日本の多くの病院では、祈りの場がない。祈ることを知らない医療者が勤めている。そこでは死にたくないということです。私は仏教徒ですから、仏教の立場からターミナルケアの場所を用意したいということで、ビハーラという言葉を1985年に言い始めました。
ところが教員とかお坊さんは、口ではいいことを言うけれど、実際が伴わないという批判をよく受けます。じゃあ、お前の考えているのはどういうものなんだい、と。私はこんなことを考えているのですがということで、兄の協力を得て病棟を作りました。でも入れ物としてはだいぶ譲歩しました。結局、理想を掲げて医療を利用する側がこうあってほしいというものを掲げても、実際形になっていくときには医療法とか病院建築なにやらさまざまなものが押し寄せてまいりまして、最後的には経費の問題等で、およそ満足のいくものではありません。それ以上に、病棟をオープンして実際ケアが始まると、やっぱりここでは死ねないと思ったのです。どういうことかというと、国の名称では緩和ケア病棟だと。何を緩和するのだと思いました。緩和というのは、根本的な満足とか救いではないのです。パリアティブという言葉自体が、確か「覆い隠す」という意味を持っていたように記憶しています。それで、説明のいらない主治医や看護婦さんが欲しくなりました。インフォーム・ド・コンセントどころではなくて、向こうが言うこともわからなければ、こっちの言うことも通じない。それぞれが勝手にやる、こうしたら一番いいだろうというようなケアではなく、本当にお互いが望み、望み望まれるケアが展開される場がいいなと。
ところが、そういう人はいないわけです。だったら、そういう人を養成しないといけなくなったわけです。そんなことを思っていましたら、たまたま新しく看護学科を作りたいという話がありました。これはしめたと思いました。1学年60名の定員で始まりました。60人ずつ10年やると、単純計算で600名です。そのうち2〜3人は──こういうと御幣があるかもしれませんが──見た目もかわいくて、そばにいて欲しいなという看護婦さんが養成できるのではないかということで、今、看護教育に関わっています。そういう意味でまことに贅沢なことをやっています。自分が安心して、ここだったら最後の場としていいのではないかと言えなかったら、私は人に勧められないなという気もしていたのですが、最近ちょっとそういう考えも変わって来ました。お迎えがきた時には、いつどこででもいいやと。この仙台の帰りに死んだとしても、それでもしょうがないなという気はしています。なにか初老性のうつ病というか、そういう感じがしているのですが。
さきほど、日本の病院に祈りの場が少ないのではないかという言葉をだしました。医療と宗教の問題を、もっと考えて、場合によっては要求しないといけないだろうと思います。いわゆる政教分離とか、信教の自由という憲法で保障されていることが、実際は、信教の自由を保障しないといけないところで政教分離が使われ、政教分離をきちんと守らなければいけないところで、めちゃくちゃなことが行われるわけです。
今、日本の寺院が本当の祈りの場になっているでしょうか。病院にこそ、祈り、願いが錯綜していると思います。今日、うちのお父さん、痛みがなくてぐっすり眠れるといい、あるいはスプーン一杯のおかゆが、のどを通って欲しい。そういう切実な祈りというのは、今、お寺ではないと思います。お寺もまた、そういう祈りの場にしないと思います。
もうひとつ、あえて申し上げたいのは、教育の場です。