以前はとても強気で、人前で涙を見せることなどなかったのですが、今は涙もろくなりよく泣いています。せっかく命が助かったのに、後ろ向きで泣いてばかりいる母に、私は時々いらいらしてしまいます。母のつらい気持ちもわかってあげようとは思うのですが、目標を持って自分の人生を活き活きと、一生懸命生きて欲しいとも思ってしまいます。本当は母もそうしたいのでしょうが、死がいつも頭から離れなくなって、なかなかそうできないのかもしれません。病気のことを話してからは、母は私にいろいろと自分の気持ちを話してくれるようになり、それがとても嬉しいです。以前は母の病気のことで、自分の時間が削られ、いらいらしていました。それ以上に家族が病気で大変だったのに、自分のことばかり考えてしまった自分が嫌になりました。今は、母の力になれない自分にいらいらします。家の中も以前とは変わってしまいました。母を思って、家族中がピリピリけんかになることがよくあります。そんな時私は、家にいたくなくなります。でも、いろいろなことを乗り越えて、家族の絆は強くなった気がします。できれば、違ったことでそうなりたかった。以前のような家に、早く戻って欲しいです。私は母のために何がしてあげられますか。私の考えは間違っていますか。どうすればいいのか、わからなくなってしまうことがあります。母が死んでしまわないか、家族がどうなってしまうのか、とても不安です。」手紙は以上でした。親の死を意識した子供たちは、小さな肩につぶれんばかりのたくさんの思いを背負って、嘆きや悲しみの道のりを歩んでいかなければなりません。周囲の大人たち以上に現実を正面から捉え、死を見つめ、家族のあり方を捜し求める17歳の少女の思いに、胸が熱くなりました。
私たちは闘病中の患者さんの傍らで様々な不安を抱え、大切な人の病状を知ることもなく孤立していく子供たちの存在を、どれほど意識して関わってきたでしょうか。子供ゆえに死別の悲しみを癒す方法を知らず、悲しくても泣くことのできない子どもたち。大人たちの陰に隠れ、隅っこに追いやられてきた子供たちがいたことを、私たちは知らなければなりませんでした。限られた時間であればこそ、死にゆく親にとって、子供はかけがえのない介護者であり、ケアギバーです。残される子供たちにとっても親の役に立てたという思いが、死別の不安や悲しみを和らげ、勇気と希望を与えてくれる源になってくれるのではないでしょうか。子供たちは、「話を聞いてあげる」ということが、大切な病む人にとって苦しみを和らげることのできる何よりの行為であるということを、誰に教えられることなく知っていたのです。それがどんなに切なく、悲しく、つらい言葉であっても、愛と絆に支えられた言葉は子供たちの生きる希望に、そして逝かなければならないその人にとっても、大きな希望につながってくれると信じています。
21世紀を担っていく多くの子供たちは、今どのようにして死を認識しているのでしょうか。ご病人やご老人を知らない環境に育った子供たちが目にし耳にするのは、通り魔殺人事件、いじめによる自殺、親に殺される幼児虐待死、そして飛行機が激突しゲームのシュミレーションどおりに崩れ落ちるビルといった非道理的な死ばかりです。家族の揃わない食卓で、そんなニュースを見ながら食事をする子供たちに、私たち親は何を教えていかなければならないのでしょうか。
「『死』を見つめ、『今』を生きる」私たちにできること。まずは自分の周りから、ゆっくりでもいいから考えていきたいと思っています。
最後に、とてもかわいかったゆうきちゃんのお話をして、終わりにさせていただきたいと思います。