また私たちのまったく知らない面から、いろんな方が入ってくれて、いろんなことを支えてくれるというところで、医療が大きく膨らんでいく。そうすると私たち看護婦も、死についてももっと心を開いて患者さんとお話できると思います。終末期の患者さんは、死について話したいと、たくさんおっしゃっておられました。今日おいでの看護婦さんも、勇気を持って、患者さんのお傍で話し合ってみてください。以上でございます。
南:ありがとうございました。では、お願いします。
波平:今日のテーマが「死を想え」ということなのですけれども、同じように命令形で言うとしたら、「都合のつく限り、お葬式にはなるべく参列してください」。
南:よろしいですか。田宮先生、お願いします。
田宮:はい。今の波平先生のを受けまして、「誕生祝よりも、1周忌、3回忌の日にお電話一本いれてあげてくださると、たいへん喜ばれます。」。私は特に恩師の未亡人、という表現はよくないのですが、奥様には、できるだけ電話を入れるようにしております。
先ほど子供さんの話が出てきたので思うのですが、実は私も子供を亡くしました時に、恩師がお参りに来てくださいまして、こういうことを言われました。「今の悲しみというのは誰もわかってくれないと思うくらい、ハンカチでは足りないくらい、涙を流しているであろう。でも、命日すら忘れる日がそのうちやってくるよ、そういう人間なのだということを見つめなさい。」と言われました。実際、そうです。それで、私は、子供の命日には卵焼き、母の命日には白身のお魚、父の命日にはお肉かうなぎ、と決めております。ところが、それすらも忘れるのです。あわてて生卵を仏壇に…。というのは、先ほど波平先生が、現代の日本人の新たな死の文化とおっしゃいました。僕はそれを、専門家に任せるのではなくて、自分の気持ちに沿う自然な形で、それぞれのお家なりの偲ぶ文化を創っていって、それが少しずつでも「ああ、あれ、いいな」という形で固まっていく中で本当に作れるのではないかと、そういう意味で希望観を持っているのです。
南:ありがとうございました。会場のみなさまも、長い時間、本当にありがとうございました。
今日のテーマ「『死』を見つめ、『今』を生きる」ということで、日本人の死生観ということをテーマに、短い時間でしたがお話を進めて参りました。先ほど日野原先生がご講演の中で、ここにいる人はみんな、誰も死というものを経験したことがない。経験したことのない死を、どのくらい考えることができるのか。その考えるということが、ひじょうに大事だというようなお話をされました。本当に私どもは今日このひととき、「死」ということを考えたということは、たいへん大きな意味があったと思います。何も結論とか、今日の討論の結果という形で導くことはとてもできませんけれども、これを考えたということに大きな意味があったと思いますし、みなさまがこれを持って帰られて周りの方ともそのお話をされれば、それは本当に大きな意味があったことだと思います。
本当に、今日は長い時間ありがとうございました。先生方、どうもありがとうございました。
司会:パネリスト、コーディネーターのみなさん、どうもありがとうございました。もう一度拍手をお願いいたします。