ゆうきちゃんは4歳の看護婦さんでした。お母さんと一緒に、お父さんの看病をしていました。お父さんの病状に、ゆうきちゃんは一喜一憂します。いつもお父さんがどこか遠くへ行ってしまうのではないかと不安でした。だからお父さんに叱られても、お母さんに遊んでもらえなくても、決して泣いたりしません。お父さんは、お別れするその日まで自分の全てを見ていて欲しいと言って、ゆうきちゃんを傍に置きました。ゆうきちゃんは、まるで枯葉が一枚一枚落ちていくように衰弱していくお父さんの姿を、自然に受け止めていきました。そしてそっと私たちに教えてくれました。「お父さんは、天国に行ったのだよ」と。ゆうきちゃんは、「ぐりとぐら」や「葉っぱのフレディ」があるホスピスの図書館が大好きでした。
以上です。ありがとうございました。
南:ありがとうございました。日々、死と向き合っている患者さんを看護していらっしゃる立場から、たいへん胸の詰まるような現場のレポートをしていただきました。また後ほど、うかがわせていただきます。
今日ここで、パネリスト4人の方のお話を一通りうかがいました。時間がかなり押しておりますので、充分に議論はできないかもしれませんが、もう少し討論を深めたいと思います。その前に先生方の中で、補足的にこれだけは加えておきたいとか、ここでひとこと言っておきたいことがおありになるという方がありましたら、どうぞお願いいたします。よろしいですか。
それでは、討論に入らせていただきます。今回、参加を希望されたみなさんの中から、幾つかの質問が私の手元に来ております。それも含めながら、議論を進めていきたいと思います。
4人の方のお話、まず鈴木さんの日本人の死生観が明治以来どういう風に変化してきたのかというお話、また波平先生の儀礼に見る日本人の死生観、そして日本は新たな死の文化を作ることが必要なのではないかという問いかけもありました。仏教と医療、もっと密接なつながりが必要なのではないかという田宮さんのお話、そして今の現場からのレポート。会場のみなさんにもそれぞれ日本人の死生観ということで、ぼんやりとではあってもイメージが浮かんでいらっしゃるのではないかと思います。
ここで私の手元に来ている質問の中から。47歳の宮城県の看護婦さんをしていらっしゃる女性の方から、こういうご質問が来ているのです。「毎日死と向き合っております。」医療現場におられる方ですから、死と向き合っている患者さんを抱えているという意味ですね。「しかしながら心のどこかで、それは自分の死ではないと思っているのかもしれない。自分自身、常に自己の死も考えてはいるのですが、毎日向き合っているのは目の前にいる患者さんの死なのです。そういう思いの中でこれでよいのだろうかと、ひじょうに悩んでしまいます。」というお手紙です。それ以外にも「昨年祖母を見送ってから、死と生について考えるようになった」というような、人の死を看取ったことによって、自分自身の生とか死を考えるようになったというお手紙が、やはり同じ県内の34歳の女性とか、33歳の看護婦さんなどからも、同じようなご質問できています。これを突破口といたしまして議論を進めたいと思います。これは鈴木先生が先ほど、一人称と二人称と三人称、とおっしゃったことと近い話かなと思いますが、先生、いかがでしょう。
鈴木:その通りだと思います。私は中央公論の話をしましたが、中央公論の中で取り上げられているもの事体、レベルがいろいろなわけです。