日本財団 図書館


教育の本来の場が、今は競争と荒廃の場になっています。実はビハーラとは会話で使われた言葉ではなく、サンスクリットという古い東洋のラテン語のような、仏教経典等を記録した言葉です。これはホスピスとほとんど同じ意味なのですが、ビハーラの役割機能の中に、今でいう病院と寺院と学びの場という3つが一緒になったような意味合いがあります。私たちは、死んで帰って説明するわけにはいきませんので、今、死に臨んでいる人から何か学ぶことができるか、そういう場であってほしいと願っています。

いろいろ申し上げたいことはありますが、今はそんなことをやっております。ということで、取り敢えずのお話を終わりたいと思います。

 

南:ありがとうございました。医療の場に祈りのできる場所がない。これから清水さんにお話いただきますけれども、ひじょうに切実な医療現場のことを訴えられました。また後ほど、よろしくお願いいたします。

では最後に、清水さんのお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

清水:みなさま、こんにちは。坪井病院の清水でございます。よろしくお願いいたします。今の田宮先生のお話を受けて、緩和ケア病棟の婦長の私が、これから何を言えばいいのか。大変胸が苦しいです。そのような議論は次の機会にしまして、私としてもみなさまにお話ししたいことを持ってきました。本来私はとてもおしゃべりで、15分でお話するということがたいへん難しいものですから、本当に申し訳ないのですが下を向いて話させていただきます。よろしくお願いいたします。

ご紹介にもありましたように私は現在、隣の福島県にあります坪井病院のホスピスで、看護婦として仕事をしております。福島県には公立のがんセンターがなく、坪井病院は地域におきましてはがんの専門病院的な役割を果たしております。

みなさまも既にご存知のように、ホスピスケアとは治療が困難になったがんなどのご病気をもつ患者さんとご家族に、最後までその人らしく生きていただけるように、医療者だけでなく様々な専門家がチームを組んでお手伝いする「ケアの形」をいいます。これ以上できる治療はありません、と告げられホスピスにたどり着いた患者さんやご家族は、今まで漠然と捉えていた死を、現実のものとして受け止めなければなりません。そして新たに身近になった「死」という未知なる体験へ不安を抱き、襲い来るであろう痛みや苦しみにおびえ、社会的な役割や人間関係を失っていきます。療養なさる場所が入院のホスピスであれご自宅であれ、患者さんとご家族は常に死と向かい合い、生き抜かなければなりません。そして大切な家族との別れを思い、嘆きや悲しみの中で毎日をお過ごしになるのです。しかし私たちはそんな患者さんやご家族との関わりを通し、たくさんの笑顔を見、暖かい涙に触れ、言葉には言い尽くせない愛と感動をいただくことができました。

今回、命と向き合う看護婦として発言の機会をいただき、正直申しましてお話ししたいことばかりで肩に力が入りました。しかし日がたつにつれ、こんな私に一体何が話せるのだろうと逆に悩み始めました。なぜなら、ホスピスでお過ごしになった方々の、貴重な人生のほんの一部しか知らない私が、あれこれここで講釈しても、到底本人たちの深い思いに届くはずがなかったのです。私の思いばかりが先に立ってしまいました。そんな中で、今の私が今の立場で、と考えた時に、あるひとつのことが浮かびました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION