎えるのです。

医療の分野では、がんやエイズの場合には、ホスピスや緩和ケア病棟では痛みをとることに意を尽くします。これまで治療だけを目指してきた医療に、緩和医療という考え方が生まれてきたのです。

いわゆる近代ホスピスは、1967年、イギリスでシシリー・ソンダース医師によって始められました。シシリー・ソンダース先生は、はじめは看護婦さんでしたが、からだを痛められてソーシャルワーカーになりました。それがやはり医者になりたいといって医学校に入り直し、30歳をすぎてから医者になりました。看護婦のときに、がんの末期の患者が痛みに苦しんでいるのを見て、どうして先生は痛みに耐えられなくならないとモルヒネを与えないのかと疑問を抱いたのです。彼女はもっと有効にモルヒネを与えたいと考えて、薬理学的にこれを証明することを研究所に通って勉強しました。

 

変わってきた生と死の観念

ホスピスがつくられた頃より少し前から、いのちに関して、あるいは死についていろいろな研究がなされ始めました。

1963年には、ロバート・フルトンというアメリカのミネソタ大学社会学の教授が、サナトロジー(死生学)の講座をつくりました。心臓移植が南アフリカのバーナード博士によって執刀されたのは1967年、宇宙飛行士のアームストロング船長が月に上陸をしたのは1969年です。また、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは、死んでいく患者の心理状態を研究して『死の瞬間』という本を著しました。それが1969年でした。それから10年余りして、当時、淀川キリスト教病院におられた柏木先生がグループによるターミナル・ケアについて米国で学んで帰られ、それを日本にも導入され、それがきっかけで日本にホスピスあるいは緩和ケア病棟がつくられるようになりました。外国では緩和ケア病棟やホスピスに入られるのは日本のようにがんの末期、エイズの患者だけでなしに、あらゆる治らない難病の人はすべてホスピスケアを受けられるようになっております。ところが、日本は法律ができると、30年や50年は変わりませんから当分このままいくのではないかと思うのですが、日本でもがんの末期ばかりでなくいろんな難病で苦しんでいる人たちの苦しみや痛みを少なくするように今の法律を改善する時代が早く到来してほしいと私は願っています。

そういう意味において、私たちが生まれることと、そして病むこと、老いること、死ぬことというお釈迦さまの言われた「四苦」、それが1倍になって八苦、三十二苦というようなものを人生の間に経験することこそは、人間としての必然の運命なのです。私たちが死ぬというのは、言い換えると私たちの身体に死ぬ遺伝子があるということです。老化する遺伝子、そして死んでいく遺伝子、脳の細胞が老化して痴呆になるというのも遺伝子の影響でしょう。そういうさまざまの遺伝子を私たちは持っています。だいたい1万4千ぐらいの遺伝子があるといわれています。悪い遺伝子をもっていても、よい環境におけば、痴呆にならないかもしれませんが、それは今後の医学研究の実証を要します。

 

 

 

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