今日この会場には、たくさんの看護婦さんがいらっしゃると思います。また、私と同年代の方も、たくさんいらっしゃるようにお見受けします。今日はぜひ、同じ立場からご一緒に考えていただきたいと思っております。
「『死』を見つめ、『今』を生きる」というテーマをいただいた時、私は忘れられないある場面が浮かびました。患者さんが私と同年代で、私にも同じ年頃の娘がいたせいもあったかもしれません。Tさんは小学校6年生の長男をはじめ、4人のお子さんの父親でした。舌がんで何度も手術を繰り返し、つらい抗がん剤も家族のためにとがんばっておられたのですが、治療の甲斐もなく病状は進行し、ご実家のある福島に戻られホスピスに入られたのでした。日ごとに会話もままならなくなったある日、私はTさんと奥様に、子供さんたちに病気のことやお別れが近いことをお話になったのですかと尋ねました。おふたりは「どうしたらいいのでしょう」と涙を流されました。私は「お兄ちゃんはもう6年生ですし、お父様のおっしゃることは充分理解できると思いますよ。おつらいと思いますが、直接お話になってはいかがですか。」と勧めました。次の日Tさんは学校から帰ってきた息子さんにかすれた声をふりしぼり、「一生懸命治療したけれど、お父さんの病気はよくならなかった。悲しいけれどお父さんはもうすぐみんなとお別れしなければならない。お父さんが死んだら、お前ががんばってお母さんや妹たちの力になってくれよ。」と言ったのです。6年生の息子さんは、お父さんの言葉をひとことも聞き漏らすまいと、一心に涙をこらえて聞き入っていました。何日か過ぎ、臨終間際になり、子供たちは泣きながら学校から駆けつけました。その時、意識の薄れていくTさんに向かって6年生のご長男が、「お父さん、もう行っていいよ。ありがとう。もう、苦しまなくていいよ。あとは僕がお母さんを助けてがんばるから、大丈夫だよ。」と静かにお父様の手を握り、語りかけたのです。たった12歳の息子さんは、臨終の場で長男として、父親の思いをしっかりと受け止めました。その姿は畏敬の念を持って、私の心に深く刻み込まれました。数日後に死別を迎えようとしていたTさんは、愛する家族に父親としての証を残していかれました。
このことがあって以来、私たちスタッフは、意識して闘病中の患者さんの傍らにいる子供たちに目を向けて、関わるようになりました。一昨年、学童期の子供65名を対象に、親の死についてアンケートをとったところ、ほとんどのお子さんが「きちんと親の死を教えて欲しい」と、そして「何かをしてあげたい」という願いを持っていることがわかりました。具体的には、話を聞いてあげたい、さすってあげたい、水を飲ませてあげたい、といった簡単な内容でしたが、つたない字で書かれているだけに、その一言一言に胸がつまりました。
そんな矢先に、ある講演先の高校生から1通の手紙が届きました。今日は彼女の許可を取っておりませんので、プライバシーに関わる所は伏せさせていただきます。「清水婦長さんへ。先日は貴重なお話をありがとうございました。母はがんです。でもずっとそのことを私に隠していました。私は母の病状を知ることができなかったので、知らないうちに死んでしまうのではないかと不安でした。遠くに入院したからなお更です。私にだけ話してもらえないので、自分が信用されていないのかと思ったり、仲間はずれにされているのではないかと、とても淋しかったです。でも母の気持ちを考えると、知らないふりをしてあげるべきなのかなと、ずっと知らないふりをしてきました。最近、母の口からちゃんと聞くことができて、とても安心しました。病気になって母は変わりました。